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2008年10月30日 (木)

累犯障害者

著者 山本譲司 新潮社

本書は公設秘書給与不正詐取の罪で実刑を受けた元国会議員の著者が、服役中に出会った累犯障害者の現状にふれ、福祉が行き届かず不幸にして犯罪を犯してしまう障害者の問題について実例を交えて真摯に詳しく語っています。必読の一冊です。

著者のようなまともに、庶民の実生活の問題に取り組む人物が政治の世界からはじきだされて、庶民の実態とはかけ離れた貴族のような人物ばかりが政治家になっていくこの日本は住井すえの「橋のない川」の時代、100年前から文化的に一歩も進歩せずに、むしろ後退しているなぁと思いました。

人間とほかの獣との違いは、文明だと思っていました。

文明とは、暴力を使わない、争そって傷つかない方法を考える、人は動物と違い、競争では勝ち負けは決められないということを知り、いろいろな能力の、いろいろな主義主張の人間が、強い能力や腕力や知力を持っている人々と平等に安心して暮らす方法を考えることかと思っていました。

お金儲けの方法を考えて、悪知恵と時にはコネや暴力も駆使して出来るだけ沢山のお金を手に入れることができた人間だけが、安全で安心した場所で生活ができるが、お金儲けなどに興味はない、大きな家にも綺麗な服にも、権力にも興味がない、誰とも争いたくない、平和な、安全な場所で、ただ最低限の衣食足りる程度に働いて、あとは雲をみて、ぽかんと暮らしたい、それだけなのに、そういう考えの人間は安全な場所に住むこともできない、そして強い人間に虐げられて、人権も蹂躙される、日本はそんな国ではないはずです。(よく、曽野綾子がアフリカの貧困国では競争に勝てない人間は死が待っています、日本人は甘えているのです、なんて言っていますが、良く考えてください。どっちの国が文明的ですか?人が甘えていても生きていける国、それは素晴らしい国ではないのでしょうか?)

最近の文明的ではない野蛮な発言をした例として、大阪府知事の橋本徹氏の発言があります。

彼は私立高校の助成金の問題について、高校生(子供)に対して、「日本は弱肉強食の世界です、すべてが競争です。教育よりも道路が大切です、お金がなければ公立高校に行けばいい、公立高校に行く能力がないなら義務教育ではないのだから高校にいかなければいい。それがいやなら日本から出て行ってください」というような内容の無慈悲な発言を涙まで流して抗議する高校生相手に繰り返していて、驚きました。

日本はそんな国ではないはずです。

いつから一介の府知事が勝手に子供を日本から強制退去できる国になってしまったのでしょうか。

この橋本氏のニュースを聞いて、昔、大学時代に家庭教師として勉強をみていたGちゃんを思い出しました。

彼女は中学1年生で通信簿は「オール1」でした。割り算どころか足し算引き算もできないし、アルファベットも知らない。

決して知的障害者ではない、話は通じるし、すべての生活行動をひとりでキチンとできる。ですが、どこかでオチこぼれてしまった。そもそも学習する方法を知らずに育った子供だったのです。

家庭環境が悪く、ほとんどネグレクトの両親を持っていました。家庭教師というよりは、それこそ乳母代わりに雇用されたのかと思えるほど、勉強以外の学校の相談も常時乗り、彼女の学校の日々の出来事に耳を傾けたりしました。

家庭教師として契約していた時間外の課外授業がほとんどでした。そんな家庭教師役を彼女が中学を卒業するまで約2年間続けました。

3年間、相変わらず勉強はさっぱりでしたが、でも、勉強は嬉々としてやっていました。計算問題や、アルファベットの書き取りも好きでした。覚えることに喜びを感じ始めていたのかもしれません。

彼女と出会ったころいわゆる彼女はヤンキー少女でした。喧嘩や夜遊び、暴走族との付き合い、校内でも暴力的で反社会的な行動ばかりを繰り返していたようです。ですが、わたしと勉強中は反抗的な態度もなく、、精神的にも落ち着いていた様に見えました。

あるとき、学校の先生が彼女に対して「卒業させてやるから学校にこなくていい」と言ったことがあります。彼女は勉強はできなくても学校は好きだから学校に行きたいと私に相談してきました。親はネグレクトなので相談できません。結局わたしは学校に抗議の電話をして彼女の担任と話をしたこともあります。「教育原論も読んだこともない、親でもない一介の大学生が教育に口出しするな」と一蹴されてしまいました。

それでもなんとか彼女は学校に通い、卒業し、無事私立の女子高に入学しました。結局中退して夜間高校に通うことにしたと連絡が届いたきり、彼女の消息が途絶えてしまいました。

わたしは、かつては教師になりたいと思っていた時代がありましたが、たった一人の少女もまともに教育できなかった自分には教師になる資格はないと思い、結局教職取得自体を諦めてしまいました。

数年後、20歳になった彼女から電話がありました。車の免許を取ったから乗せてあげるという連絡でした。最後に彼女にあってから数年立っていたと思います。

ひさしぶりにあった彼女は尖ってツッパッていたころのキツイ表情はなくなり、可愛い女の子に成長していました。彼女は車の免許が取れるくらい、通常の知能の持ち主だったことも証明されました。そしてかつて親身にしてくれた大人に恩義も感じることもできるまともな子供だったことも証明されました。

わたしは彼女にもっといろいろなことをしてあげられたかもしれないのに何もできなかったという後ろめたい気持ちで過ごしていたので、この連絡に驚き、また嬉しかったです。

橋本徹は学力テストで子供たちの何を判断しようとしているのでしょうか。

学校の教育を知りたいのだったら、大阪府の全ての子供たち一人一人と、最低でも数ヶ月は一緒に暮らして、テストの点数が悪いのは、怠け者なのか、能力がないのか、障害があるのか、悩み事があるからなのか、初等教育の段階で家庭環境などの補助が得られず、学習というそもそもの方法を覚えることができなかったのか、または日教組が悪いのか、一人一人の子供たちを知ってから判断していただきたいとおもいます。

橋本氏の競争とは恵まれた環境で生まれ育ちたっぷりと愛情と教育をそそがれた能力のある子供、もしくは類まれない反骨精神の持ち主vsその他という競争です。これで教育はOKというのでは、こどもたちの格差は簡単に広がってしまいます。彼のこの高校生との対談を聞いて、はっきりいって、ごつん、とゲンコツをしたいのは、あなたですよ、本当にもう、と思いました。

教育は競争ではないのです、オリンピックでもありません。子供たちが健全に学ぶ環境は大人が責任を持つものだと思います。

7人も子供がいるのに、どうしてそんなこともわからないのか疑問でしょうがありません。

トリイヘイデンの「シーラという子」をはじめ、彼女の著書を数多く読んでいて、家庭環境や障害などの問題のある児童が貧困や犯罪者の人生に導かれていってしまう事実を知っていました。このような問題が日本にもたくさんあるのだろうと不安に思っていましたが、現実に具体的に知ってしまうと、やはり呆然と、やるせない思いで一杯です。

本書の内容を読むにつれ、山本譲司氏のお子さんは父親のことを誇りに思っていることでしょう。(ただし、あまりにクリーンで潔癖で正論ばかりを言う父親は思春期の男の子にとっては煙たいかもしれませんね、実際の山本氏は実はいいところもわるいところもある人情味溢れる人物であり続けて欲しいと思いました)。

本書を読むと、、この日本はどんな未来に向っているのか、、真面目に国民ひとりひとりが政治に関心をもつべき、最終ゴングがなってしまったように思います。

「わたしの指図に従わないなら日本から出て行ってください」。。もしかしたら、自分が選挙で選んだ政治家からそんなこと言われる日がくるかもしれないんですよ。

いや、出て行きたくないです。日本で生まれ日本で生まれ育ったのですから。。

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2008年10月28日 (火)

イラク、米軍脱走兵、真実の告発

著者ジョシュア・キー 合同出版

本書の原題は「The Deserter’s Tale」です。

先日ボリスヴィアンのLe déserteur(脱走兵)の歌詞を読み、曲を聴いたばかりでしたので。今月は脱走兵に縁がある月だなぁと思いました。

とにかく、反戦主義(戦争はダメ)・好戦主義(戦争は必要)どちらの主義主張を問わず、一度本書を真面目に読んで欲しい。そんな一冊です。

大抵の戦争・紛争は、実質的な争いごとの発端(戦争をしたい、戦争をしようと思った)当の張本人と、実際に戦場で戦う戦士がまず100%の確率で一致していないので、わたしは、現在のほぼすべての戦争を否定します。

もしもブッシュや小泉がご自分のリアルその手でにっくきフセインのクビに縄をかけ、ご自分の手で留置所に案内し、取調べをして、拘束し、そしてご自分の手でフセインを殺害する、それくらいのことをしていたら。。ふーむと考えたかもしれません。

ですが、歴史をなんど巻き戻して再実行しても、ブッシュも小泉も自分のその手でフセインを拘束し、そしてフセインの首を絞めるなんてことはしなかったでしょう(ふたりともお坊ちゃんなので。。いえいえ、小泉元首相は日本国民の香田さんが自分の言動の結果空しく虐殺されたことを気にもとめずに平気でボーリングで遊んでいるご気楽な様子ですので。。ひょぅとしたらフセインの絞殺は彼だったら嬉々として自分のそのふたつの手で行ったかもしれませんね。)

アメリカのイラク戦争を全面的に支持して、国連決議を無視して自衛隊を派兵して戦争に加担した日本人は、本書で語られるイラク市民への殺害、略奪、人権蹂躙、暴行に間接的に加担をしてしまったことになるのですから、心して読まなければならないとおもいます。NHKの特集でも著者のインタビューを取り上げたということですが、いかにアメリカのイラク戦争がまちがった戦争だったかが本書でよく理解できるとおもいます。

わたしの好きな山下清も良心的兵役回避者だったと思います。

まともな人間は良心に反する戦闘からは離脱してもよいと思います。それが結果的に自国を守れないとしても、自国の起こした戦闘が良心的に間違ってると思う戦闘だったら回避することにどのような問題があるのでしょうか?

作者は、現在脱走兵として、米国政府から犯罪者として追われており、カナダに潜伏して、難民認定を求める裁判を継続しているとのことです。まだ若い青年とその家族が、このように心身ともに不安定な情況に追い詰められる、アメリカの理想というのはいったいどうしたことなのか、理不尽に思いました。

ボリスビアンは、「大統領閣下、人の血を流したいならご自分でどうぞ。」と唄っています。

本書で著者は、100万のアメリカ兵がひとりのこらず良心的兵役拒否をしたならば、ブッシュ大統領、あなたは自らイラクに出かけ、生命の危険の保障のない危険な地域でテロリスト容疑者の家に爆弾をしかけ、夜襲をかけて、家宅捜索し、罪もない家族や子供を拉致したり虐待したりするのでしょうか。あなたはそんな役目をご自分で請け負うのでしょうか。。と問いかけています。

余談ですが。ちょうど先日みかけたテレビ番組で、ゴルバチョフ元大統領がイラク戦争はまちがっていると発言していましたが、そのわりには小泉元首相を評価するような発言もしており???ん、ゴルビーちゃんとわかってるのかな、それとも、放映した番組が勝手に吹き替えしているか?って疑問に思うような場面がありました。

本書は、とにもかくにも、是非一読していただきたい一冊です。

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2008年10月27日 (月)

三年過ぎても

今日は友人M兄がなくなって三年目の命日。

供花をお送りしたら、M兄のお母様からお電話をいただき、少しお話をしました。

三年たっても悲しみも寂しさも増すばかりで消えない。

知り合って1年あまりの友人のわたしがそうなのですから、ご両親の悲しみや寂しさは果てしないと思います。

毎年命日の日にM兄のお母様がわたしの知らないM兄のことを少しずつ話してくださいます。

そしてわたしの頭の中にM兄はもっと色濃く逞しく存在するようになります。

今日の会話の最中で、意図せずに、お母様もわたしも同じことを言いました。

「声が聞けないこと、それが一番寂しい」

思い出や写真はあるけれど、話が出来ない、声が聞けない、これだけはどうしもうもない悲しみなのです。

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2008年10月25日 (土)

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない

著者 町山智浩 文藝春秋

この本はアメリカの話なのですが、読んでいると日本の話なのではないかと肌寒い思いがします。

■ほとんどの国民が政治・経済に無関心で頑なに保守的。

■一部の特定な宗教の狂信的な信者が選挙での有権者として政治団体を支えている、政教分離に一致して無いと騒がれてはいるが無視。

■国民の政治・経済に対する無関心をよいことに、党に献金する大企業優遇政策を邁進し、それと引き換えに、公的年金や公的健康保険を民営化しようともくろむ。民営化してしまえばすべて自己責任となる。でも有権者には自由な競争は国民を豊かにするのだと嘘をついて強引に民営化にシフトしてしまう。

■ヒロシマ・ナガサキと聞いてなにを思い出す?「柔道」とこたえる(日本人の若者も最近ではヒロシマ・ナガサキに原爆が落ちたことを知らない若者が増えたというので笑えない話です)。

以上は本書で語られるアメリカの話ですが、これだけ読むと、日本の話かと思ってしまいます。

本書のタイトルで、アメリカ人はニューヨークの場所を知らないといいますが、日本人だって日本地図を見て、東京を指せ、と言われたら神奈川や埼玉を指す人結構いるんじゃないでしょうか。なので、本書のタイトルはちょっとアメリカ人に失礼なキャッチーなタイトルな気がしました。

また、本書でアメリカ人はイラクの場所も正確に指せないなんてことも言っていましたが、これもアメリカ人に限った話ではないと思います。おそらく自衛隊を派兵した日本人の半分以上がアフガニスタンの場所もイラクの場所も指せないのでは?

本書を読むと、アメリカは私たちが頭に思い描く自由とポップの国を享受できるのは一握りの金持ちだけの特権で、一般の国民は古い因習とがちがちの価値観、政府の強力な権力が支配する恐怖の国に生きているということ。国民に対する支配体制は旧ソ連のようではあるが、社会保障や金融規制だけは自由主義で貧困や無教育を放置という、権力者や大金持ちだけが都合の良い奴隷容認の専制国家のようになってしまったように思えます。

ですが。。今後もアメリカは変わらない、、なぜかというと国民のほとんどがニュースも新聞も見ない、政治にも経済にも今後も興味を持つ事がないから。そして、現実は違っても自由とポップの国だと信じて生きている。どうしてこんなに生活が苦しいのか、ひょっとしたら政治が悪いのではないかと思うけど、でも深く考えるのは面倒。。そんな状態が続くかぎりは、アメリカは変わらないし、、日本も変わらない。。ますますの暗黒時代へまっしぐらなのだと思います。

この本を読むと、今のアメリカはゴールディングのリアル「蝿の王」状態だなぁと思いました。

本書はアメリカではなく、日本を知るために必読の書かと思いました。

以前アメリカ人の友人に確かめたことがあり、そのこともこのブログで書いたのですが。友人の話では、アメリカはかなり不自由な国だと言っていました。

(後記)この記事でアメリカは変わらないと書きましたが。民主党オバマ氏が大統領に当選しました。アメリカはひょっとすると変わるかもしれません。ニューデールのような公共事業を拡大し、政府が介入して、大企業や金持ち優遇の政策とは正反対の政策を取るようです。大改革です。言動がこれまでのブッシュと全く異なりクレーバーな様子が伝わってきます。このクレーバーさが真に国民の利益につながってくれることを願います。これまでアメリカ追従の新自由主義を謳歌してきた日本の大企業には不利でしょうし、石原都知事はそうコメントしておりましたね。アメリカの圧力団体不利の政策に乗り出した大統領が過去に暗殺されてきた歴史を考えると。。彼には、無事に就任してもらい、どのような手腕でアメリカを変革するのかを是非見てみたいと思いました。

これまでは、ブッシュと日本の首相・閣僚の知能レベルは同程度だったのでなんとかアメリカと話が通じていたとおもいますが、これから、オバマ大統領の時代になると、日本の閣僚の馬鹿がバレバレになってしまいます。今後は日本ももうすこしクレーバーな首相・閣僚でないと、アメリカ政府と対等な会話ができないのでは。。なんて少し心配です。(それとも、実は日本政府の閣僚は歴史に残る最優秀の閣僚ぞろいだが、出る釘は打たれるため、うつけのふりを信長ばりにして諸外国どころか国民までもだまして現在、虎視耽々とはなにか謀略をめぐらしているのでしょうか)

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崩れる

著者 貫井徳郎 集英社文庫

夫婦の危機をミステリー形式で描いた短編小説なのです。働かない夫。ひきこもりの息子。育児ノイローゼの妻。浮気をする夫。婚活中の男。婚約中の男女。などなどが登場します。

実際にも夫や妻の殺人やら、ストーカー殺人やらDVやら、幼児虐待やら、現実に日常的にニュースをにぎわしているのですから、どの夫婦もみんな円満に暮らしているというわけではないのでしょう。外側からは円満そうに見えても実はどろどろ。。ということもあるのかもしれません

ですが、アンタイラーの「結婚のアマチュア」や「ブリージングレッスン」が物語るように、起承転結では説明できない、それが夫婦や家族のストーリーな気がします。

夫婦や家族の問題というのはそもそも短編で描ける素材ではないのでは?それが本書の感想でした。

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2008年10月22日 (水)

地獄のドバイ

著者 峯山政宏 採図社

本書は、急速に発展する豊かなドバイで一旗あげようとなんのリサーチもせずにドバイに乗り込み、結果ドバイの裏社会でひどい目にあった若者の回想録です。

華やかな都会に憧れて、「おら東京さ行くだ~スターになるだ~」と都会に来たものの、仕事はない、あったとしても劣悪な肉体労働で周りにいるのは荒くれ者ばかり。。次第にやさぐれて。。選ぶみちはこのまま落ちていくか。。故郷にかえるか。。というストーリーに似ています。

なぜこの本を手にしたかというと、ドバイ周辺のアフリカや中近東には紛争で安全に暮らせないひとたちや、飢えている子供たちがごまんといるはずなのに、、どういう精神構造で世界一の高層ビルやらショッピングモールやら動物園やらを立てているのだろうという疑問を持ったからです。それでネットやらでいろいろ検索していたところ、この本を知り購入しました。

中世じゃあるまいし、建物の大きさで国威を掲揚するというのもなんだかピントがずれていると思いました。。アメリカ式、ディズニーランド式を取り入れたのでしょうか?イスラム国家がアメリカ式導入?っていうのも不思議なことですが成金ってそもそもあんまり文化的じゃないのかもしれません。(成金の家って、変な仏像やら甲冑やら掛け軸やら壺があったかと思うと、猫足のロココ調家具があったり、豪華なシャンデリアがあったり、、高いものなら何でも揃えようって、何がしたいのかわからなくなっている場合が多い。。)

本当の豊かさってなんだか違うような気がしました。

国内に人権をおびやかされたり、飢えたりする人が一人もいないクリーンで安全な国家を築いたっていうなら素晴らしく立派でさすがイスラム教徒の人々は素晴らしい国づくりをしたな~って思えるのですが。。なぜ貧しい外国人労働者を(しかも同じイスラム教徒の人々を)最低の環境で最低の賃金でこきつかってエヘンっ高いビル見てって威張っていられるのかがとても謎でした。

本書に登場するのは、アラブ首長国連邦のドバイとアブダビです。特に著者が地獄を見たのはドバイではなくアブダビなのですが、そうはいってもひとつの連邦で行われている劣悪な人権侵害を日本にリアルに紹介した本はそうはないとおもいますので、一読する価値はあるかもしれません。但し、著者の滞在期間的も短く、内容も個人的な内容ですのでおそらく偏りがあるとは思います。が、本当に帰ってこられてよかったね、というのが読後の第一の感想でした。

日本も80年代のバブル時代には都庁やら副都心の高層ビルに常にクレーンが乗っかっていましたし。つい最近でも臨海高層マンションブームや東京ミッドタウンやら、新宿コクーンビルなんて矢継ぎ早に立っているので、日本だって相変わらず成金のバベルの塔合戦しているのかもしれません。。しかもおそらくは、低賃金の安い労働者をこき使って使い捨てて建設しているのでしょう。。だからドバイの現状は他山の石として学ぶべきだと思います。。

本書では、ドバイの刑務所にくらべれば、日本の刑務所ははるかによくて天国のようだと書いてありましたがが、、最近では民営化された刑務所もあり、、これから景気が悪くなればどうなるかわかりません、、コムスンのようになるかもしれません。

現在著者は政治活動をされているようです。

若さゆえの無謀な行為も地獄を見た原因ではありますが、この経験を活かして、日本での低所得者や外国人労働者の人権蹂躙という理不尽な搾取による資本家(成金)の横暴などに疑問を呈して、世界に誇れる国家というのは、立派な道路や空港や巨大なビルを建てて高級な暮らしをすることではなくて、人権や平和や安全や教育を大切にしている、高級な精神で国民みんなが豊かに暮らせるそんな国のことなんだよって言える、政治を行っていただきたいと思いました。

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ブリージングレッスン

著者 アンタイラー 文春文庫

手元に読みたい適当な本がないときは、著者の本を持ち歩く(もうすでにバイブルのようですね)。

このストーリーも特に事件となるようなエピソードがあるわけではない、とある夫婦の一日をベースに、夫婦の一生レベルのストーリーを語るというすごい小説です。

主人公のマギーとアイラの出会いから、息子の結婚と孫の誕生、ひきこもり系の夫の家族とのふれあい、高校時代からの友人との思い出など、なんでもないごく普通に見える平凡な夫婦にも、掘り起こせば掘り起こすだけいろいろな物語がぎっしりとつまっているのです。それもすべてオチがあるわけではない、どれもこれも解決なしで進行してしまいます。

まさに人生ってどれもこれもオチがない、発生した人生トラブルは解決することなくつぎのトラブルが発生していく。。そんな感じでしょうか。

肉体の若さの衰えや大切な人やペットとの別れやなどなどは一端発生すれば決して不可逆で、解決できない悩みのようにも思えます。。(アンチエイジングの美容整形は空しいし、死んでしまった人には二度と会うことはできません(この世では))

主人公のマギーは考える

これから一生、失ったものをひとつひとつ惜しみながら、日々を過ごしていくのだろうか。

年老いていくということはこういうことなのか。

そんな。。殺生な。。と思うけれども、はっきり言えば、そういうことなのかもしれません。自分にとっても、まずは祖父をなくしたころからそういうことかと薄々感じ始め、、年齢とともに体力も衰えてくる。。そして友人の死に二度も直面してしまってからはもうマギーと同じ世界が見えるようになってしまったような気がします。

新しく出会うもの、新しく知るものを努力して増やしても、、失っていくもののスピードに勝てるのかどうか。。

なんだか暗澹とした気持ちになってしまいますが、マギーはこうも考えます。

アイラがそばにいてくれるから、なんとかなるだろう。

もしかしたら、どんなに鋭い痛みでも時が来れば癒えていくものなのかもしれない。

親友の旦那さんのお葬式の帰りに「アイラがそばにいてくれるから」と考えられるマギーは能天気なようにも思えましたが、この「。。。がそばにいてくれるから」というのは本当に役立ちます。わたしもこれまで悲しみに沈んだときに、必ずそばに家族や友人やペットなど、ささせえてくれる誰かがいたような気がします。。

遠い昔の天地真理の唄にありましたが、、「ひとりじゃないって~素敵なことね~」というのはかなり真理に近い真理ちゃんの唄だったのでは。。

一行日記:先週末の金曜日は前の会社の同僚Sと友人のN嬢と新橋のディープなチープ系居酒屋で飲み会。この出来事のカウンターに会社のSと同じ会社のかつての同僚で今は大阪勤務のK氏に電話する。「今新橋で飲んでいるので今からすぐくるように」と。当のK氏は大阪の飲み屋で寂しくひとりのみをしているとのこと。久しぶりの面々と話せて、かなり楽しい夜でした。

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2008年10月18日 (土)

週末のひととき

日記というには、日にちが少し経ってしまいましたが、9月の最後の週末に友人の家族を連れて田舎にある実家に一泊の旅行をした。

本当は7月に海水浴を目的に遊びに行く予定だったのですが、旅行前日に連れが風邪で熱をだしてしまいドタキャンになり、9月の終わりにようやく企画が実現したのです。

友人夫婦と友人の子供(2歳)と私と連れの総勢五人で、実家の周辺を観光して、温泉に入ったりしたあとに夕方近くに実家に到着。

実家では犬を飼っているのでその犬を連れて近くの海まで散歩もしました。犬初体験の友人の子供は大喜びですぐに犬に慣れていました(おとなしい小型の柴犬なので、初心者向けの犬なのです)。

その後は宴会(ホームパーティ?)です。刺身の舟盛を頼んでくれたり、煮物やいろいろな揚げ物がテーブルにところ狭しとぎっしりと並び、12時近くまで食べ、飲み続けとこととなりました。ビール、ワインの空き瓶が山のように出現しました。(友人夫婦は酒豪です)。途中でいわしのフライを友人夫婦が「えびフライだよ~」と2歳の子供に食べさせたところ、「美味しい」と満面の笑みを浮かべたので、父母をはじめみんながその笑顔につられて大笑いで和やかに宴が進みました。しかも、おりこうさんなことに8時には寝てくれたので、それからは大人の宴会になりました。

余り人付き合いが好きではない父母と弟がよくこういう会を開いてくれたなと、随分神経を遣っただろうと感謝の気持ちでいっぱいとなりました。しかも、友人の子供のために、子供用の食器や掛け布団などまで用意してくれていたり、夜中にちょっと子供が夜鳴きをしたのですが、母親がいろいろと気を遣ってくれました。

日ごろは親とはあまり相性がよくなく、共通話題もなくて、実家に帰っても一日が限度で年に一二度くらいしか里帰りをしない親不孝者なのですが、それでもこういう時に友人家族をはりきってもてなしてくれたことが嬉しく、親のありがたさを深く感じるそんな旅でありました。最近事業を廃業して隠居したので、これからはもうすこし親孝行したいなとそんな思い出います。

友人夫婦もとても気のつく優しい友人で、無口な父にも一生懸命話題を作って話しかけてくれたり、また、帰宅後にはお礼状を添えて、実家に果物を贈ってくれたりと、これまた良い友人を持ったことにも感謝感謝でした。

人の気持ちの温かさや思いやりを大切に暮らしたいなぁとつくづく思う今日この頃であります。

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結婚のアマチュア

著者 アンタイラー 文春文庫

4度目の再読です。

何度読んでも、というか読み返すたびに、じっくりとストーリーに飲み込まれて読んでしまうアンタイラーの小説です。

この小説はポーリーンとマイケルの夫婦の物語なのですが、妻のポーリーンには二つの別れが待っています。

最初は娘の家出です。18歳の時に家を飛び出した娘のリンディと、ポーリーンは家出の後、一度も会うことができませんでした。

子供たちがうんざりするほど喧嘩の耐えないポーリーンとマイケル。出会いは激的な一目ぼれだったというのに。

結婚30年目の夜。ポーリーンにとっては、その喧嘩も含めてのすべての30年間が愛の証と信じていたのに。マイケルにとってこの30年は地獄だったと言うのです、たぶん言葉のあやだったのかもしれません、ですがその言葉に腹を立てたポーリーンが「そんなふうに思っていたのなら、出て行けば?」と言ったことから夫婦の亀裂が決定的となってしまいます、そして夫のマイケルが家を出てしまうのです。ポーリーンの二度目の別れです。

さらに30年物語は続きます。ポーリーンは寂しさを抱えながも、友人や子供たちに支えながら、時にはデートに挑戦しながら日々を過ごします。。ですが、ポーリーンはマイケルを愛していました。そして、どうしてこういうことになってしまったのかを考えて眠れない夜を過ごします。亡くなった両親や、義母にどうしてもっと優しくできなかったのか、娘のリンディ、一番愛していた娘をどうして守ってやれなかったのか。喧嘩ばかりしていたけれど、その理由はほとんど覚えていない、どうして、こんなことになってしまったのか。ひょっとしたらマイケルのいうことが正しかったのかもしれないと考えて眠れなくなるのです。

やがて、ポーリーンは事故でこの世を去ってしまいます。リンディーに会うこともできずに。

再婚して、おだやかな妻と平穏に暮らす、80歳になったマイケルは、不満を覚えます。あまりにも自立して理性的な妻にとって、、自分はおまけなのではないかと思うのです。

ある日、マイケルは今はこの世にいないポーリーンを偲びます。

何がいけなかったのか、どこがいけなかったのか、マイケルにも何も思い出せないのです。あまりにも子供だったのに、突然結婚してしまったのが原因だったのかと考えてもみます。それが正解だったのかもしれません。夫婦になって、徐々に相手の考え方を知り、自分と違う部分は受け入れないまでも尊重したり、ゆずりあったりして、少しずつ舵の取り方を覚えていくものなのかもしれません、ですが、このふたりは、ふたりともが自分をゆずらずに、主張しすぎて、30年たっても舵取りを学ぶことが出来なかったのかもしれません。

ある日、マイケルはかつて住んでいた町の通りを散歩してみることにしました。

あの角を曲がると、昔暮らした家がある。そこには、自分の足跡に耳をすませて心を膨らませているポーリーンがいて、そして待っているような気がする。。そして、マイケルの姿が見えたら、ポーリーンは「あなたなのね?」「ほんとうに、ほんとうにあなたなのね?」と歓びで顔を輝かせるだろう。そうマイケルは思うのです。あまりにも遅すぎる妻への理解です。

哀しい話です。。マイケルと、娘のリンディは、妻であり、母であるポーリーンを捨てて出て行ってしまうのです。

でも、ポーリーンはそれほどひどかったかと思い起こせば思い起こすほど、ひどい人ではなかったことが判るのです。

自分のことを愛してくれている相手を永遠に失ってしまった後に、その相手を頑なに遠ざけ、そして相手の残された人生をひどくわびしいものにしてしまい、そして深く傷つけてしまうほど、問題があったわけではなかったとようやく気がついたのですから。

相手は自分とは同じではない、だから喧嘩もしてしまう、だけどだからといってあなたにいなくなって欲しいとなんて思わない、そんなポーリーンが正しかったと、最後の最後でマイケルは気がついたのです。

(この物語では娘のリンディはまだ気がついていないようでした。その点で弟のジョージが不満に思うのです。僕を残して出て行ったなんて、それで僕がどれだけ傷つくかを、ほんのちょっとでも考えてくれたことがあるの、と姉に対して思うのです。)

アンタイラーの小説は、特別な出来事は起こりません。わたしたちの日常におこるたくさんの出来事が同じようにおこるだけです。

ですが、そんな中でもうなずいたり、クビをかしげたりしながら自分だったらこうするのにと、どのエピソードでも考える要素がぎっしり詰まった、何度読んでも考えさせられるほんとうに素晴らしい小説だと思います。

多くの人に読んで欲しいそんな一冊なのです。

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2008年10月14日 (火)

Le déserteur(脱走兵)

Boris Vian (ボリスヴィアン)

沢田研二が憲法九条への思いを唄った「我が窮状」という曲の話を聞いたのも最近ですが、あわせて、フランスの作家でトランペット奏者でシャンソン歌手のボリス・ヴィアンの反戦歌「脱走兵」も沢田研二が歌ったという話を聞き、ボリスヴィアンのCDは家にあった筈。。と探してみたら、やはりありました。Le déserteur(脱走兵)はCDの2曲目にありました。

CDは遠い昔に「うたかたの日々」を読み、俄かにボリスヴィアンのファンとなり、パリで購入したCDです。

聞いてみると、反戦歌というわりにはまったりとゆったりと唄っていて、攻撃的な印象はまったくありません。

当時、パリを訪れた時、パリ在住のフランス人の友人にボリスヴィアンを知っているかと聞いたら、知らないフランス人はいないし、学生時代に誰もが彼の本を読んだことがあると言っていました。

「うたかたの日々」のような幻想的な哀しく美しい小説を書き、そして「戦争に行くくらいなら脱走兵になる、僕は他人の血を流すくらいなら自分の血を流すでしょう。大統領閣下、誰かを殺したいならご自分でどうぞ」と反戦歌を歌うボリスヴィアン。

戦争の矛盾は、生活で起こる争いごとや喧嘩と異なり、その争いごとを起こした当事者と戦う(殺しあう)相手がまったくもって不一致だということ。

民主主義の国家では大抵多数決でいろいろなことが決まります。

国民全員の100%の賛成は必要ないのです。つまり、ひょっとしたら戦う相手の国や国民の主張や人権を擁護する発言をしている人が相手国のうちの100人のうち49人いるかもしれないのです。

そんな国の見ず知らずの人間の、主義主張もよくわからない、ただ敵性国の陣地に暮らす人間だからと安易に殺すことができるのでしょうか?

この唄はそんなことを問いかける素晴らしい曲だったのですね。

フランス語を理解しない自分はこのCDをいままで宝の持ち腐れとして眠らせていたのですが、漸くCDの山の中から這い出てきました。

購入した頃から大分たちますが、日本にも、この唄が必要な時代が訪れてしまったのでしょうか。あわせて聞くなら、野坂昭如の大脱走でしょうか。

このCDにはモーツアルトのトルコ行進曲のシャンソン版なども入っていてなかなか不思議なアルバムとなっています。

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2008年10月13日 (月)

魔王の感想の続き

伊坂幸太郎の「魔王」の感想の続きです

隣の家の人から自分ちが荒らされた時、お父さんは、確かに、「我が家に何するんだ」って乗り込んでいくべきだけど(中略)それは正しいと思うんだけど、その時に、そのお父さん自身は何もしないで、奥さんとか子供たちに、「行け、戦ってこい!」って言うのはどうかと思わない?

私が小泉政治が何故嫌いだったのかなぁというのを本書ですごく簡単に説明していました。

小泉政治は全体主義だったのでしょうか?

たとえば、どの角度から見ても、殺されてしまうほどの落ち度はなかった(イラクで人質となった)日本国民の香田さんを見殺しにしても国家の利益が大事とした小泉政治と、その当時の小泉政権の支持に走った大衆の発想はたしかに全体主義のムードだったと思います。この発想は民主主義とは程遠い政治だったと思います。

このように、一方では全体主義を謳っていたにもかかわらず、国民の痛みを伴う改革といっていたけれど、その国民の中に、一部の企業や資本家や政治家は含まれておらず、痛みどころか快楽を伴う改革であって、国民全員の痛みではなかったことがまるっと明らかになった今となってはこのだめなお父さんぶりがくっきりしています。

平和に楽しく暮らしていた我が家に隣人が侵入してきて、好き勝手に自宅や庭を荒そうしたとき時に、そこの主であるお父さんが「何するんだ」と隣の家に文句をいうのは当たり前なわけで。場合によってバットやゴルフクラブで威嚇したりして、無礼者に対抗するのは間違っていないと思います。

この考えには誰もが納得できるし、軍隊や自衛隊はここでいうバットやゴルフクラブだと考えても良いと思います。

でも、、なにかがおかしい。。つまり小泉政権のやったことは子供や奥さんに武器をわたして、ほら、戦って来いと言っているような、そういうことなのではないかと。。

たとえば、小泉が支持したブッシュのイラクを攻撃にしても。このふたりは個人的には全く痛みを伴っていないような気がします。痛みを伴ったのは志願兵になる以外に生活の糧を得られない若く、立場の弱い兵隊さんやその家族だけでした。兵士に武器を渡して(しかもその武器も自腹ではなく税金で自分の関係する(自分が儲かる)大企業から調達し)、自分に火の粉が飛んでこない遠い場所に立って、それこそ奥さんや子供たちの後ろにかくれて「やっちゃえやっちゃえ!」と命令するお父さんと同じようなことをしていただけなのでは?

小泉・ブッシュの政治はなにからなにまでこんな感じだった気がします。

家庭のお父さんにたとえると、ブッシュも小泉もすごく情けないだめおやじじゃないですか。。そして結果的にはダメおやじの家は経済的に破綻し、家族は崩壊して、当のお父さんは責任もとらずにあちこちから借金した挙句にカネを持ち逃げして失踪。。?

そんなダメお父さんとには見切りをつけて、新しいお父さんに期待したいと思っても無理はないかと思います。(ただ、家族(国民)はお父さん(政治家)に頼りきりというのがまずそもそもの問題で、一家の問題は家族みんなで真剣に考えないとね。。という教訓も含まれているのかもしれません)

そうそう、石原都知事もこのダメお父さんの部類に入る気がします。

お金のない都民は山谷に安宿があるからそこに泊まれと都知事はいいました。

ですが、そういう本人はドヤ街で暮らしたことがあるのでしょうか?

個室ビデオがファッションだと言う根拠は何なのでしょうか。実際にしばらく泊まってみたのでしょうか。

都庁の職員にも居酒屋タクシーチケットで遠方の自宅に帰宅させるのではなく、終電過ぎまで残業したなら、山谷のドヤにとまりなさいと。。指示してください。またはホテルのように豪華な都庁内に寝袋で寝泊りしたほうが個室ビデオに宿泊するよりよほど快適かと思います。(夜間は展望ルームを職員の仮眠室にでもすれば夜景も綺麗な豪華な宿泊施設となることでしょう)。

総務省の調査によると、平成19年都庁職員のタクシーチケット使用額は4億1478万円。

この調査では詳しい内容はわかりません、もっと厳密に調査してもらって、本当にギリギリで使用しているのか証明してもらってから、山谷発言をしていただきたいと思いました。

都知事自身は絶対ドヤに泊まるつもりがないくせに、言うは易しでは困ります。

ダメ父さんの見本の一人ではないでしょうか。

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2008年10月 8日 (水)

魔王

著者 伊坂幸太郎 講談社文庫

2004年に描かれた小説とは思えない預言の書でしょうか?

または、まともに政治経済を理解していれば、このような予測は簡単なのでしょうか。

それにしても、最近の社会情勢を元にかかれた小説と勘違いするほど、タイムリーな文庫化かとおもいました。

例えば

正面に座る婦人が、新聞の朝刊を開いている。一面の見出しに目をやると、「世論調査、与党支持率低下」とあった。横には「失業率史上最悪を更新」という記事もある。

とか

 原油価格が高騰したことも原因のひとつだが、輸入している野菜に未知の病原菌が発見され、そのために食品業界や外食産業が大打撃を受けていることも影響していた

本書は革新野党が選挙で大勝して、与党になるストーリーが描かれています。大勝する党の党首はカリスマ的であり、国民は熱狂して彼に投票します。この小説に描かれているその様子や過程が、小泉氏のカリスマ的な国民人気に便乗して、自民党が大勝した、郵政選挙の時を彷彿とさせているのです(自民党は与党で、小説の野党とは多少相違はありますが)。郵政解散は2005年8月、投票日は9月で、この小説が刊行された2004年、おそらく執筆はもうすこし前のはずですので、ずっと後の出来事ということが驚きでした。

その当時に、この小説がもうすこし多くの国民の手に渡り、国民の目を通っていたなら、空虚で中身のないカリスマ代議士に、尋常ではない盲信で投票してしまった国民ももう少し抑えることができたかもしれません。

本書では、「考えろ」と何度も啓発しています。

すこしでも、さまざまな人の意見を聞き、そして、さまざまな資料を調べ、そして自分でもよく考えて、好きとか面白いとか、テレビに出ているからとかという理由ではなく、この人間に政治を任せたら自分の人生はこの先どうなるのかをじっくり、よく考えることが出来たかもしれません。

そうはいえ、人はだれでも信じたいものを信じるものかもしれません。

なのでどのような言葉も何かを盲信中の人間には聞こえないのかもしれません。そうだとすると、どれだけ警告を発しても、流れは変えることができず、歴史の結果は一緒だったのかなとも思えます。でも、実際の歴史では、、日本国民はそこまで馬鹿ではなかったことは、参議院選挙の結果で明白です、、この馬鹿ではない日本国民の脳の働きが郵政選挙前にも起こっていたら。。どうだったのでしょうか?

それにしても、自民党は大相撲と似ているなぁ、、と思います。この体質は、日本人の感性に結構合ってしまううのかもしれません。

一部の利権団体以外の、自民党が与党となっても全く利益を享受しない、どう考えても不利益しか蒙らない国民の多くが自民党を支持している事実は、汚職と、不正と、八百長疑惑があるのはわかっているけど、だけどなんだか憎めない、結局騙されているだとても、長いこと贔屓にしているからやっぱり自民党に投票してしまうんだよなぁ。。って、、自民党タニマチは国民の二割ぐらいは常にいるのかなぁ。。と。。

自民党ファンも、大相撲ファンも、同様に贔屓の相手にはかなり甘い体質だと思います。(わたしは自民党ファンではないですが、大相撲ファンなので自民党ファンの気持ちもわからないではない)。

でも、子育てと一緒で、「何があってもあなたが好きだから」という理由で、盲目的に相手を支持ていては(何をやっても許していたら)、子供がスポイルされてしまうように、自民党も大相撲協会も、いつまでも、汚職と、不正と、八百長が許されると思い続けてしまい、結果的に、自分が贔屓にしている、大好きな自民党や大相撲が日本から消滅してしまうかもしれません。

贔屓の自民党や、大相撲を日本に生き残させるためには、体質改善と、初心に戻る、名前に恥じない体質改善を行う必要があると思います。(あれれ、、またもや読書感想文から話が逸脱してしまいました)

どうも考えが先走り、うまく文章がまとまりません。。

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2008年10月 6日 (月)

街場の現代思想

著者 内田 樹 文藝春秋

大学教授で有名ブロガーで売れっ子作家なようなのですが、今まで全然知りませんでしたが、本屋の平積み効果でまた購入してしまいました。

本書は論理の表現に小難しい言葉を使っていないので、言いたいことがすっきりわかりますが、断定的な物言いが多く、、、論理的に説明しているように見えるので、相手にそうかな?ではなくそうなんだ。って錯覚させる文章の持って行き方がちょっと気になりました。

本書に書かれている哲学も、ひとつの意見というか、考え方なのだと思いますが。。。。だから、、、なのです。ということで、教科書のようになっていて、でもよく読むと理屈の部分は(誰が決めてそうなったのっていう部分があったりするのです)。

たとえば。。といってすらすらと例をあげたいのですが、ちょっと面倒なので今回はやめておきますが。。すごくもっともらしくて、ウンウンと思えてしまう論理には疑ってかかってしまう悪い癖があるので、著者の他の本なども比較して、どうしてそう思うのかはゆっくり考えたいとおもいました。

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2008年10月 3日 (金)

慟哭

著者 佐々木隆三 講談社文庫

あの事件からもう10年以上も経っているのですね。。

あの年の自分はとある資格試験で猛勉強をしていて、勉強時間は出社前と退社後の寝るまで。。という日々でした。毎朝始発電車にのり、職場近くのファーストフードに6時過ぎに着いて、朝食がてら勉強していたので、事件当日も丸の内線に乗っていたのですが、まったく時間がズレていて無事でした。

でも、もしあの年に資格試験の勉強をしていなくて、通常の通勤タイムに通勤していたら、被害を受けていたかもしれなかった、と本書を読んで、震えがきました。

あの年は、新聞もテレビも、ラジオも、神戸の震災とオウムの事件のニュースばかりだった気がします。

そして、10年以上も時が経ったのに、事件がまったく解決していないというのも恐ろしいです。

本書は、サリンの実行犯のひとり林郁夫を中心にして描かれた小説です。真面目で優秀で信心深い医者として社会的にも信頼されていたのに、なぜこのような狂気の渦にまきこまれてしまったのでしょうか。

宗教とは一体なんなのでしょうか。

遠い昔、中学生の頃だったとおもいますが、そのころから(手塚治虫などの影響で)結構宗教に興味があり、聖書だの、こども向けの仏教の解説書などを読んでいたのですが、すごく疑問に思ったのが、聖書に書いてある良いおこないのことも、お釈迦様のいう良いおこないも、普通のあたりまえのことで、べつにイエス様に言われなくても、お釈迦様に言われなくても、人としてあたりまえのことで、神様に見られているから、とか罰があたるからとか、守らなければならない、のではなく、自分が決めて行えばいいのではないか?という疑問でした。

なので、キリスト教の信者や、仏教の信者などいろいろな宗教の信者さんは、わざわざ信者として宗教に入信しなければ、この聖書に書いてあることや、仏典に書いてある善行は行わないのかと、実際の信者がいたら聞いてみたいと思いました。

まぁ、善行にも初心者とエキスパートがいて、宗教に入門すると急行でエキスパートになれるとか、呪文をたくさん覚えるといろいろな修行をスキップできるとか、いろいろな特典があるのかもしれませんが、天国にいけるから、とか、極楽にいけるからとか、自分と家族が不幸にならないために、とか、お金持ちになれますように、とか、病気が治りますようにとか、なんらかのご褒美(ご利益)のために、宗教を頼るのは、その時点で宗教の本質から外れていて(煩悩ぎらぎらで解脱から遠のいていくだけではないでしょうか?)それが不思議でなりませんでした。

そこで、たまたま中学校の夏休みに、自宅にとある宗教の勧誘にきたお兄さんに上記の質問をなげつけたところ、、そのお兄さんは「その理屈は一理あるけれども、でも違う」みたいなことを言い出して、即答はまったくしてくれず、、「その答えは入信したら判る」なんてことをいいました。

わたしは「そんなの、駄目ジャン」と子供心に宗教に失望しました。

今でも神様や仏様の存在は信じていますが、宗教については信頼できないの原点はこのあたりからスタートしています。

神様も仏様もそこにいて見ててよ、自分の判断した良心に従ってやってみるから、だから放っておいてもいいし、助けたかったら助けてくれてもいいというスタンスです。

どこかの宗教団体に属してお経を唱えて奉仕活動をしてお布施を収めるなんてことは、実際のお釈迦様もイエス様もその他もろもろの神様もだれも望んでいない気がするのです。

教祖の松本智津夫も、もともとは、相手がこういうことが言って欲しいんだろうなということが地直感的にわかる聞き上手のおじさんだったのだとおもいます。(カウンセラーや占い師になったら結構儲かっていたかもしれません)。

その能力を悪用したことで道を誤ってしまいましたが、どうして彼の近くにいた親しい誰もが、使い道を間違えはじめた時に「その能力は使い方が違うよ」って指摘できなかったのでしょうか。

この誰もが持っているわけではない能力を、良いことに使えばまったく違う大物になれたかもしれないのに、結局最低な小者で終わってしまったのです。(ただ、大抵の詐欺師はその人を信用させる能力や言動を嘘で固めるための莫大な労力を他のことに使わないの。。?という人が多いので根っからの詐欺師、人をだますことが生きがいだったのかもしれません。。)

愛国主義にしても、資本主義にしても、マルクス主義にしても、アイドル、カリスマに対しても、狂信になってしまうこと、それは危険なことだと思います。

つねに自分の信じているものは自分の良心と照らしあわせて、正しいものなのか、もともとは良心に即していたのに、ある日暴走しはじめたらどんなに大好きなアイドルやカリスマにもNoと言って軌道修正をする努力をする、または自分の信念を変える、など、自分はひょっとして何かを狂信していないかを常にチェックしないと、林郁夫のように、後悔の慟哭をする日がきてしまうかもしれないのです。どのような盲信もやめたほうがよいのです。本書はその参考になるかもしれません。

ただし、自分の夫、妻、父、母、子供、おじいちゃん、おばあちゃん、恋人、親友は辻褄が合わない言動があっても、世界中で最後まで信用する、味方でいる。これは宗教ではなく愛だと思います。。このような盲信はありだとおもっています。(ただし、暴力を受けるなど生命、身体の危機が訪れた場合は、いくら相手を信用していても逃げ出す準備はしたほうがよいとおもいます。暴力が出ても信用するとなると、愛よりも宗教です。愛国心という時につかう愛も同様に暴力や強要が出たら愛とは言えないので、盲信はせずにそこからは逃げ出したほうがよいと思います。)

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