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2008年8月18日 (月)

お盆考

我が家の実家はとある商売をしており、夏季は繁忙期なため、お盆には帰省をするなという風習がありました。今年両親がついに廃業をして隠居生活に入ったため、漸くお盆に親戚一同が集うという行事を行うことができました。。墓参りをして、親戚のおじおばやいとこが集まってただ宴会をしただけなのですが。

そういうわけで、10年前に他界した祖父の墓参りに、お盆の時期にははじめて行きました。

とはいえ、宗教嫌い(神様や仏様を信じていないわけではないです)のわたしは、お墓に祖父が眠っているとか、お線香が仏様のご馳走だと信じているわけではありません。

常に祖父はわたしの周りに偏在していて、なんといいますか、祖父のことを考えるだけで心が温かくなり、悲しくやさしい気持ちになるのです。いつでも祖父に見守られて、祖父がどこかから自分の安全を守ってくれているのだといった気持ちでいるので、お墓も仏壇もわたしには重要ではないのです。

そういう宗教観の自分ではありますが、それでも、せっかくのお盆に帰省をしましたので久しぶりに墓参りに行って参りました。

祖父の葬儀の際に、このお寺の坊主の発言にはひどく気分を害されましたので、坊主憎けりゃ袈裟まで。。ならぬ、墓まで。。なのかもしれませんが、祖父のお墓参りはいつも良い気分にはなれません。

あんな、じめっとして、陰気で、線香臭くて、墓石や卒塔婆なんて怖いし。。あんな場所に永遠に眠りたいとみんな本気で思っているのだろうかと墓参りの度に思ってしまいます。

お墓はお寺や神社や教会や葬儀社などと結託せずに、家族が選ぶ好きな場所、そこがお墓だ制度があったらいいのにななんて夢想してしまいます。。

先日見た映画「最高の人生の生き方」のように、チョモランマの頂上に埋葬でもいいし。音楽好きのひとはコンサートホールの壁に、、とか、野球好きなら球場のバックスクリーンの後ろ。。とか。。(お墓を暗くて怖くて寂しい場所にするのではなく、常に生活の近くに偏在する常に明るくて、にぎやかで、美しい場所にしてくれていたらいいのに。。なんて思ってしまいました、あんまり明るくてにぎやかだと、死人が永眠できないって言う人もいそうですが。。)。一番良いのは自宅葬が理想なのですが。。墓地埋葬法なんて無体な法律があって叶いません。。

火葬場での骨をひろう行為は悲しみに満たされていますが、身内の人骨については、恐怖心などは一切ないとおもいますが、、やはり知らない人骨が生活の周辺に存在するのは気持悪いのかもしれません。。そういう理由で現在のお墓システムのように、隔離政策がとられているのでしょうか?自分が死んで、骨になったときに、忌み嫌われる存在になるのかと思うと、なんだか悲しいですね。

などと、お盆について、いろいろと考えてしまいました。

ところで、ことし一月に亡くなった友人は新盆でこっち側に帰ってきていたのかなとやはり考えてしまいました。彼はいろいろと宗教については一過言ある人だったので、どうなのかな?やはり常に偏在型を選んだかもしれません。(または、既に生まれ変わってしまったかもしれません。。)

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