2009年11月10日 (火)

サーカスの子供

著者 ジョンアービング 新潮文庫

この2週間はずっとこの「サーカスの子供」を読んでいました。

「ガープの世界」「ホテルニューハンプシャー」など、、読み応えのある本を世に送り出す作家だとわかっていたのですが、久しぶりに文庫で新刊が出ていたので購入してしまったら、、いや~~面白かったです。やはり読み応えたっぷりでした。本当に読書が楽しい2週間だったと思います。

(ただし、彼の作品には、必ずといっていいほど、リアルに性的で暴力的なシーンが登場するので、そういうところが嫌いという読者も多いとおもいます、本書もその他の作品にたがわず、そういうシーンが何度か出てきます)。

作者はインドには一ヶ月しか滞在したことがなく、本書を書き上げたといいます。創作って、物語ってこういんだよな。そんな風に思えた作品でした。

インドを舞台に、サーカス、不具な子供たちのための病院、富裕な人々が過ごす高級会員制クラブなどをメインの舞台に、主人公の整形外科医とサーカスの小人、映画監督や脚本家、俳優や女優などハリウッドの人々、イエズス会の僧侶、ヒンズー教徒、イスラム教徒、ゾロアスター教徒、連続殺人犯、ヒジュラという男でも女でもない立場で暮らす人々、売春宿、ドラッグの売人、エイズ患者などなどなど、が繰り広げるストーリーは、まるでアラビアンナイトを読んでいるかのようでした。

インドの光と影、富と貧困、東洋と西洋、人生観、哲学、生命、、いろいろなことを順繰りで深く考えてしまう、そんな複雑なストーリーになっていました。

あまりにも深刻な貧困や格差に手の施しようがない善良な心の持ち主は、自分の善良ではない身勝手な心に苦しむことでしょう。足が不自由な浮浪児を救いたいと思い、サーカスに入れようと奮闘している宣教師に、主人公の医者は、「そんなにあの子に慈善がしたいなら、どうして養子にしないんだ?」とそれは言わない約束のひとことを言ってしまう。。「宣教師は、それではあの子たちの自立にならない」と抗弁しますが、医師はその言葉に「空々しくて反吐がでるね」と切り替えします。(ぜひとも曽野綾子に言っていただきたいセリフです)

結局はいくら宣教師でも自分の身内でもなんでもないから、慈善は中途半端になってしまうのだろうか?出来る限り最善などというが、、どうかんがえても最善なのは養子にすることなのに。。それでは子供を甘やかすことになるんでしょうかね?

本書で何度か登場するイエズス会批判は痛快でした。ローマ法王は何故あんな豪華な法衣を脱ぎ捨てて、ジーパンでもモンペでもいいからラフな服装で困っている人たちを助けにいかないのか。豪華なステンドグラスのある教会など作らずに、そこは子供たちの無料学校や避難所にすればいいのに。神に祈るのに場所など必要ないと思うのに。いつも疑問に思っていました。カトリックはそういう宗派だからってことで納得するしかないのでしょうね。

(一部の仏教のお坊さんも偉くなると服装がど派手になるのも同様に疑問ですが、あれは仏教界のカトリックと考えればよいのでしょうか?)

本書の主人公の医者は徹底的に信仰嫌いでしたが、あるとき改宗してちょっとだけキリスト教徒になったりします。そのへんのくだりも非常に面白いです。

いくつか、心に残った節を書きとめておきたいと思います。

わたしはもう三十九ですよ。もし司祭になるんだったらとっくになってなきゃおかしいんです。三十九にもなって、まだ”天職を見つける”だなんて浮ついたことを言っているようじゃ、きっと駄目なんです。

天職かぁ、、世の中に暮らす三十九歳以上のひとびとはみんな天職についているのかなぁとふと考えてしまいました。

暴力は不変だ。いつだって、最後まで残るものは暴力なのだ。

インドで頻発する暴動に対する主人公の思いですが、、悲しい言葉でした。。

暴力や貧困、差別、、そんな世界で決して美しさを失わないもの、、それは夢想。。空想なのでしょうか?だとしたら、宗教や物語は世界に必要ということになりますね。

誰かと、この本について語り合いたいです。会う友人には必ず勧めてみようと思います。

ちょうどこの本に出会うちょっと前に、本屋で「できるかなシリーズ」を立ち読みして、作者の西原理恵子がインドでヒジュラのお祭りに行く話を写真入りで見ていたので、ヒジュラについてはすんなりとイメージが湧きましたが、本書だけだと日本人にはとてもイメージがわかないかもしれません。ニューハーフというか、オカマちゃんというか、そんな感じの存在ですが、宗教的な儀式に呼ばれ踊りや祈祷などをする畏怖される存在であり、同時にカーストの世界では最下位に属して差別される不可触賎民だということです。

本書を読むと、世界は広いな、大きいなと嫌でも思ってしまいます。本書のストーリー自体が小宇宙そのもののようにも思えました。

自分はいつかインドに行くことがあるのでしょうか?とても行ってみたいような、でもあえて行かなくてもいいような。。そんな気持ちにさせる一冊です。

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2009年11月 9日 (月)

沈まぬ太陽

「沈まぬ太陽」の映画を観てきました。

初めて週刊新潮に掲載されたのが1995年、文庫化が2001年ということですから、映画化に10年以上も要したわけですが、皮肉にも、政府主導のJAL再生計画の時をあわせたタイムリーな公開となったようです。(本映画は、実在の団体とは無関係のフィクションを唄っていますが、JALがモデルとなっているのは周知の事実なのではないでしょうか。)

周知の事実とはいえ、墜落事故は、1985年です。

かかりつけの美容室の助手さんは23歳で、日航機墜落事故のことを全く知らないと行っていました。平成生まれの若者たちにとっては、歴史上のお話くらいにしか思っていないのかもしれませんが、現在のJALの体たらくを見れば、この映画のストーリーは、過去のお話ではない、現在も続くJALの体質を物語っているように思えます。

JALはこの映画に警告を出し、会社のイメージを損なう可能性があり、法的な措置を検討しているということですが、そうではなく、JALが自浄努力の賜物として、この映画を全面バックアップの上、一体、何故この事故が起きたのか、検証も兼ねて、ノンフィクションとして公開してもらえればと思うのですが、おそらくは長い間官僚のもっとも美味しい天下り先であり、利権の花園でもあるJALがそう簡単に過去から現在までの内幕を包み隠さずディスクロージャーを行うとは思えません。

ところで、原作は数年前に会社の同僚、今では、ちょくちょく新橋に飲みに行くS男に借りて読みました。本書を借りて、感想を語り合ったことが、仲良くなったきっかけといってもよいと思います。それから、新橋での飲み会では、いろいろな社会問題でかけ離れた意見で長い時間激論を交わす間柄になったのです。S男の会社も多くの官僚が毎年のように天下りしてくる半分官庁のような旧体質の大手電気メーカーで、「会社にたてつくとナイロビに飛ばされるかもしれないから、おとなしくしなさいよ、でもナイロビに飛ばされたら必ず遊びにいくからね」と冗談を飛ばしたりなどもしました。

それにしても、この映画は、個性派俳優で固められておりますが、アイドル出さなきゃだめでしょ。何故か?23歳の若者は、御巣鷹山で何があったかを知らないのです。多分、渡辺謙、石坂浩次、加藤剛、三浦友和が出演している映画をあえて観に行かないでしょう。

若い頃の恩地役の渡辺謙や行天役の三浦友和、松雪泰子、鈴木京香などを、若手のアイドルにするだけで、若い視聴者が足を運んだのに。。それだけが残念です。。まぁ、だからと言って、ストーリー全体を理解してくれる若者ばかりとは限らないかもしれないのですが。。今大人気のアイドルって誰でしょう?水嶋ヒロ?小栗旬?三浦春馬?うーん?

東大出たエリートで、会社の労組の委員長役という赤い役がこなせるような若手の人気俳優っているのかなぁとちょっと考えてしまいました。。

ちょっと脱線してしまいましたが。

要するに、何とかして、この事故を、風化させたくないと思うのです。

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2009年11月 6日 (金)

桜と菜の花、紅葉と桔梗

ヒルクライム の「春夏秋冬」 がラジオでしつこくひつこく流れています。

そのため、脳内が「今年の春は~どこいこうか~」という曲につい占領されてしまうのですが、なぜか、そのまま中島みゆきの 「あざみ嬢のララバイ」の「春は菜の花 ~秋には桔梗そしてあたしは いつも夜咲く アザミ~」に変換されて脳内に流れてしまいます。

ふたつの曲は、どこかしら、旋律が似ているのでしょうか?

面白いのが、ヒルクライムは春といえば桜、秋といえば紅葉なのですが、中島みゆきだと春は菜の花、秋は桔梗なんですね。。

詩心については中島みゆきに軍配かと。。

でも、文化勲章もらっちゃう中島みゆきにはちょっと違和感ありますが。。そんな「時代」なんですね。。

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2009年11月 4日 (水)

祖母と個人タクシー

長く認知症を患い、今では食事もできず、鼻からの栄養剤補給で命をつないでいる寝たきりの祖母の若かったころのことを、最近よく思い出します。

ぼんやりと道を歩いたりしているときに、ふと、とても鮮明に祖母がまるで目の前にいるかのように思い出すことがよくあります。

個人タクシーに乗ると、必ずといっていいほど思い出してしまう思い出があります。

私が小学生のころの話ですが、ある所用があり、千葉の津田沼駅前からタクシーで目的地に向う必要がありました。

わたしも、祖母もとても田舎に住んでおり、個人タクシーという業態のタクシーが存在しません。そこで、とても珍しく思った祖母とわたしは、「個人タクシーだって、乗ってみたいね、乗ってみようか」なんて無邪気にそしてとてもワクワクした気持ちでタクシー乗り場からタクシーに乗り込んだのです。

ところが、このタクシーの運転手はというと、目的地が駅から近いということで、道中、ずーっとブツブツと文句を言い続け、祖母と私は車内でずっと小さくなっていました。それが乗車拒否であったことはのちのち気がついたのですが、子供心にとても心細く、怖い思いをして、そして、祖母もとても怖かったのではないかと思い、切なくなります。

なぜ、あの運転手さんはあんな言い方をしたのでしょうか、、近距離で乗車する、非常識な客にイライラしていたのかもしれないですが、遠方から来て、その目的地が駅から近いかどうかも不案内な客だったのです。この出来事から、何年、何十年も経ち、、とっくの昔に大人になった今でも、個人タクシーは恐ろしい、、というイメージが付きまとい、タクシー乗り場でたまたま個人タクシーに当たってしまうたびに、不安に思ってしまうのです。

それと同時に、若い祖母にも怖い思いをさせたあのタクシーの運転手は今頃何をしているのだろうか、、とっくに引退して、ひょっとしたら祖母のように認知症を患っているか、それともとっくに他界しているのでしょうか。

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2009年11月 2日 (月)

トータス松本ソロライブ

トータス松本の初ソロライブの最終日10月26日に渋谷CCレモンホールに行ってきました。開演が18時30分と平日の夜の時間帯としては早くて、30分も遅れてしまい、一番聞きたかった「明星」聞けず哀しかったです

、、そしてウルフルズ時代と変わらずに演奏時間はメチャメチャ長かったです。。

自分の体力的には、スタンディングでライブは1時間半が限度なので、ソロになったことだし、演奏時間をもうすこしコンパクトにしていただけたらと。。思うところなのですが、熱烈なファンやはりウルフルズ方式で、ひとつの曲を思いっきりひっぱるひっぱる、、そんなテイストを支持されているのでしょうか?

そしてウルフルズ時代同様に、、アンコールの拍手が鳴り響いても、、トータスがなかなか出てこない。。(さすがに「トータスに会いたいか~?」は無かったですが。。。)

ウルフルズの初生ライブを観たのは、1996年の代々木体育館での奥田民生のライブのゲストでとして登場した時からですから。。ファンとして、、なんともいえない歴史を感じてしまいました。。

今回のライブを聞いて。。トータス松本がやりたかった音楽はこれなのかぁ・・・そうかぁと思いながら、、これは、、ウルフルズでやれなかったのですね、、というその理由がよくわかりませんでした。。ブルースとか、ジャズっぽい曲が多かったような気がして、、ロックっぽい曲は減っていたと思うのですが。。それでも、今回のソロライブも、ライブが進むにつれて、徐々にウルフルズ色が濃くなっていったように感じられたからです。。

一曲もウルフルズ時代の曲は歌いませんでしたが、、歌ってほしかったな。。ウルフルズじゃない、トータス松本のバンド。。違和感がまだあります。

それにしても、トータスは本当に元気だなぁ。。私も体力つけないと、、(最近は誰のライブに行っても、帰ってくるといつもそう思っている気がします)。

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2009年10月27日 (火)

これは納得いかない

今日は4年前に急死した友人M兄の命日です、こころ安らかに彼の思い出を偲び、命日を過ごしたい、そんな気持ちでいたのに、、

突然の朝のニュースで、その心の平安は打ち砕かれてしまいました。

以前、彼女の死にたいひとには重労働を発言を読んで以来、その品性の卑しさを何度も見聞きしてきた老女こと曽野綾子。

最近も、本屋を通りかかったとき、彼女の著書「弱者が強者を駆逐する」というタイトルがたまたま目に入ってしまい。心の冷たい上から目線のおばあさんが、まだこういう弱いものいじめの文章を書き散らかしているんだなぁと、、ヤレヤレとため息をついたばかりだったのですが。(こういうタイトルって、自分が強者と思っていなかったら思いつけませんから、それだけでも、とても傲慢な人物だということがうかがえます)。

経団連の御手洗会長に、人間性無視の経営について苦言を吐いたばかりの亀井静香が品性の卑しさが顔前面に現れている曽野綾子のことを彼女は憧れの人だったと申している。。これまで、自民党・経団連のマスコットおばぁちゃんであり、格差社会を助長してきた立役者の一人、そんな曽野綾子が、なんとなんと、なんと・・・こともあろうに・・・・日本郵政の役員人事で曽野綾子氏が取締役就任。。。自分の発言とどれほど乖離した人事かということを気がつかないなんて、、亀井静香には結局、自民党精神の持ち主なんですね。がっかりです。

このところ、不運な出来事が立て続きに起きて、小さいことでもくよくよとしながら日々を過ごしておりますが、、よりによって、M兄の命日にこんなニュースを聞かなければならないなんて、なんて最悪なのでしょうか。

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2009年10月23日 (金)

不眠症

深夜の2時に無言電話

おそらく間違い電話なのでしょうが、寝たきりで入院中の90歳過ぎの祖母になにかあったのかと、驚いて目を覚ましたっきり、朝まで眠れなくなってしまいました。

頭の中が運動会のように脈絡のない思念がよぎり、全く眠れず。。カラスの鳴き声とともに夜明けを迎えてしまいました。。

こんな不眠が何日も続いてしまったら、人は生きる気力を失って、死にたくなってしまうのではないかと、ふと思ってしまいました。

夜明けに、すこしうとうとしたときに、5年近くずっと疎遠になっている友人Mが夢にでてきた、懐かしい顔、、夢の中でも逢えてとても嬉しかった、そして目覚めてそれが夢だったことが哀しかった。

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2009年10月20日 (火)

向日葵の咲かない夏

著者 道尾秀介 新潮文庫

本屋さんの目立つ場所に平積みされていたりするのをよく見かけましたので、読んでみました。未読の方は、面白さ半減するだろうネタバレ満載の感想です。。

えええっっつという展開なのですが、読者の受け止め方が2通りあって、一つは結局はルースレンデルの小説によく登場する、妄想の世界に生きる精神の異常な人間が起こす悲しい殺人事件というストーリーとしての本書。もうひとつは、ファンタジーというか、スピリチュアルというか、実際に殺されたり、死んだりした人間が生まれ変わって蘇えり、主人公にミステリーについてアドバイスを与えながら謎を解決していくというストーリー。。(生まれ変わって転生するのが、昆虫や蜘蛛だったり爬虫類(トカゲ)やら植物(百合)、哺乳類(猫)だったりするのですが、なぜか体の大きな熊とか馬とかもちろん人間とかには生まれ変わらないところなどから(話の構成上、主人公が親にかくれて部屋にこっそり隠しておけないから?)推測すると、やはり転生はなく、すべて主人公の妄想というストーリーとして読むのが正しいのかもしれません。生まれ変わった友人や妹が、コアラとかパンダとかアルパカやレッサーパンダなどに転生してくれて、主人公の家まで訪ねてきてくれたら、ストーリーはメルヘンになったのに。。。なんて。。

全体の感想としては、なんだか、とても薄気味の悪い小説でした。作者は、本書に登場する教師、岩村先生に実際の性格というか、精神面が近いのでしょうか?ある意味、変態じゃなければ、こういう小説をあんまり考えつかないような気がしてみたり、しなかったり?バタイユとか、夢野久作とか、江戸川乱歩とか、そっち系のファンを選ぶ小説家なのでしょうか?

このストーリーは、最後に刑事や精神科医がでてきて、実はこのトリックはこうだったのだときちんと解説してくれたほうが、おおそうだったのかと、もっと面白くなるような気もしてしまうのですが、、その刑事や精神科医の役は読者がご自由にどうぞっていうことなのでしょう。

そういういえば、先日読んだ夏目漱石の「こころ」もそういう中途半端な小説でした。どうして作者が生きているうちに、詳しく解説やら続編を書いてもらえなかったのか、不思議なほどです。

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2009年10月19日 (月)

こころ

著者 夏目漱石 角川文庫

先日文庫版「こころ」がブックオフで105円で売っているのを発見し、、夏目漱石の本を売る輩がこの世に存在するのかと、、本棚から救出しました。

といっても、「こころ」って良く考えたら高校の教科書以外でちゃんと読んだことなかったかもしれない。。と思い読み早速読みました。。

本書、実は、アンタイラーの「もしかして聖人」に似ているストーリーだったのです。

自分の思慮の欠けた言動で親しい人が自殺に追いやってしまったと思い込み、、何年もの人生を幸せになれずに深く思い悩むストーリーです。

「もしかして聖人」の方は、兄が自殺したときにつきあっていた彼女と別れてしまいますが、本書の先生はそのまま結婚してしまう違いはあるのですが(なんとなく、友人の自殺の原因の理由の一部が交際中の彼女であった場合、その彼女とは結婚できなくなってしまうような気がしますが、ここで結婚してしまう先生の精神状態というか、結婚させてしまう夏目漱石の意図が不思議です。でも、西洋のオペラにも似たような話があったような。。兄や友人の命よりも恋人優先?)

「こころ」の主人公にしても、「もしかして聖人」の主人公にしても、本当に自分が原因の自殺だったかも定かではないのに、ずーっとずーっと思い悩みます。

人として当然なのかもしれませんが、一国の総理で国民の命を守る立場にいる人物なのに、異国で拉致された自国民の前途ある若い青年を「自己責任」という法律でもなんでもないひとことで見殺しにした直後でも、平気でプレスリーの真似をしたり、ウルトラマンの声優をしたりする図太い人物もいる世の中ですから、それを考えると、この本に登場する「先生」の繊細さは度を越しているようにも思えます。「先生」の性格が元総理Kと一緒だったら、100年間読み続けられている「こころ」という小説は誕生しなかったわけですけれどね。

「もしかして聖人」のイアンは「人は誰でも誰かの人生に影響を与えているんだよ」という言葉に救われますが、「こころ」の先生は、誰かにそのような言葉をかけてもらう前に、遺書を残して旅立ってしまいます。

自分がKの自殺で何年も苦しんできたというのに、妻や主人公の私を残して自殺するというのは、どういう理由なのでしょうか。妻や私も同様に思い悩むかもしれないのに、です。「行人」に登場する一郎と同様に、この先生も、自分が世界中心にいて、自分以外の人物は自分の付属物のように思っていた人物として、夏目漱石は考えていたのでしょうか。

「こころ」に登場する先生は、はやく心理カウンセラーや精神科医などに相談していたら、自殺をすることもなかったのかもしれませんが、ひょっとしたら、先生が好きだったのはお嬢さんではなく、Kだったという、ボーイズラブ系のストーリーとして読み解く人もありそうです。

本書の冒頭で鎌倉で一緒に泳いでいた西洋人も、先生の恋人の一人だったのでしょうか?

夏目漱石研究家は山のようにいるようですから、きっと既に様々な推測や解釈がされているのでしょう。

本書は、前の持ち主が、ずいぶんと赤ペンで傍線を振っていましたが、傍線を振っている場所が、統一性がなく、意味不明なうえ、後半の「先生と遺書」では全く赤線がなかったので、ひょっとすると、「両親と私」の章で挫折→ブックオフへ売り飛ばしだったのかもしれません。せめて、傍線+書き込みしてくれていたら楽しかったのに。。

「こころ」は人と感想を語り合いたくなるような本だと思います。

読み終わったら、ブックオフに売り飛ばさずに、友人知人に譲り渡すことを是非お薦めしたいと思います。

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交際術

わたしの一番好きな作家、アンタイラーの小説には、気難しくて、人づきあいが苦手なひとびとがよく登場します。

そして、やはりかなり好きな作家、夏目漱石の小説にも人との付き合が下手なひとびとがいろいろと登場します。

かといって、その登場人物たちは、人とのつきあいが決して嫌いなのではない、人と一緒にいたいし、ただ、人付き合いが下手なだけで、臆病になっているのです。本当は上手に人と付き合えるようになりたいと思っているのです。

アンタイラーや夏目漱石の登場人物にとても共感してしまうのは、やはりわたしも交際術が不得手なのだからだと思うのです。

でも、人と会うのは嫌いじゃない。。むしろ人と会っている時間がとても好きです。

実際、先週の木曜日から3連チャンで友人と深酒してました。

木曜日は大学時代の友人T氏が出張で広島から上京するというので、久しぶりに表参道の居酒屋で11時過ぎまで飲み、たあいない話で旧交(?)を温め。

翌日の金曜日はかつての同僚E嬢と銀座の居酒屋ではなんと、6時半から11時半過ぎまで5時間もビールを飲み続け。。。(ふたりともなぜか別れ際に酔っていなかったから不思議)

土曜日は、いつもの飲み友達N嬢と六本木の寿司屋で5時からビール・ワインなどしこたま飲み。。

3連チャンとなると、肝臓も疲れますが、神経も高ぶります。飲んでいるときは楽しいのですが、、別れたあとにとても寂しくなるのです。。

他の人々は、どんなことを考えて人と交際しているのでしょうか。深く考えずに付き合えているのでしょうか。

そんなことを改めて考えるのも、最近、夏目漱石の「こころ」をじっくりと読んでしまったからなのかもしれません。

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