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2009年5月27日 (水)

桂のマイケーキ

著者森村桂 海竜社

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先日、軽井沢の「アリスの丘」ティールームを訪れた時に購入した一冊。

森村桂が発明した素朴なケーキがたくさん掲載してあって、眺めているだけで、優しく、そして幸せな気持ちに満たされてきます。

不器用さんが作った、不恰好なケーキたち、それでもケーキ作りが大好き。そんなそんな優しいメッセージが伝わってきます。

何をやっても器用で、なんでもキチンとできて、才能もあって、そつなく優秀で、そんな人だけがだれもが夢見る、豊かな人生を歩くことができて、あとの人たちは、諦めの人生を歩くしかないの?今の世の中?

好きこそものの上手なれでもない、好きなのに、どれだけ努力しても、練習しても、それでも一向に上手にならない、でもあきらめれれない、好きだから続けたい、、でも、それってまさに人生そのものなんじゃない?

毎日が生きづらい、どれだけ頑張っても、それでも一向に人生はうまくいかない、そんなことを思っている人には絶対に手にしてほしい、お薦めの一冊です。

え~、これでいいんだ?って思えるんですよ。肩の力が抜けて、ホッとできると思います。

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エンドレスワールド

著者佐伯紅緒 世界文化社

大手IT企業につとめる派遣社員3人が、会社の不正を暴くという、恋愛あり、サスペンスあり、そして人生の教訓めいたものも散りばめられた小説。

休日に会社に忍び込んで、メール読むために、引き出しこわして、パスワードの書いたメモを探して、それでメールにログインって。。大手IT企業でそんなセキュリティないよ・・と(今勤めている会社でも、メールにたどり着くまでに、4種類の異なるパスワードが必要だし・・)。しかも、防犯カメラに映りこんでて、あっという間に犯行がばれるっていうか、その犯行の前に防犯カメラに気がつくと思うのですが。。w

このセキュリティ重視時代に読むとちょっと現実味が足りないのですが、セキュリティがまだまだ甘かった数年前の時代だったらありえるかなぁなんて思いました。パスワードをパソコンのモニターに貼り付けてるおじさんがいた時代もあったなぁ

本書にバグベアー(Bugbear)という言葉が登場します。英語の辞書だと根拠がないかもしれない)恐怖の原因, こわいもの, 悩みの種, いらだちのもと、となっています。

心に飼っている、悲しみの元というか、悩みの元のようなものでしょうか。

自分が傷つけた恋人が今でも傷ついているのじゃないかと(根拠はないけど)何年も気になっていたり、、、自分のことを振った恋人はどういう理由で自分を振ったのかわからないから、こうしていれば別れずにすんだんじゃないかとか、こちらも根拠はなしに、原因を考えて、ずーっとあーでもない、こうでもないと悩んでいることってあると思います。

本書では、昔の恋人を探し出したり、呼び出したりして、根拠のない自分の悩みの正解を問うて、バグベアーを整理するのですが、現実にバグベアー退治はなかなか難しいと思います。

何十年も前に自分を振った男性を呼び出して、あの時何を考えていたの、どうして振ったの?とか、自分が振った男性に、ひょっとしていまでも傷ついてないでしょうね?あのときあなたを振った理由はこういうわけで・・なんて尋ねていったら、気が狂った女がやってきたと思われかねません。。(「予告された殺人者の記録」というガルシアマルケスの小説がありましたが、あれは60年近く前に傷つけた女性(元妻)を待ち続けて最後にハッピーエンドになる話でししたが。。これこそまさにおとぎ話でしょう)

だから、人は、心にバグベアーを飼い慣らして、生活をしていかなければならないのだと本書をよんで納得しました。

本書を知るきっかけになったのは、森達也の「職業欄はエスパー」に登場する清田くんのことをネットで調べていたら、この作家のブログに行き当たったことがきっかけです(清田くんとお友だちらしいです)。

そういえば、本書も、精神世界というのか、スピリチュアルな感じも受けました。

話の展開が多少ご都合主義ではありましたが、ドラマ化されてもよさそうな、面白い小説でした。

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2009年5月25日 (月)

アリスの丘

夢に見た軽井沢のアリスの丘ティールームに念願かなって訪れることができました。店頭では番犬のゴンタくんがお出迎えしてくれます。

思ったとおりの雰囲気のお店でした。残念ながら森村桂さんの旦那様、M一郎さんにはお会いできませんでしたが、スタッフの方といろいろと桂さんのケーキや作品のお話ができました。

お店では、超薄アメリカンコーヒーとバナナケーキと幸せのケーキ、そして悪魔のささやきをいただきました。やはり想像通りの素朴な味わいです。

ついうっかりケーキの写真を撮る前に食べてしまいました。

ケーキとドリンクで1000円は高いというお客さまの意見があるようですが、森村桂記念館の入場料にケーキとコーヒーが付いていると考えればかなりのお得の価格設定だと思います。

店内には森村さんにまつわる思い出の品と写真で溢れていましたので森村桂ファンにはたまらないと思います。

本当は何時間もかけて一つずつ見て行きたかったです・・でもまた訪れて、少しずつ思い出の品に触れていきたいかなと思いました。M一郎さんとスタッフの方には、いつまでもこの場所でお店を守っていただきたいと思いました。

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こちらは、自分で焼いた桂さんレシピのバナナケーキ、先日大相撲観戦のために上京してきた両親にプレゼントしましたが、なぜだろう、まだ感想がありません。

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伊豆の踊子

著者 川端康成 新潮文庫

伊豆の踊子っていうと、百恵ちゃんと三浦友和の映画で、温泉での裸のシーンっていうそんなイメージで、、いままでまともに読んだことがありませんでした。。

今回、ちゃんとに読んでみると、良い小説ではありませんか。

本書の主人公、一高の学生さんは、アンタイラーの「パッチワークプラネット」に登場するバーナビーのようでした。

この学生は自分は、性質が歪んでいると感じて、その憂鬱に耐えかねて伊豆を旅します。

そして、ひとからはバカにされたり、蔑まされる踊子一座とひょんなことから伊豆の旅を同行することになるのです。

学生は、最初は踊子の姿に色情を感じて、そして後を追ったのに、実はその踊子は、お化粧していたのでもっと年上だとおもっていたが、まだ純粋無垢な14歳の子供だったことを知り(これが温泉場で百恵ちゃんが裸で手を振るシーンだったのです)、自分の滑稽さに笑いがとまらず、そして頭がぬぐわれたかのように澄んでくるのです。。

その踊子の純真な清らかさに心打たれ、自分の心のなかも徐々に清らかになっていったのでしょう。

下田で、その踊子一座と別れるときに踊り子たちが学生のことを「いい人ね」「ほんとうにいい人ね。いい人はいいね」とほめる単純な言葉を聴いたときに、学生は、自分自身をいい人だと素直に感じることができたのです。

そして、踊子たちと別れた帰りの船の上で、学生は人目も憚らず、ハラハラと涙をながすのです。

世間尋常の意味で自分がいい人に見えることがありがたかったというのです。

「パッチワークプラネット」のバーナビーは、自分が少しでも信用されていないと感じると、心がいじけてしまい、わざと信用されないような行動をしてしまうのだ。あなたがそう思っているなら、自分はそういう人間になってやろうじゃないか。。と。

そして、思いもかけない人たちが、自分のことを信用してくれていたことに心を打たれたりします。

人から信用されるということはとても有難いことです。

わたしは、最も信用して欲しい友人に、数年前から、何を言っても信用してもらえない状態が続いています。何度も会話を試みましたが、梨のつぶてです。何年もの間、憂鬱な心で旅しているようなものででした。

でも、だからこそ、自分を信頼して自分をいい人だと言ってくれる友人たちには、本当に心を打たれ、そして都度こころの平安を得ることができるのです。

そもそも信用してくれない人の信用をいつまでも求めつづけるのではなく、無条件で信用して続けてくれる人たちを大切にしよう。悲しいことですが、そんなことを感じた、一冊でした。

誰かに、「いい人だね」って言われたら、心が素直になって、そして嬉しいのです。

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2009年5月20日 (水)

エコポイントの謎

何故消費電力の高い商品を買うほうがエコポイントが高いのでしょう?

たとえば、旧型のエアコンから、省エネタイプの消費電力が少ないエアコンに買い替えたとか、旧型は廃棄して、扇風機かうちわに買い替えた人にエコポイントを最高に差し上げるってのならわかるんですが。。?小さいエアコンより大きいエアコン買った人のほうがポイント高いってのはどういうことなのか?エコって言葉を使っている意味が不明です。

消費拡大のための政策なら、消費貢献ポイントって名前にすればよいのに、

高額・大型商品の方をエコポイントを高くするってのがあまりにも嫌らしすぎです。莫大な税金(2400億~4200億?しかもまだ補正予算が国会通過してないのに見切り発車(-_-)を遣うんだから、そのところ、クリアにしていただきたいです。

環境省もからんだ環境対策の政策なら、エコポイントを沢山つけるなら、まずは、電化製品を廃棄して、買い替えをしない場合>中古の省エネ家電に買い替えた場合>現在の旧型のサイズより小さいサイズの省エネの新品に買い替えた場合の順にエコポイントが高くなるのが正しいと思うのに、中古商品の買い替えにはそれが省エネ家電でもエコポイントつかないし・・

環境対策なのに、経済産業省と総務省と一緒にやろうとするからこういうわけのわからない政策になってしまうのでしょうか?経済産業省→とにかく消費拡大したい。総務省→とにかく地デジ買わせたい・・・・あの~税金真面目に使ってください。

ちなみに、エコ商品に貼る省エネラベルを発行する団体は財団法人省エネルギーセンターという経済産業省の天下り団体だとか。。がくっ。

ETCもそうだけど。。地デジもそうだけど、(裁判員制度もそうかな?)

政府の政策と天下り団体設立がセットになっているのはどいうことなんでしょう。。もう節操とか矜持とか人として最低の羞恥心という言葉はこの人たちの辞書にはないでのでしょうか。

1.エアコン

冷房能力エコポイント数(点)
3.6kw以上 9000
2.8kw、2.5kw 7000
2.2kw以下 6000
買い替えをしてリサイクルを行う場合 更に 3000

2.冷蔵庫

容積エコポイント数(点)
501リットル以上 10000
401-500リットル 9000
251-400リットル 6000
250リットル以下 3000
買い替えをしてリサイクルを行う場合 更に 5000

3.地上デジタル放送対応テレビ

テレビサイズエコポイント数(点)
46V以上 36000
42V、40V 23000
37V 17000
32V、26V 12000
26V未満 7000
買い替えをしてリサイクルを行う場合 更に 3000

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2009年5月19日 (火)

鳩山兄さん

鳩山のお兄さんは、たしかアパホテルの社長や田母神氏などとワインの会だか夕べだかで楽しく核武装の話で花をさかせたとかさかせてないとか、、その辺がとても不安です。

また、超お坊ちゃまのお金持ちに庶民の生活の痛みなどわかるとも思えません。(ただ、ひょっとしてお金には困っていないので、汚職やら利権にまみれて、国民の血税金を掠め取って私腹を肥やそうなんて気が毛頭ない立派な心の持ち主の方なのかもしれません、、かもしれません(願望)。

学習院中等部からあえて当時はスーパー進学校だった都立高校へ進学後に東大入っているから、漢字はまともに読めそうだな?(学習院では麻生氏より7つ後輩なんですね)。それにしても、なぜに大金持ちなのに、都立高校に進んだのでしょうね、やはり学習院では勉強の内容が不足だったのかしら?(同時代の作家森村桂が書いていたし)。

友愛の魂ということで、偏執的な外国人蔑視・差別などはしなさそうです。

それにしても、政権交代なんてあるのでしょうか。

一般国民は日常生活の変化を嫌います。変化に適応するくらいだったら、死んだほうがましと考えるのでしょうか?だから、実際は変化に気がついていても気が付かないふりまでしてしまいます。

実際は一大事な変化(ボヤ)が起こっているのに、あえて気がつかないふりをして、平穏な日常生活を続けようとします。危険だと指摘する人があらわれても、その警告には耳を貸したがりません。そして、カエルのたとえであるように、じわじわと茹で上がって命を落とす寸前まで、身の危険に気がつかない(あえて気がつかないようにしてしまう)のではないでしょうか。太平洋戦争前の日本国民のようにです・・

あ、でも参議院戦では自民党惨敗したんでした、人間はカエルよりは利口のはずなのですが。。

と、、何の話だかわからなくなりました。。べつに民主党の支持者でもない無党派層として、これから選挙まで、鳩山兄さんの言動はウォッチングしていきたいと思います。

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2009年5月18日 (月)

恋するこころ

著者 森村桂 角川文庫

虚栄の市」昭和バージョン、とでも申し上げたらよろしいでしょうか。

森村桂は自分の体験をそのまんま描いた作品をが多いのですが、本書はめずらしく、本格的な青春小説でした。まぁ、なんとも面白かったです。

父親が汚職事件で自殺、スポーツ万能の男の子への初恋、友人の裏切り、、上流階級の使用人へのいじめ、身分違いの恋、玉の輿への夢、青春の挫折、学生運動などなどがてんこ盛りのジェットコースター小説のようでありました。

昭和時代の少女漫画ってこんなかんじだったかもしれません「キャンディ・キャンディ」の舞台を60年代の日本にするとこの小説みたいな感じになるのかもしてません。「愛と誠」ともなんとなく被っているような・・?(「愛と誠」が流行っていた時代に書かれた小説なので、多少意識していた可能性はあるかもしれません)。

本書の初版は1980年・・この頃の人権意識は現代と比べてずいぶんおおらかだったようです。差別用語もてんこ盛りだったりします。

差別表現などの問題で、なかなか復刻が難しいのかもしれませんが、60年代の国民の人権意識を理解するためにも、そのまんまの形で復刻してもらいたい一冊でした。

逆に今となってはとってもシュールな内容にも思えます。資本家vs庶民60年代の風景が、現代の風景にも見えてしまいます。。

シュールさにおいたら伊坂幸太郎の小説より、、圧勝かもしれません。

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2009年5月17日 (日)

大相撲夏場所

昨日は国技館へ大相撲見物

入り口に長蛇の列で何事?と思ったら、入場者全員の手を消毒させていました。インフルエンザ対策のようです。

この日は、高見盛の取り組みでの大奮闘が唯一館内を沸かせましたが、それ以外の相撲がイマイチでした。

白鵬も朝青龍もヒヤっとさせながらも、勝利を収めましたが、高見盛戦以外は大相撲まったくなく不満でした。ヒイキの出島も全然だめですし。

ですが、帰り道の路上で、錣山親方(元寺尾関)にばったり遭遇したことが嬉しかったです。親方、通行人に道を教えていました、親切な良い人なんですね~。現役時代と全く変わらずの男前で、気分が上々になりました。

相撲見物の後は、友だち夫妻たちと連れ立ってちゃんこ「寺尾」で一席。よそのちゃんこは、大体人数マイナス一人前くらいでちょうどなのですが、ここのちゃんこは野菜豊富のちゃんこでしたので、ひとりで一人前食べられます。(野菜豊富といえば聞こえがよいですが、白菜で嵩増ししているとも言えるという意見もありました)。

両国では「江戸沢」「ワールドちゃんこ朝青龍」「寺尾」「栃東」とトライしましたが、いまのところ、個人的には「吉葉」を上回るちゃんこには遭遇していません。(両国にはないですが、いちど「ちゃんこ若」を試してみたいと思っています。

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2009年5月15日 (金)

脳内が「悲愴」

ベートーベンのソナタ第八。いわゆる「悲愴」の第二楽章のメロディが今朝から一日中エンドレスで脳内で鳴りっ放しです。(いまこの曲を練習中ということもあるのですが)。

いくらなんでもそれでは悲愴なので、アジカンの「サーフブンガクカマクラ」を家に帰ってきてからガンガンと流し続けて、もうそろそろ脳内音楽はアジカンに切り替わっただろうと思ったのですが、ふと気がつくとやっぱり脳内に「悲愴」が流れているのです。

恐るべしベートーベン。

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2009年5月13日 (水)

違っているかしら

著者 森村桂 角川文庫

こちらも古本屋で100円で入手。森村桂の就職奮闘記を描いた作品です。

出版の翌年には、吉永小百合主演で映画化もされているらしい、是非とも観てみたいものです。

今の就職難の時代とまったく同じ、正規雇用と非正規雇用(とくに出版社などのマスコミは、正社員と下請けの格差は天国と地獄でしょう)なども語られている。

ロスジェネなどと非正規雇用者の権利を主張する最近の若者が多いのですが、一流会社の正社員になるか、それ以外の契約社員では、待遇が雲泥のように違うのは、今に始まった話ではないようですから、これは根が深いです。(本書の初版は1969年)。

彼女は、ノーアポでの社長との直談判やら、考えうるありとあらゆるコネの収集など、希望の会社にはいるためのチャレンジ精神においたら右にでるものはなく、結局、正規の募集もしていなかった会社にみごと正社員として就職してしまうのです。(就職先は「暮らしの手帖社」)。

ところが、せっかく就職できた一流会社の水が(本書ではモノサシといっていましたが)彼女には合わず、結局1年足らずで退職。その翌年にはニューカレドニアへと船出をするのですから、なんだか作者本人が、小説の登場人物のような人物です。(まぁ、自分自身に起こった出来事だけ書いて、80冊もベストセラーを出してしまうのですから、ただものではないのかとおもいますけれど)。

本書は、学歴、非新卒、成績など様々な理由で、正攻法では就職が難しい方々のための、就職でシュウカツの手引書と言えそうです。(森村桂の時代と違って、会社にもぐりこんで社長に直談判というのは難しそうですけれど。大抵の会社では身分証のない人物を建物の中に入れないようにしていますし、大会社の社長ともなると、地下の駐車場の車寄せに社用車を横付けだろうし、駐車場でアタックしようにもにもやはり警備員にブロックされそうですから、社長を玄関で待ち伏せも難しいかと思います。。)。

わたしがはじめて森村桂という作家の本(天国に一番近い島)を読んだときには、既に故人となってしまっていましたが、その本を読む3ヶ月前まで存命だったということ、しかも、軽井沢に行けばひょっとしたらお会いできたかもしれないということを知り、残念でなりません。是非、一度お会いして声を聞いてみたかったです。

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2009年5月12日 (火)

わたしの逢った神さまたち

著者 森村桂 角川文庫

こうなったら、読破せずにはいられない。。という勢いで、古本屋を漁って森村桂の方を探しています。

結構売っているものですね。本書も100円ですよ。。

本書は1994年、著者がなくなる10年前に改定初版がされているのですね。

もともとは、昭和1975年初版ですから、なんとも長いこと鮮度を失わずに広く読まれてきたかということが伺えます。なぜに絶版?とこの本も深く疑問の一冊です。

本書では、なんともパワフルな著者の姿が描かれています。

どうしても杏ジャムがつくりたくて、長野の駅長さんに電話して、杏を送ってもらったり、

福祉施設のチャリティのために、女優の吉永小百合や巨人の長嶋茂雄、歌手の宮城まり子などの有名人を巻き込んで無料でチャリティに参加させて、ほぼ全額寄付を可能にしまったり。(芸能人などの出演するチャリティーは、出演料を払っているので、収益全額寄付というのはありえないことが常識だそうです)。

身寄りのない青少年のために4畳半のアパートを借りて少女たちを保護したあげく、財団法人設立に寄与したり(現在の財団法人青少年福祉センターの前身だというからおどろきです)。

テレビの対談で、「味噌は三年味噌にかぎる」とふんぞり返って言う、田中角栄(元首相)に、「あなたのような金持ちはいつでも三年味噌が手に入るだろうけれど、一般庶民は簡単に手に入るものではない、その辺の安い味噌をどうやって美味しく食べれるようにするか主婦は頭をいためているんだ」とやり返して、田中角栄をギャフンと言わせたとか。

なんなんだ、なんなんだ一体この人は?と思うくらいのエネルギッシュな人物です。しかも全てが思い立ったら吉日が成功する天然なのですから。

人からお金を借りる方法として、詐欺まがいのことまで書いているし、しかも実践してそれでニューカレドニアまで行ってしまうんだからすこいったらすごいですよ。

最後の章では介護問題について、こんな風に語っています。

日本という国は、つくづく悲しい。どうして、北欧のように、病院がととのっていないのだろう。ヨーロッパのように、ハウス・ヘルパーという人が、どこへでも出かけないのだろう。看護婦さんといわれる人は、どうして、上流家庭ばかりに行くのだろう。

修道院の尼さんたちは、何をしているのだろう。こういう人を助けることが、キリストの教えではないのだろうか。新興宗教の人たち、またしかり。みんな、どこかに、大事な心、何をすべきか、誰が、助けをよんでいるかを、忘れている。

本書で、彼女は前夫のお姑さまが、介護が必要となった家族のいるお世話になった自分の仲人の家庭に二週間にいちどのペースで何十年も通って介護の手伝いをして、その家族をささえていると言う話を紹介しています。

どんなに身近な他人に不幸があたとしても、通夜の晩には、「奥さん、困ったことがあったら何でもいってください、力になりますから」と言っていた人が、四十九日もすぎるとすっかり音沙汰もなくなり、命日を思い出して尋ねてきてくれたらいい方だというのに、お姑さまは、何十年と親戚でもない他人を助けに通っていると語っている。

よのなかには、神様のような人たちが沢山いるものだ。

でも、その神様は、だれにでも訪れるわけではなく、きっと神様のような人たちをひきつける魅力を訪れてもらったその人が持っているのだろうとも思えます。

なきM兄もその能力を持っていたと思う。体に障害があったので、週に一度ヘルパーさんを雇っていたが、彼の会社の先輩は、毎週週末に、とくに義務でもないのに、彼の部屋を訪れ、お昼の弁当を一緒に食べ、簡単な部屋の片付けや用事をしてくれていたというのだ。その先輩にはご家族がいるのに、なんと素晴らしい先輩だろうと思ったものです。

でも、きっとその先輩は善意だけでしていたのではなく、亡きM兄に会いに行くことが楽しみだったのだろうなと思っています。このお姑さまも、きっとこのお世話になった仲人さんの家に行くことを苦にしていなかったのだろう。この仲人さんには神様をひきつける魅力があったに違いないと思うのです。

気付かないうちに、人はいろいろな人の善意に守られてきたんじゃないかと思います。その善意を当たり前と思わずに、神様の行為として、感謝の気持ちを持てる人、そんな人のところに次々と神様は訪れるのかもしれないと、そんな風に思ってしまいました。

本書は、とてもよい本です。

ただし、福祉の慈善活動に心を砕いていた彼女が、自分のボーナスで旦那さまにゴルフの会員権というくだらないものを買ってあげてしまう心理は理解不能でしたけれど。。

来年は森村桂、生誕70年。各出版社も生誕記念復刻してくれればいいのに、と強く思ってしまいました。

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小沢辞任に思う

やはり、前日の読売新聞の世論調査が効いたのでしょうか。唐突に辞任してしまいましたね。

森さんや尾身さんや二階さんに対する企業献金についての世論調査はなぜ行わなかったのか(二階さんなんて現政権の閣僚なわけだし、野党の党首よりもっと問題だと思うのですけれど)。

マスコミの報道はあまりにも一方的すぎて醜悪です。

小沢さんも、記者会見で、自民党で西松建設から献金を受けていた人たちの具体的な名前を挙げて、自分と件どの辺りがちがうのかを検察に詳しく説明していただきたいと、報道各社が集まっているのだから言ってしまえばよかったのにね・・(かつては自民党の中核だった小沢さんとしては、それでは義理を欠くことになるとでも思ったのでしょうか)。

それにしても、小沢さんを守るべき立場の民主党の党員が、自分だけの保身に走ってしまったこともがっかりです。まだ、秘書が起訴されただけで、判決も出ていないのに、これでは実際に犯罪を犯してしまったかのようなイメージではないですか。挙党一致で団結する必要があったと思うのに・・

忌野清志郎が、こんな曲を歌っています。

軽薄なジャーナリストより・・

軽薄なジャーナリストはTVにでて

軽薄な指示どおりに台本を読む

そしてギャラをもらって家族を養う

軽薄なジャーナリストはいい服を着て

何も知らない人にうそをつく

そして安全なところからただ見ているだけ

散々、小沢一郎のイメージを損なう偏向報道を行っていたNHKは忌野清志郎の追悼番組を行ったようですが、この歌も、臆面もなく番組で流したのでしょうか?

民主党は、代表を岡田で行くような様子ですが、西松建設とイオングループは関係を疑われています。企業献金を受けていない長妻さんなどがいいようにも思いますが、長妻さんは、テレビなどでも、話すとき、二コリともせずに難しい顔でしゃべっていて、堅物臭がするので、あんまり真面目ではない国民に受けが悪いんでしょうかね?

だって、世論調査で、バカまるだしの誰かさんがいまだに総理になってほしいNO1だったりするし・・

長妻さんが、織田信長のように、バカまるだし演技をテレビでしてみるというのも手かもしれません。好感度がアップするかと思います。

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2009年5月 8日 (金)

忌野清志郎の死に思う

忌野清志郎の訃報にはとてもショックを受けました。ご冥福を祈りたいとおもいます。

最初で最後に生で聴いた彼の歌声は2007年12月8日のジョンレノン追悼ライブでのイマジンだったのです。鳥肌が立つくらいの素晴らしいステージでした。たった一度の、たった一曲で、人を感動させるのですから、多くの人に惜しまれて逝ったことがよくわかります。

原発反対ソングで、東芝EMIからアルバムが出せずに、インディーズでリリースしたこと。自分の曲を放送禁止にした東京FMを批判する歌を突然生テレビで唄ったことなど、数々の逸話があるそうです。

どの曲も、物議を醸し、様々な社会問題に対して、多くの人の関心を高めてきたのです。なんといったって、当ブログでも、忌野清志郎の歌詞をタイトルにした「夢かもしれない」を記事にしたら、この、僻地の無名ブログに、これまでなかった最多数の(といって4件(^^;)ですが)のコメントが付いたほどです。

最後にテレビで彼が話す姿を見たのは、去年の徹子の部屋でした、普段は仕事で見ることはできない時間帯のこの番組を、たまたま体調を崩して欠勤していて見ることができたというのも不思議なめぐりあわせです。このときの清志郎は、殆どしゃべらず、黒柳徹子がひとりでしゃべっていて、彼はとても元気がなさそうでした。前年のジョンレノン音楽祭の時と同一人物かと思いましたが、きっと、普段はとてもシャイだったのかなぁと思いました。

清志郎が唄ったイマジン・・

天国はない ただ空があるだけ
国境もない ただ地球があるだけ
みんながそう思えば 簡単なことさ

社会主義も 資本主義も
偉い人も 貧しい人も
みんなが同じならば 簡単なことさ

夢かもしれない でもその夢を見てるのは
一人だけじゃない 世界中にいるのさ
 
誰かを憎んでも 派閥を作っても
頭の上には ただ空があるだけ
みんながそう思うさ 簡単なこと言う

夢かもしれない でも その夢を見てるのは
きみ一人じゃない 仲間がいるのさ
夢かもしれない でもその夢を見てるのは
きみ一人じゃない 夢かもしれない

でも一人じゃない 夢かもしれない かもしれない
だけど一人じゃない
夢かもしれない かもしれない・・・・・

「天国はない」と唄った清志郎は、今、どこにいるのでしょう。

第二、第三の清志郎は現れるのでしょうか?「卍ライン」の窪塚くんは歌が下手すぎるし・・

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2009年5月 7日 (木)

おいで初恋

著者 森村桂 角川文庫

この本も古本屋で100円で購入。とても歴史的価値のある一冊と思うのですが、なぜか絶版。。本書は、著者が学習院時代に過ごした演劇部での一年をモチーフにして描いた青春小説です。本書では修学院大学という名前になっておりますが、もちろんこれは学習院大学のことと思われます。この作品をドラマ化したら、「花男」より面白いとおもうのに、なんたったって学習院に実在したかなり多くの華麗なる人々が登場するのですから。。今上天皇(当時の皇太子様)とかね。

特におじさんと名づけられた織田信長の子孫とされている登場人物などは、彼女のほかのエッセイにも登場しているのですから、とても気になります。

1950年代後半の学習院の高校、大学の様子が描かれていることがとても興味深く、それだけでも価値があると思うのです。特に、面白いことに気がつきました。

森村桂は1940年生まれです、つまり今の総理大臣の麻生太郎と同じ年に生まれているのです。(森村桂のほうが学年がひとつ上のようですが)。

必然的に高校、大学も麻生氏と同時期に過ごしたことになります、そう思って読むとなんとも興味深い一節に出くわしましたぞ。

そして多くの女子部の学生は、修学院大学の大学生を尊敬していなかった。

「やだわ、あんなナヨナヨした大学生」「覇気がまるでないんですもん」

というのがみんなの一致した意見だった。(中略)男子高では特別優秀な生徒は東大へ行ったり、外国の大学へ行ってしまう。残った人たちが大学に行くのだが、かれらは父親や親戚の会社に入ったり、コネがあるから就職の心配がまるでない。もちろん学生運動なんて貧乏人のやることだと思っているから、学校に来ても、ただ落第しなきゃいいぐらいに思って、マージャンをしたり、喫茶店でだべってばかりいる。

なるほど、こんな大学時代を過ごしていたのだとしたら、簡単な漢字すら読めないわけです。でも、森村桂も、同世代の学習院卒の男子学生が、まさか総理大臣になるとは、草葉の陰でひっくり返っているかもしれません。

ところで、本書の解説には、オペラ演出家の故三谷礼二氏が、同窓生の集まりでの余興での、なんとも面白いエピソードを描いているのです。とても興味深いので抜粋したいと思います。

ハタから見るとなんともくだらない余興の趣向を凝らすのだが、一度、みんなで日本国からの独立を志したことがあって、日の丸が暗雲にかくれる国旗を制定し、独立宣言のパロディーを朗読し、「君がァまあでェ」という世界最短の国歌を流し、日本国と仮想の(舞台効果による)戦争を起こして文字通り勝手な勝利をおさめ、唯一の外国人?として、真物の外務省に勤務している仲間のひとりが降伏文書を持って車から降り立ってくる。というバカバカしい念の入れ方だったのだが、桂は、このバカ騒ぎの中で、当然のように全員一致で、「女王」に選ばれたのであった。仲間内では珍しいクリスチャンが、ともかく枢機卿を名乗って、無事「戴冠式」まで行ったのだが、桂は「女王のおことば」の段で、近所まで鳴りひびく大声で「人間だァ!」と、あっさり「人間宣言」をしてしまい、女神をいただく大帝国のはずの新独立国は、あっさり共和国になってしまって、貴族や、軍閥、財閥に役割の決まっていた連中をがっくりさせたものである。

学習院という、しかも当時は当たり前のように、元伯爵や元貴族、武家の末裔などが通っていたという大学の卒業生が、このような日本からの独立ごっこ遊びをしていたことがとても興味深い。

どうみても殿様のつもりにしか見れない現職の総理大臣と、彼らが同じ大学を卒業しているということが、とても不思議で、それでいてなんとなく納得できてしまう、そんな感想を持ちました。

それにしても、この解説を書いている三谷氏も故人ということです。

どんどん森村桂の関係者はこの世を去っていってしまいます。森達也あたりが、関係者を回って、もっと詳しく森村桂の人間像に迫って欲しいと、とても思ってしまいました。

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2009年5月 1日 (金)

大山鳴動して鼠一匹

今回の新型インフルエンザに対する政府の対応が正確な情報収集や水も漏らさない対策を講じる以前に、むやみに国民の不安を煽りパニックに落としいれるような内容ばかりだったでとても不信感を覚えています。

ロサンゼルスから帰国の成田の女性も、カナダの修学旅行帰りの高校生にしても、疑いの段階ではなく、正確な診断を待ってから国民に発表してもよかったのではないかと思いました。そもそも、感染度が非常に高いという理由で、フェーズ5まで引き上げられたウィルスなのに、問題となった高校生の家族も同級生もひとりとして発症していないのだから、最初から違うウィルスなのではないかと疑ってしかるべきなのではと、素人の間でも噂されていたくらいです。

今回は、疑わしき患者および接触をもった関係者にだけ用意周到な隔離などの処置を行えばよく、まだ正確な診断も出ていないにもかかわらずに、深夜の記者会見までする必要はなかったように思えるのです。

おそらく、外国帰りの旅行者にコレラや赤痢などの法定伝染病が発生しても、ここまで大げさに報道したりしていないのではないのでしょうか?

国民すべての恐怖心を煽って、政府首脳部に精神的に依存させ、結果として、権力を獲得しようという、とてもいやらしい魂胆が垣間見えてしまうのです。

「大山鳴動して鼠一匹」では引っ込みのつかない政府が、もしや無理やり実際の集団感染者を捏造してしまうのではないかという不安まで覚えてしまいました。(そんなSFチックなことはありえないと固く信じておりますが)

先日のテポドン騒ぎの時と似ていますが、内閣の信頼回復には、ミサイルや疫病の力を借りる以外に道はないのでしょうか?

政府が信頼回復するには、一人の発症者も出さないことしか、もはや道はないと思います。ここまで大変だと報道してしまったのですから、政府首脳はこの騒動が鎮静化するまでに、不眠不休で対策に講じていただきたいと思いました。

まず、料亭やホテルでアルコール類を一杯やってはダメですよ。

よろしくお願いしたいと思います。

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楡の木の嘘

著者 吉岡忍 平凡社(それでも私は戦争に反対します:日本ペンクラブ編に収録)

1968年3月16日早朝、二十二機の米軍ヘリコプターでやってきた二個中隊、二百数十人の米兵がこの村を急襲した。自由と民主主義をおびやかす共産ゲリラ勢力を掃討する、という軍事作戦だった。

海沿いの集落を襲った一隊は手当たり次第に家々に飛び込み、M-16ライフル銃やM-60マシンガンをぶっ放した。いたるところで血が吹き上がり、骨や肉片が飛び散った。朝食のご飯を口にふくんだままの子供の頭が転がった。妊婦は腹をさかれた。腹から蹴りだされた胎児が空を切り、木の枝にひっかかった。

家から逃げ出した少女や女たちは捕らえられ、その場で強姦されたあと、裸のまま燃えさかる家に放り込まれ、焼き殺された・・・

ベトナム戦争のソンミ村虐殺事件を回想しながら、子ブッシュのイラク国民への米兵の無差別な暴力を想起させる内容です。

イラク国民へ無差別な暴力が行われた事実は、元アメリカ兵の描いた「イラク、米軍脱走兵、真実の告発」に詳しいです。

生き残りのベトナム人の老婆はソンミ村の虐殺を回想してこのように語ります。

「あの人たちは壊れていました」

「・・・あの兵隊たち。アメリカ人でも兵士でもなかったし、人間でもなかった。どんな動物だってあんなことはしない。あとになってくり返し、くり返し、彼らのことを考えました。だけど顔を思い出せない。思い出せないんじゃなくて、そこだけまっ白。青白く、何もない。あれはこわれた機械だった、壊れて、狂ったまま動く機械でした」

人の人間性を壊して狂った動物にしてしまう戦争。。その米兵の中にひとりだけ、虐殺に加わらなかった男がいたといいます。

カーターとかいう男だ。カーターは海沿いの集落に展開した小隊に属していたが、同僚が無差別虐殺を始めるのを見て、自分の銃で自分の左足を打ち抜いた。おれはこの作戦には加わらない、と決めたのだ。自分が狂った機械になる前に、自分で自分を壊した男が、あのとき一人だけいた。

この生き残りの老婆は、のちにアメリカを赦したと話はじめます。

あるとき気がついた。人間は憎しみを抱えて生きていくことはできません。憎悪は人間を岩や石にしてしまう。そうやって生きていくことは私自身が命を涸らすことになる。私はあの人たちを赦しました。あの人たちのためにも、私のためにも、です。一人で、この心のなかで「あなたたちを赦しますよ」と言ったんです。あの兵隊たちはアメリカ人でも人間でもなく、壊れた機械、壊れたこともしらずに狂ったようにしか動きまわれない機械だった。そう自分に言い聞かせることで私は憎しみを捨て、別の人生を見つけることができました」

おそらく、ナガサキ・ヒロシマの原爆投下で家族を失い、大切な人を失い、自分の身も心も傷つけられた被爆者のひとびとも、アメリカへの復讐ではなく、赦しの心で戦後、平和を願い、日本の再建に尽くしてきたのだとおもいます。

9.11テロで復讐心に燃え、まったく無関係の小さな子供や市民を虐殺し、生活を奪ってしまったのに、ひとかけらの心の痛みもなくのうのうと暮らし、笑っているブッシュや小泉元首相とどれだけ違う考えなのでしょうか。

このような論議になると、必ず、もしも自分の家族が敵性国の兵士に虐殺されたらどうするのだ、と尋ねる人がいます。敵性国の兵士は、心が壊れ、狂ってしまい、戦争の理由もわからない小さな子供を皆殺しにしたからといって、自国の兵士が、同じように敵性国の小さな子供を皆殺しにしてもいいはずがありません。

一度戦争が起こってしまったら、どれだけ良識のある、心の優しい兵士でも、罪のない子供を撃ち殺してしまったり、狂って見境なくなってしまった同僚が強姦や暴力を行うことを阻止すことが出来なくなってしまう可能性があるのです。恐怖心とはそういうものです。

浅田次郎の「もうひとりの私から、イラクへと向う部下へ」にありましたが、日本の自衛隊員たちはこの60年間、一度たりとも壊れた機械にならずに、誇り高い人間として生きてくることができたのです。

これからも、日本国民が、壊れた機械になって欲しくないと願うことは間違っていることなのでしょうか。憲法改正やら、核保有などがまことしやかにささやかれていますが。壊れた機械になるくらいだったら、相手を赦しながら人間として生きて行く道を選ぶべきなのではないのでしょうか。

憎しみという感情は、とても不毛です。世界中の人が、自分のすぐ隣にいる人たちを愛するようになるだけでも、世界はとっても優しい世界になれるのに。

誰もが自分のことしか考えない、誰かを踏みつけ、略奪し、誰も信用できない、そんな殺伐とした世の中に生きるより、思いやりを分かち合い、心を配る、そんな日々を生きる人たちが増えれば、この世の中は、ずっと住み心地がよくなると思えるのです。

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