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2008年12月22日 (月)

死刑

著者 森達也 朝日出版社

先日に新橋の居酒屋で飲んだ友人のS男は自分とは思想がかなりかけはなれた人物です。

 まず、嫌韓・嫌中を公言し、理由を聞けば「嫌いだから嫌いなの!」という子供が人参嫌いを説明するのと同じようなことを言う男です。この話でも、いつも論争になるのですが、

 今回は東金の事件の直後だということもあり、刑法39条と、死刑制度の話題になりました。

 ここでも、彼は私とことごとく意見を異にしていました。彼の説では「人を殺したら死刑、人を殺すような障害者は死刑か一生隔離」といった極端な主張をしていました。「人を殺すような奴は人間ではない、獣なのだから射殺か隔離だ」。。そう言うことを言うのです。。

でも、そうなのでしょううか。。自分はそんなに簡単に重犯罪者にたいする死刑や、障害者にたいする刑罰について、考えを決めることができません。

その理由は、自分は愛する友人や家族を人に殺されたり、重い障害を与えられたりされた経験がないからなのかもしれません。

それでも、人を殺したら死刑というのは、どういう理屈なのかについては、ずっと考えています。。身勝手な理由で人を殺した場合死刑といったときの、身勝手な理由の尺度を決めるのは法律で、その法律は人が決めるからです。

歴史上に登場する多くの人物は、それこそ織田信長も、徳川家康も、豊臣秀吉も、また明治維新で活躍した幕末の志士たちも、おそらく、殺される側からみたら、かなり身勝手な理由で人を山ほど殺しています、、なのに彼らは歴史上の偉人やら名将やらと扱われています。織田信長の子孫も、徳川家の子孫も、人殺しの末裔と言われて肩身狭くして生きているわけではありません。。

死刑(人殺し)は法律で定められた刑罰のひとつなのです。

国家の法律を破ったらどんな微罪でも必ず死刑というならまだわかりますが、、人を殺したときだけ死刑となると、死刑は人を殺すことになり矛盾が生じます。

死刑制度を賛成する人たちは人が人を殺すのは罰せられるが、制度は人を殺してもよいと考えているのかもしれませんが、今の日本は王様や大臣が好き勝手に法律を決めたり刑罰を決めている国ではありません、主権在民の民主主義の国です。

法律などの制度(システム)をつくるのも、司法も行政(警察など)も国民が国に執行を委託しているだけで、そもそも、犯罪を犯した人を逮捕して捕らえるのも、その犯人をどうするかの法律を決めるのも、法律に照らした量刑を決めるのも、委託元としての大元の執行者はすべての国民一人ひとりなわけになるのです。。

つまり、毎年国民全員は(死刑囚)を必ず何人かは殺しているわけになるのです。

別に鳩山元法相が死神なのではなく、国民全員が死神なわけです。

今年は10人以上だそうですが。。つまり、この死刑制度のある国に住んでいる国民全員は、おぎゃーと生まれた日から最初に死刑が執行された時点で、理由はともかく、立派な人殺しになってしまうわけなのです。

死刑囚は法を犯して、理由があって、国が認めて殺されるのだから問題ないなんて言うかもしれませんが、その法律を作るのも人間ですし、国民が立法を委託しているだけで、実際にその法律の責任は全国民に責任があるわけです。そして、人は間違いを犯すものです、法律自体が間違っている場合もありますし、裁判が適正に行われない場合だってあるとおもいます、、明らかな冤罪で過去に亡くなった方がたも実際にいるわけですし、今現在の確定死刑囚の中にも100%いないとはいいきれません。

ですので、特に死刑などの、取り返しのつかない事案については、検察も、裁判官も、そして死刑執行にサインをする法務大臣も、小さな子供から寝たきり老人までのすべての国民のもっとも重い権限を委託された代理人として、絶対に間違いないように慎重に仕事を行ってくれていればいいのですが、鳩山元大臣などのベルトコンベアー発言にも見受けられるように、どうもそうは受け取れないから恐ろしいのです。

死刑制度のある国民は小さな赤ちゃんから、寝たきりの老人まで、全員がときどき人殺しをしているわけで、、今、100歳のお年寄りくらいになると、戦後から数えただけでも、かなりの人数を抹殺してきたという計算になるわけなんですよね。。

自分の隣にすやすや寝ている生まれたばかりの可愛い赤ちゃんだって、次に死刑囚が死刑執行された時点で、なんの通知もされずにひそかに人殺しの一員になってしまうわけです。。

これは、、主権在民の民主主義国家で、なおかつ死刑制度のある国に住む人間に課せられたサガなのですが。。結構この点について国民は無自覚なんじゃないかと思います。

かといって、では自分は胸を張って死刑廃止論者だと言えるかと言うと、、犯罪被害者のことを考えるといえません。。

ただ、国民全員は、被害者になる可能性だけではなく、冤罪による確定死刑囚になる可能性もちゃんと考えて死刑制度を考えるべきだと思います。身に覚えもない罪で死刑になってしまったとしたら、どれだけ恐ろしいことかということをもう少し想像してもらってもよいかと思います。

また、、先日まで読んでいた日本の呪いにも書かれていたとおり、「人を呪わば穴ふたつ」ということがあります。誰かに死んで欲しいと心から望むことは、、本当に恐ろしい感情のような気がします。。自分の愛する人を殺されたら、きっと相手に死んで欲しいと思うのかもしれませんが、、殺されてしまった被害者、当の本人は、自分の親や祖父母や兄弟や恋人がたとえ自分を殺した相手だとしても、だれかの死を願うような心で暮らす日々を決して望むことはありえないと思うのです。

死刑制度があるから、、極刑として、犯人の死を望んでしまうのではないのでしょうか。。

それとも、もしも日本に死刑制度がなかったとしても、、遺族は、犯人が死ぬまで、この世に存在しなくなるまで、やはりその死を望み続けるのでしょうか。。

ちょっとこの問題については自分はとてつもなく考えが浅すぎて、本書の感想を簡単に述べることができません。

友人S男との死刑制度についてのトークバトルも時間切れとなり、次回持ち越しとなってしまいましたし。。

もうすこしよく熟考を重ねて、この本の感想も兼ねて、死刑制度についての自分の考えは、何回かに分けて、記していきたいと思います。

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