« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月31日 (土)

両国界隈味めぐり(2) 桔梗屋 

桔梗屋

次に訪れたのは、どぜうの「桔梗屋」は両国駅から徒歩3分くらい、京葉道路沿いにあります。居酒屋でうなぎの柳川を食したことはありますが、本格的などじょうを食すのはこれがはじめて。ビールや日本酒に合う濃い目の味付けで、、川魚の泥臭さは一切ないのですが、柳川、もつ焼きと食べ進むにつれて、だんだん濃い味に食傷してきてしまいました。どじょうは年に一回くらい、夏の暑い盛りに食べるのがよいかもしれません。

Img_0006_1_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月28日 (水)

パース旅行記:1日目

パース旅行から数週間経ってしまいました。旅行記書こうとおもっていたのですがなかなか時間がなくて、、記憶がこれ以上薄れない前に少しずつ、旅行の内容を記してゆきたいと思います。

(一日目)

前日の成田発20時のカンタス便で、翌朝7時にパース到着。ホテルに荷物を置いて、早速Perth駅周辺を散策しました。宿泊ホテルは「Holiday Inn Burswood Perth」です。

Perthの駅まではホテルの最寄(徒歩3分)のBursewood駅から4駅目です。駅は無人駅で、両替機がないので、小銭は必須です。小銭があってもつり銭がない場合もあるので、あらかじめホテルのロビーなどでお金を細かくしておくべし。。です。

電車にのって数分、まずはPerth駅に到着です。ターミナル駅なので、結構大きい駅です。この駅から各方面に列車が出発するのです。

ついたホームからエスカレーターで二階に上り、改札を出て左手を進んでゆき、美術館の前の階段を今度は下って数十メートルのあたりにあるのが観光客スポットのアイリッシュパブ「ブラスモンキー」です。このエリアが、多くのレストランがひしめくノースブリッジ界隈なのですが。この日はブラスモンキーで昼食をとることにしました。夜は結構にぎやかになるのだと思いますが、昼間は割りと空いていました。1階がパブで2階がダイナーになっているみたいで、建物全体はホテルのようです。1階で注文すると、2階から料理を運んてくれるようです。

Img_0038_5_1

ビールとお決まりのフィッシュ&チップスを注文。そして、いきなり、美味しかったです。

ボリュームたっぷりのフィッシュ&チップスで満足して、店を出たあとは、駅周辺をぶらぶらしました。駅前の無料の美術館など入ろうかと思いましたが、この日は長いフライトの疲れで、電池が切れてしまったので、一度ホテル戻って昼寝をしました。

そして、夜。体力も復活して、日本から予約していたKAILIS BROS FISHCAFE のLEEDERVILLE店へ向いました。LEEDERVILLEはPerthから電車で一駅です。お店は改札を出て左手の階段を下りた目の前にあります。このエリアはこの店以外にもお洒落なレストランが軒を並べていました。

さて、KAILIS BROSFISHCAFEですが、ネットでのクチコミ評判がとてもよかったので、期待満々でしたが、やはり7時には満席になっていて、予約しておいて正解でした。

店内も清潔で、スタッフの対応もとてもよかったです。日本人のスタッフもいました。

この日は、チリ味のムール貝、シーザーサラダ、伊勢海老のマヨネーズ焼をオーダー。どれも、ボリュームがあって、とても美味しかったです。どの料理も美味しく、とくに伊勢海老は最高です。

Img_0052_4_1

結局、パース滞在の初日は、、食べて飲んでばっかりで一日が過ぎてしまいました。

店を出たのが9時ごろでしたが、まだ日が暮れていなくて、そとは夕暮れの明るさでした。。でも、この時間、30分間隔しか電車が来ないので、随分ホームでまたされてしまいました。

まぁ、急ぐ旅ではないので、のんびりと電車を待ちました。(Perthの駅に時刻表が置いてあるので、それをもらって、電車に合わせて店を出るというのもアリです)。


2日目に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月24日 (土)

両国界隈味めぐり(1) 栃東

栃東

初場所の大相撲観戦を機に、このところ両国界隈の味を堪能しています。

(1)まずは、相撲観戦後に友人たちと、亀戸のちゃんこ「栃東」を訪れました。両国からは二駅。亀戸の駅に降り立つのも初体験ですが、お店は駅から徒歩5分ほどのところにありました。こちらのちゃんこはシンプルな醤油ベースで、あっさりといただけます。それよりも、名物かきあげがハンパではない大きさです。これで800円くらいだったかな。お腹がいっぱいになってしまい、とても食べ切れませんでした。_2_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月23日 (金)

重罰化は悪いことなのか

著者 藤井誠二 双風舎

どちらかというと死刑廃止論者の森達也の「死刑」と対にして読んでみました。

著者は死刑存置論者です。犯罪被害者の遺族の立場を尊重すると、厳罰化が必要との主張をしています。

本書の著者は、加害者の成育環境にどのような不幸な出来事、深刻な問題があろうが、または、知的障害者や精神障害者だろうが、被害者の遺族にとっては、関係のないこと、、どのような殺人者も人を殺したら同じような懲罰を受けるべきだというスタンスです。

人の命を虫けらのようにあつかう凶悪な人間に生きている理由があるのか、、と考えると、それはそれで考えてしまいます。

平気で人を殺せるほどに病んでしまったその心は、本人ひとりの責任ではないような気がするのです。。家族、友人、地域、学校、会社など、その殺人の人生に関わった多くの関係者には全く責任がないのでしょうかと思ってしまうのです。人は社会的な存在です、、よちよち歩きの言葉も拙い赤ちゃんが、ある日理由もなく残酷に人を殺したなんて出来事は絶対に人類史上おそらく一度も起きていないと思うのです。

たとえば赤ちゃんが偶然たまたまピストルを手に握ってしまい、それを握り締めたら、人が死んでしまったとした場合、その赤ちゃんを死刑にすることが正しいと思う人はいるのでしょうか?(これは、知的障害者や精神障害者について、かつて39条で権利を守っていたこととと関係した発想方法です。赤ちゃんの意思とは無関係に赤ちゃんが手にしてしまった凶器、について罪が問えるのでしょうかという話です。※障害自体が凶器なのではありません、凶行に使われた行為・道具の本来の扱い方・意味をよく判っていないという部分が問題です)。

そうした疑問を抱きながら本書を、、読み進めば読み進む程、やはり厳罰化は慎重にならねばならない気がしてきました。

だって、法律は、制度であって、懲罰は法律を逸脱した行為に対して課されるべきもので、被害者遺族の感情の救済がメインではないと思うのです。

とくに刑事罰については国家(つまり主権民主主義の国では国民の総意で)決めた法律に書いてあること(故意の殺人または強姦、強盗などの理由で死に至らしめたら懲役または死刑)を司法が量刑を決めて、行政が施行するという流れがあるわけで、遺族の心を深く傷つけた場合は死刑とはどこにも書いてないと思います。(今後法律が変わるかもしれませんが)。

理不尽な死に方で家族を突然に失うことは多分、凶悪犯罪や通り魔など以外の原因の方が圧倒的に多いと思います。。

交通事故、脳溢血、心筋梗塞、落雷、溺死、窒息死、、どのような死でも、突然の死に残された遺族はそれぞれやるせなさで、愛する人の死を受け入れることはとてつもなく難しいと思います。。

交通事故(たとえば自損事故)は、本人の不注意もあるかもしれませんが、自動車の設計に問題があったのかもしれません、スピード規制以上のスピードが出るような車、(今の技術だったら、高速のゲートを通らないと80キロ以上スピードが出せないようにする技術など可能だと思うのですが。。)そんな車を作ったメーカーや売ったディーラーが加害者ともいれるかもしれません。交通事故死の遺族は、殺人を理由に自動車会社を訴えて、責任者を死刑にすればよいのでしょうか。。

たとえば過労での脳溢血や心筋梗塞はストレスや不規則な生活を強いた会社の上司や人事を訴えて、死刑にすればよいのでしょうか、、では落雷は、、溺死は、、だれを恨んだらよいのか?故人はどこに恨みをぶつければよいのでしょうか。

森達也氏の死刑の感想でも書きましたが、犯罪被害者本人は、自分が残酷な恐怖と残酷な苦痛を味わったからという理由で、、加害者にまったく同様の恐怖と苦痛を与えることを良しと本当に思っているのでしょか。被害者は亡くなってしまっているから、問いただしてみることができません。

つまり、被害者遺族の感情というのは、被害者本人の意思とは別個の感情なのだと思うのです。

もしもある日、自分が理不尽に通り魔に虐殺されてしまった後に、自分の家族が、犯人が死ぬまでは心が休まる日がこないという状態に陥ることを想像したら、大変つらいことです。

また、自分の家族や恋人が、自分のことを、正当な理由さえあれば、人の死を当然と思うような人間だと思っていたのかと思うと悲しくもなります。。

自分は、もしも加害者が恨めしく、祟りたい場合は怨霊となって自分で祟り殺したいとおもいますので、自分の死を理由に、自分の家族や友人が自分のためだと思って、殺人を犯すことは絶対に嫌だと思っています。

まともな人は、人に恐怖や苦痛を味合わせたくないと思うのではないでしょうか。それとも、やはり、犯罪被害者は、自分を殺した犯人だけは、殺しても良い、恐怖や苦痛を味わっても良いと思うように必ずなるものなのでしょうか。もしも、そうだとしたら、被害者の意思を遺族が継いで徹底的に加害者との死刑を求めて戦うというのはわかる気がします。

意思表示カードのように、もしも自分を理不尽に殺すような奴がいたら死刑にしてくれ、と意思を残しておくというのも手かもしれません。被害者も死刑を望んでいるということが証拠となりますから。(でも、その情報が流出したら危険なので現実的ではないですね)。

ひぐまに襲われたら、人を襲ったひぐまは、裁判なしに射殺できると思います。。ですが、人を襲った人は、裁判で量刑を判断します、、人は、人を襲っても、やはり人のままなのだと思うのです。

本書の中で、対談相手の芹沢氏が語っていたのですが、、被害者遺族の悲しみにたいする癒しは、犯人を重罰で罰することではなく、もっと別の法的な制度による、手厚いケアが必要なのではないかと思いました。(遺族が被害者の死によって、突然経済的に困窮したりしないようなケア。また、遺族の心の悲しみ痛みに耳をかたむけ癒すことのできる専門家によるケアなどの体制を整えるといったことです)。

本書、および森氏の「死刑」を読み、何度も何度も、自分の愛する人が理不尽に殺されたら、犯人を死刑にしたいか想像してみましたが、やはりわかりません、、自分の愛する人がいなくなってしまったら、、もう何もかも、どうでもいいような気がしてしまいます。

犯人が生きていようが、生きていまいが、、のほほんと笑ってくらしていようが、、どこかでのたれ死んでいようがもう自分には関係ない、、興味も湧かないような気がします。。自分はもう二度と愛する人と会えないことだけが真実で、その真実が果てしなく悲しく、、深い絶望の淵に立ち続けるだけなような気がします。。おそらく、そして、愛する人は、わたしの心を鬼にして、、必ずや加害者に復讐をしてくれとは頼まないような気がします。。。

とはいえ、、わたしは犯罪被害者遺族でもなく、知り合いにも被害者遺族が一人もいません。ですので、想像力の欠如は否めません。。口で言うのは、たやすいということは判っています。想像を絶する遺族の深い苦しみと悲しみを実際に経験したら、意見がまったく変わる可能性が充分にあると思っています。

本書の読後感でも、、やはり重罰化には疑問が残り、、死刑存置についても慎重に議論を行って欲しいとおもいました。これから、裁判員制度が始まり、、国民ひとり一人にとって、懲罰や死刑は人任せの話ではなくなってくるのですから。

最近の、、事件があると、「死刑だ!死刑だ」という風潮には空恐ろしい気持ちがします。

このまま、日本が少しずつ重罰や、死刑宣告、死刑執行がスムースに行える国にシフトしてゆき、、「死刑だ!死刑だ!」と2chなどのネットで叫んでいる本人が、ある日気がつくと自分が死刑台に立っていた、、ということだって充分にありえるのですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月20日 (火)

シャングリ・ラ

著者 池上永一 角川文庫

読んでいる最中、筒井康隆(幻想の未来)やPKディックの(アンドロイドは電気羊の夢をみるか)などの近未来SFと、、風の谷のナウシカと、同人誌系エロコミックに、ガンダムとか、北斗の拳とか、銀河鉄道999とか、幻魔大戦とか、そんなテイストごちゃまぜだなぁと。。おもいつつ、さらに環境汚染、投資経済といった時事的なエッセンスを絡めた感じの小説で、、どこかで読んだことがある部分と、経済音痴なのも伴って、結局本書で作者がなにをしたかったのかよくわからない読後感だったのですが、、最後で筒井康隆があとがきを書いていて。。本作は習作のようなもので、次の作品「テンペスト」は完成系だと述べていて、昔の筒井康隆は非常に面白かったが、最近はめっきりなので。。そんな筒井康隆の賛辞は果たしてどうなのだろうかと思いながらも。それならば、「テンペスト」も読んでみたいと思いました。

それにしても、山ほど人を殺してきた主要な主人公がそれぞれ大団円を迎えるところにはまったくもって違和感がありました。。しかも経済システムのために難民となり、貧困にあえいでいた仲間たちと反政府ゲリラとして戦っていたはずの主人公が、最後には新たな経済システムを構築して、東京を再建させようとするのですが。。これでは、また世界のどこかでべつの経済難民が発生して、どこかでだれかが貧困に喘いでしまうのではないのでしょうか?

また、作中に名前を与えられていない多くの人々は、虫けらのように次々と死んでいくのにもかかわらず、、作中に名前のあるほとんどの主要なメンバーは何があっても死なずに全員、一人残らず生き残る。。なんだかその展開にはがっかりです。

本作のストーリーは同人誌系のオタクぽいのですが、ベストセラー、、尚且つ、TVアニメにもなるとのこと。。ウームとおもってしまいました。。。

力ずくで戦闘に勝てる身体能力があったり、高貴な血筋だったり(本書では神武天皇の血筋)、天才的に金儲けが得意だったり、高いIQの持ち主だったり、あらゆる能力に秀でていたり(たとえどれだけ残虐で冷酷だとしても)、なんらかの理由で権力を手にできる人間以外は、戦闘で吹き飛ばされて、虫けらのように死んでしまっても仕方ないんだよ、そんな小説がTVアニメ化とは。。

なんだか悲しくなってしまいました。でも、この小説が大うけするのが時代の風潮だとしたら、これからの社会はますます力のあるものだけが生き残る、経済格差が広がる弱肉強食の社会になってゆくのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月17日 (土)

死刑

著者 森達也 朝日出版社

死刑の感想の続きです。

現在、江東区の事件の公判中で、被告の公判の記録を読むと、あまりにも惨く、死刑について深く考えさせられてしまいます。

このような残虐な殺人については死刑以外ないのではないのかと思う一方で、

飲酒運転で殺されても

恋愛関係のもつれで殺されても

いじめの仕返しで殺されても

窃盗目的で殺されても

被害者の遺族にとっては大切な遺族を奪われてしまったことには違いはないわけで、どのような情状の余地があったとしても、被害者が死んでしまったという事実は同じということで、そこに量刑が加わるのは納得できないのではないかということ。

その反対に、苦痛を伴わないように急所を狙って一発で殺した場合と、苦痛と恐怖を伴って殺戮して、その上死体までバラバラにして陵辱した場合と、やはり同じ量刑ではおかしいのではないかという意見もあると思います。

同じ死刑でも、前者のように、被害者が恐怖や苦痛を伴わずに死に至らせた場合の殺人では即死の死刑、後者のように、恐怖と苦痛を伴わせた殺人の場合は、同レベルの苦痛と恐怖を伴う死刑があってもいいように思えてしまいます。(人権的に無理なのかもしれませんが)。

それにしても、死には死、恐怖には恐怖、苦痛には苦痛という報復は、、やはり文明的な刑罰ではないのだと思います。

もし、このような報復が文明国家で認められるのだとしたら、現在のイスラエルのガザへの空爆を非難することなどもできなくなってしまいます。

世界的にも日本が死刑存置国家であることで、文明国家として遅れているという理由もこのことだと思います。

特に日本では死んでしまったら皆仏様になってしまいます。残虐な殺人犯をそんなに簡単に仏様にしていいのだろうかという問題もあります。光市の犯人などは、あの世でまた被害者と出合って結ばれたいなんて言い出す始末です。

確かに、死刑制度は、遺族より先に加害者を被害者の住むあの世に送り込んでしまうわけですから、考えたら死刑は、もっとも避けたい制度のような気もします。できるだけ長く、このような犯人は被害者に近寄らせないためにも、現世で戒めにあって欲しいと思うのです。

それにしても、江東区の犯人のような、羊たちの沈黙ばりの猟奇的な犯罪者にはどのような刑がふさわしいのでしょうか。。被害者の遺族にとっては、被告がたとえ今後改心したとしても清らかに更生したとしても、決して許せるものではないと思います。。他人の自分でも、この犯人は、公判の内容を聞けば聞くほど、心が壊れている恐ろしい人間とは別の怪物のようにしか思えません。

今回の公判で、被告自らが、「自分は死刑だ!」と発言したそうです。猟奇的な殺人犯は、すでにまともな思考回路が働き始めたのでしょうか。。哀れなことです。。

それにしても、この犯人を死刑にしても、それで事件は終わるのかというと終わらない。。やはり懲役200年、、の方が向いているような気がします。

まだまだ自分の心の中で自問自答が必要ですが、今の段階では、次のような理由で自分は死刑廃止論者なのかなぁと思います。

・まずは冤罪のままの死刑執行の可能性が残っていること

・自分が遺族だったら、被害者の住むあの世に、加害者を自分より先に送り込みたくないと思うこと

・死には死を、苦痛には苦痛を、恐怖には恐怖をというのは報復の応酬で憎しみは無限であること。空しさだけが残る。

・死刑という制度がある限り、遺族は犯人の死刑を望んでしまう。しかし、おそらく被害者は、自分の愛する家族や友人などの親しい人たちが、誰かの死を望みながら日々を送ることを決して望まないと思うから。(但し、死刑という制度がないと、自分の手で殺す、、という遺族が出てきてしまう可能性もあり、それはますます亡くなってしまった被害者にとっては悲しい出来事だと思うので、この点は悩ましい点です。)

今の時点ということでこの結論は中間結果です。今後もいろいろな書籍などを読んでみて、深く考えてみたいと思います。

今後始まる裁判員制度のためにも、多くの人に死刑制度について、今一度思考をめぐらして欲しいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月13日 (火)

ここがホームシック・レストラン

著者 アンタイラー 文春文庫

自宅にはハードカバーと原書しかなかったため、再読したくて文庫版を中古で入手して再読しました。

本書はたぶんアンタイラー作品に触れた最初の作品だったかもしれません。アンタイラー中毒になるには充分な作品と思います。

夫に家出をされたパールとその3人の子供たち(コーディ、エズラ、ジェーン)の半世紀にわたる物語です。

家出中の夫がその間どうしていたのかについては、最後の数ページで簡単に述べられるだけなのですが、この母と子供たちのちょっとしたエピソードの連続が、どこの家庭でもひょっとしたら起こるのではないかという出来事ばかりで、そして、自分にとっても、胸がたびたびちくちく痛むことが多いです。

物語を好む多くの人は、真面目で、心優しく、誰からも好かれるような純朴な少年がいつまでも幸せにくらしてくれることを望むのだと思います。辛い別れや、裏切りや、挫折や孤独を味わうはずがないと思いたいのではないでしょうか。

ですが、本書は現実世界の通り、真面目で、心優しく、誰からも好かれるような純朴な少年が、時に裏切られたり、恨まれたり、人をいらだたせたり、がっかりさせたりすることがあるのです。

本書では二番目の子供エズラがまさにそのような人物です。

エズラは人に美味しいものを食べてもらうことが大好きで、レストランがうまく行けば幸福なのだろうし、まったく人生の不幸や不公平を感じていないのかもしれませんが、、傍から見れば、兄と婚約者に裏切られ、常に経営の苦労をし、少年のころから着続けているのではと思えるような、さえない服を着て、実家の子供時代から住む部屋に暮らし続け、目のみえなくなった老母の世話をして、そして恋人さえもいない、、友だちと呼べる存在も、自分のレストランの従業員くらい。。そんな心優しい息子の将来に母親のパールや妹は心をいためるが、兄のコーディはそんな母親の心配にまで嫉妬する、、弟のエズラは永遠のライバルなのだ。。

だが、、実際の人生と一緒で、物語は好転するわけでも、なにかすてきな魔法が起きるわけでもなく、、エズラの人生はそのようにして過ぎてゆくのです。。周りがやきもきしても、本人が満足しているのなら、それは不幸とは言えないのですが。。

家族や友人は親しい人の幸せを願うと思います。。ですが、たとえ親しい家族でも、友人でも、その幸せの尺度は結局相手の幸せ尺度ではなく、自分が思い描く幸せの尺度で判断してしまうのでしょう。。

一生ちいさなレストランの店長なんて可愛そうに。。大学に入っていれば。。と母親のパールは嘆きます。。ですが、エズラはレストランの店長が幸せなようです。

妻に逃げられた子沢山の男と結婚なんかして、、美しい娘で、医者にまでなったのに。。苦労ばかりじゃないの。。と母親のパールは嘆く。。だが娘のジェーンは大勢の子供たちに囲まれて常に誰かがそばにいることに満足して、、それが幸せなのだ。。(その美貌は若いころに充分に役立たせてもらったし、、もう使い果たしたと思っているし)。

一番上の兄コーディーは率先して母親の嫌がることをしてきたように思えますが、それでもやはり母親のパールはコーディを愛し続けていました。最後まで、反抗的な息子でしたが、母親はその反抗さえ受け入れて愛していたのでしょう。。

幼いころに、母子家庭の重圧からヒステリーを起こして子供たちを殴ったり罵倒したりして子供たちの心に少なからず陰を落としてしまった必ずしも優等的な母親ではありませんでしたが、それでも、彼女なりに精いっぱい母親業をこなして、それぞれの子供たちを立派な自立した大人に育て上げたのだと思います。

母は強しの物語だと思います。。

もしも、この母親が、もうすこし夫や、子供に理解のある謙虚な母親だったら、もっと温かい安らぎの多い家庭になっていたのだろうなと、そうは思いますが、、これも現実と同じで、、実際の人生の物語は、、もしも、、ではなく、こういうもの、、として過ぎていくのかもしれません。

エズラは、人との距離や関係のとりかたが良くわからず、悩みます。。とても大事なことなのに、その時に授業を欠席してしまってマスターすることができなかったのかもしれないと思ったりもします。エズラの気持ち、、とてもよくわかります。まさに自分もよく考えることなのです。

ですが、誰もが簡単にタイミングよく相手の気持ちを汲み取って、相手の心にストライクに思いやり持つことは、どれだけ相手に愛情があったとしてもうまくゆかないことがあるのではないかと思います。

逆に、いつもうまくストライクしていると思っている人は、勘違いしているのじゃないかな。、愛情や友情の思いやりのポイントが決してストライクじゃなくても、相手が自分を思っているという感情は伝わるから、そうして、相手への信頼が深まるものなんじゃないかと思います。

最後に、長男のコーディは幸せについてこう息子に語りました。

人を幸せにするのも不幸にするのも、みんな過ぎていく時間の上に成り立っているんだ。幸せというのは、これから起こることを期待することじゃないか?不幸なときには、もう一度時間を元に戻したいと思うだろ?誰かが死んで、悲しくなって、その人が生きていた時代に戻りたいと思うように。たとえば写真でも、古い写真を見て、気がついたことがないか?懐かしいと思ったことないか。昔の人の笑い顔とか、今じゃ、おばあさんになっている子供とか、もう死んでしまった猫とか、とっくに花が萎んで、鉢そのものも割れるか失くなるかしてしまった植木鉢とか。。人を懐かしいと思わせるのは、そういう止まった一瞬なんだよ。もう一度、あのときに返れたら、と思うわけだ。あれやこれや、もう一度やり直せたら、とか、やってしまったこともやらずにすますことができたら、一度でいいから時間を巻き戻せたら。

先週は友人の命日でした、、今でも信じられません。また会える気がしてなりません。もう二度と会えないとわかっていたら、最後に会った日に、もっと沢山しゃべっておけばよかったと、、そんなことも考えます。。

今回はなんともとりとめのない感想となってしまいました。最近、なんだか、孤独感が増しているような気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 8日 (木)

一年が経った

明日は友人の一周忌です。

友人は昨年の1月8日夕刻に倒れて、翌日急逝してしまいました。

なんとあっという間の一年だったのでしょうか。呆然としながらも、普通に生活を送ってきてしまいました。

毎日会社に通勤して、変わらずに仕事をして。

友人と飲んだり、遊んだり、映画をみたり、花見をしたり、宴会をしたり、議論をしたり。

家族と旅行にいったり、温泉に行ったり、海水浴に行ったり、海外旅行をしたり、、病人の見舞いをしたり、、そんないつもの年と変わらない、普通の一年が過ぎてしまいました。。

逆に、昨年は今までで最高に古い友達(小学時代や高校時代や大学時代の友人にも)何人にも会って、人がそばにいなくて寂しいなんてことの全くなかった年のような気がします。

ただ、どんなに日々の暮らしを楽しもうとしていても、いつも心の片隅に友人を失った喪失感が漂っていたのです。

家族でも、奥さんでもないのに、異様に悲しんだらおかしい気がして、、普通に暮らしてしてきましたが、、本当はとても寂しかったのです。。

明日の命日には心密かに、友人に献杯をして彼との思い出を偲びたいとおもいます。

そして、人を愛し、生きることを愛し、人生を楽しむことを教えてくれた亡き友人の教えを無駄にしないためにも、これからも人生を最大限に楽しめるそんな日々を過ごすように心がけていただきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 6日 (火)

王様は裸だと言った子供はその後どうなったか

著者 森達也 集英社新書

高校時代に、芥川龍之介の羅生門に習って、今昔物語の中から題材を選んで物語を作りなさいという課題で、創作したり、本書の通り、物語のその後、ということで「アルプスの少女ハイジ」のその後を考えなさい、という課題があったりして、みんなそれぞれとても面白い作品を書いていて、楽しんで読んだことを思い出して、本書もそんな感じなのだろうなぁと思って入手したのですが、、

どちらかというと、森氏の主義主張を述べるために、強引に昔ものがたりを引用したようで、思っていた内容とはまるで違ったのですが、森氏の考えには、かなり近いところがある自分でありました。

たとえば、私はパイレーツオブカリビアンでは、特に次々と大砲で飛ばされる名もなき兵隊さんの家族のことが気になって仕方がなかったし、、インディジョーンズでも、インディにバタバタと殺されるジャングルの原住民が気の毒でならないし、とにかく、チャンバラでも戦争者でも、豪傑や英雄の話よりも、その他大勢のはかなく散っていく無数の脇役のひとびとのそれぞれのこれまでの人生のほうが、ずっと気になって仕方がなかったので、仮面ライダーに登場するショッカーの戦闘員ひとりひとりの暮らしにスポットライトを当てたりする森氏に近い感情を抱きました。

とはいえ、最後のドンキホーテを、無理やり靖国問題に結びつけるのはちょっとやりすぎな気もしましたが。。

本書で、森氏の作品は「死刑」に続き二冊目ですが、、おそらく思想的に近い人なのではないのだろうかという気がいたしました。

ですが、やはり本書に比べると、高校時代に部活の先輩たちが書いた「ハイジのその後」シリーズそれぞれが本書よりも面白かったですが。。

(ハイジとクララでピーター争奪戦、とか、、じつはハイジは宇宙人でUFOが迎えにきて故郷へ里帰りしたとか、、クララの家が破産しておちぶれてクララは娼婦になり、、とか、、とにかく発想たっぷりでどれも面白かったことをよく覚えています、、かれこれ数十年も前の高校時代に読んだ高校生の作文なのですが。。)

それにしても、、今考えると、、高校生の授業って楽しかったんですね。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

パース旅行記

オーストラリアの西海岸、パースという街を旅しました。

はじめてのオーストラリア旅行でしたが、久しぶりに楽しい海外旅行でした。さすが失敗国家ランキング下から9位という安定国家だけのことはあります。

Everyone in Perth was very kind and friendly.

信じられないくらいに現地の人が親切です。たとえば、駅で切符の買い方が判らずにちょっとでもまごついていると、近くのオバサンが、"May I help You?" と寄ってきて、切符の買い方を教えてくれます。

連れと交互に記念撮影をしていると、ほぼ100%の確率で、即効で"I'will take your picture together"って申し出てくれます。それは、ビーチだろうが、観光地だろうが、アイリッシュパブだろうが、路上だろうが、近くのおじさんやおばさんやお兄ちゃんやおじいちゃんやおばあちゃん(そういえば若い女の子はいなかったな?やはり恥ずかしい年頃なのかしら?)が写真を撮ってくれて、しかも構図が決まるまでなんかいかシャッターを押してくれます。

一度無人駅でたった一つしかない切符の販売機が故障をしてしまって、インターホン越しにセンターの職員と会話をしなければならなかったのですが、そのときも、近くにいるお兄ちゃんがたどたどしい英語の私に代わってペラペラと説明してくれました。(彼らは日本のスイカのようなカードを持っているので、切符購入が不要なのです)。

というわけで、知らない人に目一杯親切にされると、自分も誰かに目一杯親切にしたくなってしまいました。

日本の若者が最近海外に出かけなくなり、内向的になっていると聞きますが、やはり、世界の人々と知り合いになるって、いいことなのになぁ~もったいないと思います。若くて体力のあるうちなら、バックパックを背負っていくらでも貧乏旅行ができると思うのですが。。

オーストラリア人というと日本では、捕鯨反対のシーシェバードばかりが取りざたされますが、そんなことはない、彼らは親切で優しい。ほんの数日の滞在でしたが、オーストラリア人はハートフルな人々の住むとてもよい国だという印象しかありませんでした。

日本にくる外国人の方々にも日本に対して同じような印象を持って自国へ帰ってくれたらよいのになぁとつくづく思いました。

この国が、経済が安定していて、精神的に豊かで大人だからということもあるのかもしれません。かつては迫害をしてしまった原住民のアボリの人々とも、うまく共存をしているように見受けられました。。(短期間の滞在での感想なので、真相は違っていたら申し訳ないのですが)。

市内バスも無料、美術館も無料、海水浴場には無料のシャワー、、少なくても、旅行者には、とても親切で、安心して過ごせる街だったことには間違いありません。

宿泊地はホリデーインバースウッドというホテルで、市の中心にあるPerth駅からは電車で5駅名のBursewoodという駅から徒歩5分くらいのところにあるホテルです。隣には巨大なカジノがあったりゴルフ場があり、リバーサイドの公園があったりと、緑豊かで、とても環境のよいホテルでした。Perth駅までも電車が大体10分から20分おきにあって、所要は10分程度なので、まったく問題なく行動できました。

このPerth駅というのがターミナルになっていて、いろいろな観光地へ向う拠点となっています。

市内には無料バスのCATというのも走っているらしかったのですが、私は徒歩と電車のみで過ごしました。観光スポットのバラック桟橋にも、キングスパークにも、ノースブリッチにも、余裕で徒歩で散策できます。(港町のフリーマントルはPerth駅から電車で30分くらいかかります)。

大抵の観光客は、ピナグルズ、ロットネスト島、エアーズロックなどのツアーに参加するのだと思うのですが、どこの観光地も往復数時間なので、長時間バスやフェリーで過ごすのももったいなく思ったので、今回は、遠方の観光ツアーには一切参加せずに、市内や近郊でまったりと過ごしました。

旅行の日程は、次回に書きたいと思います。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »