2019年9月10日 (火)

最近のニュースで思うところ。。

先日、香山リカさんという精神科医の方が、彼女の父親が目撃した徴用工の話を雑誌の記事に乗せたところ

ヤフーコメント欄が荒れまくっていて、伝聞で自分は見ていないのだから証拠にならないというコメントが多数、、、

これでは、広島や長崎で被爆されて、語り部をされている方も、シベリアからの引き上げで語り部をされている方も、絶望してしまうでしょう。。実体験された方々は、これから全てこの世にいなくなってしまうのです。

語り部の方がいなくなったら、原爆投下も、全部作り話だだ!

シベリア抑留なんて人から聞いたでまかせだ!、、、ってなるんでしょうかね。

香山さんの話を真摯に聞かずに、人から聞いた昔の話もちだすな、と騒いでいる人は、どうなのでしょう、、

歴史に学ぶという言葉を知らないのでしょうか。

わたしの亡き祖父は満州で終戦を迎え、シベリアに3年間も抑留され大変苦労したそうです。

男手のない農家で、当時の祖母の生活はそれはそれは耐え難かったと聞きます。

シベリア抑留者も何の補償もされずに泣き寝入りしていますが、一部のシベリア抑留者は今でも日本政府を訴えています。

若いヤフー民の曽祖父の中にも、おなじようにシベリアやアジア南方で苦役をさせられた経験者がたくさんいるとおもいます。

国の方針でひどい思いをした人は、戦時中たくさんいるのです。それを補償してほしいと思うことがそれほどおかしいことなのでしょうか。

もしも、自分自身や家族、大切な友人が、誰かに理不尽に拘束され自由を奪われ、不当な扱いや虐待や差別をされ続けたとしても、そのことは、昔のことだから、別にいいよ、気にしない、許してやるよ!って言えるのでしょうか。

もちろん、国と国とは政府の外交上の駆け引きや、政策があるのでしょうけれど、個人の感情はそれぞれで、国の方針と同じではなくても、韓国の徴用工の方に同情的な意見があってもよいのではないでしょうか。

ひどい扱いされて、散々な目にあわされたのは、日本の国民もほぼ一緒だったのですから。

 

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2019年7月31日 (水)

後悔とは、かつてそこに愛があった証拠

2012年の是枝監督のテレビドラマ「ゴーイングマイホーム」に出てくる言葉です。

アマゾンプライムで無料だったので、一気に見たのですが、当時、視聴率悪かったという話で、それ以来是枝監督のテレビドラマは一切ないということですが、私にとっては、とても面白く、楽しめた作品でした。ほんわかしたホームドラマ。好きです。

最後の、お葬式のシーンでは、昨年亡くなった父のことを思い出し、泣きました。

そして、人に対するいろいろな後悔のことを、

後悔とは、かつてそこに愛があった証拠

だと、だったら後悔も悪くない。

というセリフに、さらに泣きました。

私の場合、父はとても孫が欲しかったみたいなのですが、弟は独身だし、わたしも子供のいない夫婦で、

結局孫の顔を見せてあげられなかったことが、ずっと心の痛む後悔のひとつです。

ほんと、役に立たない子供たちで、申し訳ないと。。

そして、入院してから、亡くなるまで、たった2か月間しかなかったのですが、ほとんど看病もできず、

死にゆく父の手を握ってあげることもできなかったことが、いまだに悔やまれます。

時間が巻き戻せたら、もっと父の病床の傍らで、父の手を握って話しかけるのに、、

そして、父が死んだ後も、あんまり悲しくなかったこと、、

祖父が亡くなってからずっと、祖父の不在はずっとずっと悲しくて、ことあるごとに一日に一度は、祖父のことを思い出して懐かしんでいたにもかかわらず、父の不在は、あまりぴんとこず。

その理由は、幼少期に一緒に過ごした時間が父よりも、祖父との方がずっと長かったから、そして、祖父は98歳で亡くなるまで、ずっと元気だったから(風邪をひいて一週間後に亡くなった祖父)、元気な祖父が記憶に残っているということもあるのかもしれませんが、父と過ごした記憶があまりにも少ないから、生前から、父の不在に慣れてしまっていたからなのかな、

でも、それも、父との思い出が少なすぎる、、 それは後悔なのです、、残念なのです、、。

でも、、後悔があるということが、そこに愛があった証なのだとしたら、嬉しいのかな。。

そんなことを思いつつ。。

週末は父の新盆なので、、帰省します。

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2019年7月23日 (火)

参議院選挙より吉本

悲しくて、情けない、

さすがに、ワイドショーだって、選挙の翌日なんだから、戦後最低の投票率だった話とか、テレビに出してもらえない小さい政党の党首が比例で過去最大数の個人票取った話とか、年金2000万円足りなくて、所得は増えないのに、消費税は上がるのに、それでもやっぱりみんな自民党が好きなんだ、とか、そういった参議院選挙の結果の解説や、今後の政治についてのコメントしてないか、とテレビをつけたら、なんと、選挙の翌日なのに、吉本の社長がずっとテレビでしゃべっていました。。

参議院選挙より吉本。。そういえば、吉本新喜劇のコントに現役総理大臣が出演していて、見間違いではないかと、二度見、三度見したのもつい最近でした。。

この国は、、もう、笑ってごまかすしかない国になってしまったのかな?

もともと、そういう国だったのかな?

吉本新喜劇は昔からくだらないナンセンスが面白くて、大好きで、今も好きですが、政治家がしかも、一国の総理大臣が新喜劇をするようになったら、国民はずっこけると思います。日々の暮らしや、生活がずっとずっこけて、ナンセンスで、それでみんな、いいのかな?

 

 

 

 

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2019年7月12日 (金)

ハムレット殺人事件

テレビでハムレットの舞台劇を観てから、トリック的な想像が膨らんでいます。

「トリック」とは昔仲間由紀恵と阿部寛主演で放送されていた人気テレビ番組のことです。

この世に超常現象などない、全て科学で説明できる、というあれです。

つまり、ハムレットも「トリック」の技で真相を解明できるのでは?と想像してみました。

ずばり、この物語の真犯人はハムレットの親友、ホレイショー(と、影の真犯人としてノルウェーの王子フォーティンブラス)

物語の最初で、ホレイショーと夜警は亡き先代ハムレット王の亡霊を見たとハムレットを呼び出します。

この亡霊は実はハムレットを陥れるために、ホレイショーが仕込んだ先代ハムレット王に扮していた何者かだったのです。

実はホレイショーとハムレットの母ガートルードは内通しており、ハムレットの弟クローディアスが邪魔になり、クローディアスを
殺そうとして結託していたのである。

その証拠に、ホレイショーたちには見えていた父親の亡霊がハムレットとふたりきりの時に母親には見えなかったが、実はハムレットをだますために、母親は見えないふりをしていたのです)。

というわけで、ハムレットを復讐の鬼とさせ、正気を失わせ、クローディアス暗殺を仕向けたのは、ホレイショーとガートルードであり、クローディアスは実は善良な男だったというわけです。

なぜならば、クローディアスはハムレットに優しくしていました。もし先代ハムレットを本当に殺していたのなら、その息子も邪魔なはず。。

クローディアスが正気を失い、おかしくなっていったのは、ガートルートに毒をもられていた、また、ガートルードとホレイショーの中を疑い疑心暗鬼になっていたから?

しかし、実はホレイショーはフォーティンブラスの密使で、デンマークを手中に入れるため、ガートルードも邪魔となり、デンマーク国の主要人物を皆殺しにするのが目的だった。

この陰謀にポローニアスとオフィーリアは運悪く巻き込まれただけ。

というわけです。。

あまり出来が良くないですね。。トリックの上田教授と山田にこの謎を解明してほしいものです。

 

 

 

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2019年7月10日 (水)

内野聖陽フィーバー

ゴールデンウィークにテレビドラマの「臨場」と「きのう何食べた?」が同時に放映されていて、主演の内野聖陽という俳優が、ふたつのドラマで同一人物とは思えないくらいの別人に見える演技で見入ってしまい。気になる俳優ナンバーワンになりました。

録画したこのふたつのドラマを、ヘビロテで毎日観ていて飽きない状態です。

内野聖陽 のことをそれまでは、ドラマ「仁」の坂本竜馬役だったな、と顔を知っているけれど、下の名前をなんと読むのか知らないほど興味がなかったのですが、NHKの大河ドラマ「風林火山」の主演を務めるなど、実力派の俳優だったのですね。

それ以降、アマゾンプライムで「エースをねらえ」を観たり(宗方仁が三次元に・・)、そして、ついにこまつ座の芝居まで観に行ってしまうくらい、熱狂的にファンになってしまいました。

先日はNHKBSで舞台「ハムレット」の放映があり、ハムレットを演じた内野さんの狂気の演じ方が、ジャックニコルソン並みかと?

しばらく目が離せません。

友人には夢中になれるものができてよかったね、オキシトシンがいっぱい出て若返られるよ、なんて言われました。

たしかに、人生に楽しみができて、よかった(笑)

 

 

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2019年6月27日 (木)

孤独の発明

著者 ポールオースター 新潮文庫

この物語は主人公が亡くなった父親の遺産整理に伴う父親の回想からはじまります。

昨年父を亡くした自分としては、わたしの父の場合どういう回想録を書くのだろうなどと考えながら読み進んだりしています。

本書の読書は遅々として進みませんが、ある文章が、目に留まりました。

昨今の引きこもり問題、父親が引きこもりの息子を殺してしまった事件が思い浮かびました。

物語では、精神が不安定で、学校に行くことも、働くこともできずにいるなんらかの精神疾患を抱える妹の現実をどうしても受け止めようとしない父親のことが描かれています。

引用したいと思います。

妹が極度の神経衰弱に苦しむようになってからも、父は相変わらず、どこも悪いところはないと信じていた。まるで娘の状況を認識する能力が、生来的に欠如しているように思えた。

R.D.レインはある著書のなかで、緊張病患者の娘をもった父親の話を書いている。病院に面会に来るたびに、父親は娘の両肩を乱暴につかみ、力いっぱいその体を揺さぶって、「いい加減目をさませ」とどやしつけたという。むろん私の父は娘の両肩をつかんだりはしなかった。だが本質的には父の態度も変わらない。父はよく言ったものだ。あの子に必要なのは、仕事を見つけて、まともな格好をして、世間のなかを生きてみることだ、と。もちろんそのとおりである。だが問題はまさにそれができないことなのだ。父は言った。あの子はただちょっと感じやすいだけさ。要は引っ込み思案を克服すればいいんだよ、と。問題をちょっとした性格のよじれに還元してしまうことによって、何ら深刻な障害はないのだと信じていられたのである。それは盲目というよりもむしろ、想像力の欠如だった。家はどの時点において家であることをやめるか?屋根が取り去られたときにか?窓が外されたとき?どの時点においてそれは瓦礫の山となるのか?あの子は少し変わってるだけだ、と父は言った。どこも悪いところなんかない、と。そしてある日ついに、家を囲む四方の壁が崩れ落ちる。だがそれでも玄関がまだ立っているかぎり、そこを通ってなかに入れば、わが家に帰りついたことになるのだ。星の下で眠るのも悪くない。雨なんか気にすることはない。どうせじきに止む。

この絶望的な父親の描写を読んで、引きこもりの問題を甘えやわがままと決めつけて、息子が世間に迷惑をかけるくらいなら殺してしまえという某弁護士のことも頭に浮かびました。

 

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2019年6月14日 (金)

健全な社会

「息子殺しを僕は責められない」というとある元政治家でもある弁護士の人権意識がひどすぎて、落ち込みます。

「息子が他人に害を及ぼすかもしれない状態です」と、病院なり、警察なり、自治体なりに全く相談してもいない。親、家族として思いつく限りの手も尽くさずに、おそらく見栄や外聞といった価値観が勝っていて、人に頭をさげたり、相談したりすることができずに、短絡的に息子を殺めてしまった殺人者の気持ちがわかると、正当化するような発言をしていて、法曹界の人とは思えません。

ここはどんな理由があっても殺人は断じて許されないと言うべきところでしょう。どうしたら殺人がふせげたのかを考えていただきたかった。

他人を殺すような家族は殺してもいいから、家族内で解決しろと、それでは司法の役目を全く放棄しています。

引きこもりの原因や理由は複雑です。単なる不良、甘えで終わらせようとしている。できるべき政治や福祉、医療に焦点を当てずに、現象だけを悪しざまに問題視する風潮は責任逃れです。

高齢者の事故だって、利益最優先で徒歩圏内の商店街や、電車や路線バスといった地方の交通インフラを台無しにしてしまった原因や理由があるかもしれないのに、事故にばかり焦点を当てて、免許返納させる、といったてっとりばやく簡単な方法で解決しようとしています。

引きこもりが悪い、高齢者の運転が悪い、と悪者扱いされて、肩身が狭くなる人々が増えて、それでみんな楽しくて、幸せなのかな?

そんなの健全な社会なのかな?

 

 

 

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2019年6月 5日 (水)

不寛容な社会と寛容な社会

不寛容な社会と寛容な社会、どちらが生きやすいのか。

ひとさまざまなようです。

強者は弱者を踏みつぶしてのし上がれるので不寛容な社会がのぞましい。

弱者は踏みつぶされっぱなしはいやなので、寛容な社会がのぞましい。

でも、今は強者の不寛容な人々も、けがや病気や天変地異や社会変化でいつ弱者の立場にまわるかもしれない。

そんなとき、自分がこしらえた不寛容な社会に絶望しやしないのでしょうか?

最近の引きこもりの起こした事件についての著名人のネットの言説で、ああ、この人は不寛容タイプだなと思った人と不寛容な言葉を書き留めておこうとおもいます。

小林よしのり:「人間を含む生物界は、弱肉強食が基本で、弱者が生き残れないのは自然だろう。人間ゆえに、強者が弱者を守らねばならないと、わしは思っているが、弱者が弱者のままでいいという社会は、実際にはない」

本当にないのかな? 弱者が弱者のままでも安心してくらしても良いというのが正しい人間の社会じゃない?弱者が生きられない社会は人でなしの住む、けだもの社会だよな。

東国原英夫:「拡大自殺、誘発された事例がどれくらいあるか示すべき」

舛添要一:「政府は必要な予算措置を。また個々人が防犯護身用具(防犯スプレーなど)を携帯するのもよい。若い頃柔道と剣道に励んだが、警察などでの護身術の講習も役に立つ」

橋下徹:「息子殺しを僕は責められない」

どんなに優秀な人でも、一度でも知事を経験すると短絡的な馬鹿になってしまう呪いでもあるのかな?

こういうことを他に言いそうな不寛容タイプに曽野綾子、石原慎太郎などが思いつくのですが、今回発言が見当たらない。ひょっとして、この人たちはすでに高齢者で弱者の泥沼に足をつっこんでいるためすこし寛容のありたがさに気が付き始めたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年5月30日 (木)

久しぶりのASIAN KUNG-FU GENERATION

家族の病気を理由に、長い引きこもり期を過ごしていたこともあり、かなり久しぶりに中野サンプラザのアジカンのライブに行ってきました。

ひとりで行ったのですが、とてつもなく満喫できました。

久しぶりだけれどいつも変わらない心がドキドキする、アジカンのステージ。もういちど聞けることができて、とても嬉しかった。

家族が健康だから、こうして一人でライブを見ることもできるんだなぁと。。

「こんなおじさんのライブに来てくれてありがとう」なんて言ってましたが、アジカンがおじさんなら、わたしはおばあさんだよ。。

わたしはもう、年老いて、一時間も立ちっぱなししていたら、足がパンパンになって疲れて坐りましたが。

ところで、ボーカルのゴッチ本人が人気がない曲ですといいながら唄った「サーカス」という曲をぼーっと聞いていたら

「滑舌のわるい彼のスピーチが終わるころ出口で合いましょう」という歌詞を聞いて

あっ、彼はあの人?とひらめいてしまいました。。

アジカンファンなら常識なのかな?

 

 

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2019年5月 2日 (木)

平成の大晦日と令和の元日

平成の大晦日と令和の元日の両日とも、とても普通に過ごしてしまいました。

平成大晦日は旅行先の長野の温泉地湯田中から戻り、自宅でごろごろ、夕方から高井戸の美しの湯の温泉につかり、オオゼキで買い物をして、

晩ごはんは高崎で買ってきたこんにゃく麺に豚肉、たまねぎ、ピーマンを加えたソース焼きそばに目玉焼きのせ。のみ。

令和元旦の日の昼間は平和島温泉につかりながら、浴室の大型テレビで式典の様子をみて、品川のイオンで買い物して帰宅。

晩ごはんは竹輪とぶなしめじと牛肉をバターとポン酢で炒めた料理とイオンで買ってきたクリームコロッケ(具材がなにも入っていなかった)。

大晦日も元旦もぼけっと温泉につかり、あまりに貧相すぎる晩餐を食べるという、とてもしょぼい両日だったので、忘れてしまいそうなので、記録しておきたいとおもいます。

 

 

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