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2009年7月27日 (月)

森村桂の食いしんぼ旅行

著者 森村桂 角川文庫

初版は昭和55年(1980年)ということですから、約30年前に書かれた旅行記なわけですが、おそらく当時の日本はバブル真っ盛りで、若者たちも次々と海外旅行に繰り出した時代だったような気がします。どのストーリーも、森村桂目線の面白い発想で描かれていて、とても楽しく読むことができました。

私が森村桂という作家を知ったのは2004年の12月の終わり、その年の9月に既に故人となっていてしまっていたのですが、どうして、自分が海外旅行をはじめた頃に、彼女の多くの旅行記を読んでから出かけなかったのだろうかと悔やまれます。

映画「サウンドオブミュージック」が子供のころからの憧れで、わたしの初めての海外旅行はこの映画の舞台だったザルツブルクでの一ヶ月の滞在でした。

もう、何年も昔のことなのに、今でもそのホームスティの日々が、自分の海外旅行の中でも、最高の日々だったと思っています。

森村桂は、一時期、毎年のようにドイツやザルツブルクに家を借りて数ヶ月を過ごしたということです。なんともうらやましい、夢のような生活をしていたのかと思ってしまいました。

日々の忙しさで、ヨーロッパの生活の記憶がどんどん薄れていく中で、彼女のヨーロッパ暮らしの日々を読むと、また若かりしころの旅行熱に火がついてしまいました。

ああ、ザルツブルクにもう一度行きたいなぁ。。(とりあえず人生の目標の一つに入れておきましょう)。

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2009年7月26日 (日)

出島関引退

でるでる出島の引退は、相撲ファンとして、かなりショックなニュースでした。

このところ、不調続きで、心配していたのですが、まだ若いので、もうひとふんばり頑張ってほしかったです。

相撲観戦の楽しみにひとつが無くなってしまい、とても寂しいニュースでした。

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2009年7月24日 (金)

友人は大切だなぁ

今日は友人S男と神田の居酒屋を三軒はしご。ずっとビール飲みっぱなし。

沢山いろいろな話をして、楽しかった。

そして、話ができる友だちがとても大切だと再認識。

そして、酔っ払って寝る。

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瀕死の助六問屋

著者 忌野清志郎 小学館

どうぞ待っていておくれ。僕を忘れないでくれ。

いつか君のもとに帰るよ。

政治の話をして君を困らせたりしないから、僕を待っていておくれ。

先日友人Eと久しぶりに銀座で美味しい料理を肴に飲んだとき、たまたま、会話のきっかけで、小泉元首相が格好いいと友人が語ったため、突然わたしの小泉ギライが着火してしまい、いかに小泉がひどい奴かを30分近く懇々とと語ってしまったのですが、友人はもともと政治に一切興味がなく、政治家は、知り合いor顔で決めるというタイプだったので、この30分の私の語りは、とっても友人にとっては迷惑だったわけです。

たしかに、顔が格好よいから選ぶもあり、というのが今の日本の選挙なわけなので、、、相手が嫌な気持ちになるのに、自分が認めていない政治家を激しく中傷するのはおとなげないのかもしれないと、後からちょっと反省をしてしまいました。

ごめんね、もう政治の話をして、君を困らせたりしないよ。

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2009年7月22日 (水)

NANO-MUGEN FES.2009

7月19日に、3年ぶりにNANO-MUGEN FES.2009に横浜アリーナまで行ってきました。

前回は12:00頃に会場入りしたところ、体力不足でアジカン登場を待てずに撤退してしまった虚弱ぶりだったのですが、今回は新横浜プリンスに宿を取り、万全の体制で。。しかも、体力的に耐えられるのは最高でも4時間ですよ、、ということで、終焉は21:45頃という情報から逆算して、会場に18時すこし回って到着したら、ちょうどアジカンの第一曲目が始まったところでした。(ええっアジカン登場こんなに早いの?と慌てたら、この日はアジカンがトリではなかったのでした)。

みなさん、朝の10:30から会場入りして、長時間のライブを楽しんだのですね、その若さと体力がうらやましい限りです。

シルバー対策として、会場の再入場を自由にしていただければ、疲労時に、近くのホテルで休憩できるのに。。なんて。。そんな虚弱な人間が夏フェスに参加するなんて、言語道断といわれそうですが、また来年も参加したいです。もっと体力つけたいと思いました。

アジカンのステージは、かなり遅い時間に会場に到着したのに、アリーナのステージ付近のあたりまで近づけて、とてもとても盛り上がりました。会場を後にする頃には、血圧が極度に下がって、倒れそうでしたが。。

そういえば、20日はなんとスピッツ、ユニコーンも参加という豪華ぶりだったのでが、自分はうらやましいなぁと思いながらも、翌日の仕事が。。とこの日の参加は見送りました。。本当に虚弱体質です。。

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終末のフール

著者 伊坂幸太郎 集英社文庫

「死者の精度」と同様に、丁寧にストーリーを練らずに無理やり出版してしまったような杜撰な内容に思えました。

この作者は、「ラッシュライフ」あたりで、しばらく休筆に入ってもよかったような。。

「オーデュポンの祈り」を読んだときには、日本のジョナサンキャロルか?と期待していたのですが、このままでは、東野圭吾みたく、内容の薄い小説を書き散らす作家になってしまいそうで残念です。

まず、世界が終わることを政府が知ったら、政府は権力を駆使した徹底的な圧力で報道規制、緘口令をひいて、1000%以上の確率で国民には知らせないでしょう。

それこそ、まちがいなく、この小説で描かれている以上に、権力者が搾取するための労働者が世界中から居なくなります。お金の価値だってなくなりますから、スーパーハイパーインフレになるはずで、本書に描かれているように、悠長に自動販売機でジュースが買えるわけもないと思います。

いずれにしても、あと8年で世界が終わるとしたらあなたはどうしますか?というのは、自分の世界だけが終わり、世界は終わらないという設定にしないと到底難しい気がします。

8年しかないのに、地道に水道局やガス会社や電力会社で働いている人ばかりではないでしょう。そして、電力会社や水道局が活動を停止したらどうなるか、、こちらの本を買って読むよりも、アランワイズマンの「人類が消えた日」をお薦めしたいと思います。

ところで、自分の余生があと少しとわかったら、以前みた映画、「最高の人生の見つけ方」の感想にも書いたように、大好きな東京の街角を出来るだけ散歩して、そしてできるだけ本を読んで、できるだけ生のライブに行きたい(と、今やっていることと同じことをしたいなと思っています、実際の話になったら、それどころじゃなくなりそうな気がしますが、だからこそ、本番に向けてのイメージトレーニングは大切かと。。)

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2009年7月21日 (火)

それゆけ結婚

著者 森村桂 角川文庫

だんなさまとの結婚生活のエピソードや、結婚の苦労や悩みをどう乗り越えるかなど、を明るく楽しく描いていた(のちに実際の結婚生活は妻の仕事に無理解なDV夫との苦悩の日々だったことがわかるのですが)時代の一冊です。

事実を知っているからこそ、痛々しい作者の内面を想像しながら読むことができるのかと思います。

そんな中でも、あれこれと、生活というよりは人生のヒントが散りばめられています。

たとえば、こんな文章。女性が暴漢に襲われた悲しい事件についての一文です、君たちはどう生きるかに通じる、いいことを言っています。

工事現場のオアニイさんやトラック運転手に女性たちは冷たい目(軽蔑した目)で見たりする、お嬢さんたちの目が冷たいほど、その反動がどこかで出るんじゃないか、ということを解りやすく語っています。

信用されない人間ほど、悪の道にはいりやすいということを、私たちは知らなければならない。それは若い女が、自分たちの身の安全を守る以前に、大切にしなければならないと思う。

Hanakoのエッセイでコンビニのレジ打ちを小バカにしていたよしもとばなな氏と蝶々氏にも読んでいただきたい一節でした。

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MW(ムウ)

3ヶ月ぶりに、友人Sと映画を観にいきました。

手塚治虫原作ということで、俄然興味が湧いてこの映画を選びました。原作は読んでいませんが、玉木宏演じる結城は、まさに手塚治虫のキャラだったと思います。

脚本などが杜撰だったため、ストーリーに突っ込みどころ満載で、一緒に行った友人は、つまらなくてたまらなかったと言っておりましたが、わたしとしては正反対の感想でした。最後まで玉木宏の演技で楽しめました。

玉木宏の演技は、本当に、手塚治虫のキャラを理解していると思いました。そうそう、こういう人が手塚治虫の漫画に出てくる出てくると、何度も玉木宏の演技で感じました。

原作とは程遠いストーリーということですが、彼の存在だけで、この映画はきちんと手塚治虫作品になっていると思います。

ここまで手塚キャラを理解している玉木宏は、ブラックジャックに登場する、ドクターキリコや、きりひと讃歌の小山内(犬になっちゃいますが)なども演じられるのではないでしょうか。

ひとつどうしても突っ込みたいと思ったのは、この映画、アメリカ政府や米軍の許可を得て公開されたのでしょうか?現代の日本の領土内で、米軍のヘリがスクランブル発進して、罪も無い日本人(新聞記者と神父)を爆撃するシーン(テロリストだと米軍に認定されたら、裁判も証拠もなにもなしに爆撃御免というのは日本人が対象でもアリということなんでしょうか?)や、たった一人の男に基地に侵入されて、米軍の軍人が人質にされたり、最高機密の殺人兵器をいとも簡単に強奪されたり、コケにされまくっているのですが。。抗議がなかったということは、なんとも米軍は日本の映画界に寛大なのですねぇ。。

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サイモン&ガーファンクル

7月11日の東京ドーム、サイモン&ガーファンクルのコンサートに行ってきました。

サイモン&ガーファンクルを聴き始めたころは、すでにふたりが解散をしてしまった後ですが、10代、20代と、セントラルパークコンサートのLPを、何度も何度も聴いていたので、彼らの曲を聴くと、若いころのいろいろなシーンが思い起こされて、胸がジーンとなってしまいました。

しかも、ステージのふたりが、セントラルパークのジャケットの写真と余り変わっていないことに驚きました。あれから30年も執っているのに、歌声も演奏もとても68歳とは思えない素晴らしいパワーに溢れていました。

余談ですが、このコンサートの前に、ネットサーフィンでふたりのことを調べていて、ショックを受けたのですが、私がもっとも好きな映画で、おそらく100回くらい観ているのではないかと思う「アニー・ホール」にポール・サイモンが出演していた事実を全然気がついていなかったことです。

そういわれてみれば・・・あの人が。。というわけで、家に帰宅して早速「アニー・ホール」をはじめから全て観てしまいました。

もちろん、アニー(ダイアンキートン)がアルビー(ウディアレン)と別れてから付き合ったミュージシャンのトニーがポールサイモンなのですが、、これまで、本当に全く気がつきませんでした。

これが最後の来日のようなことを言っていましたが、まだまだ二人ともお若く見えましたので、あと何回か来日していただきたいものです。

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フラナリー・オコナー全短編(上)

著者 フラナリー・オコナー ちくま文庫

本書では、いろいろな衝撃を受けました。

フラナリー・オコナーは、1964年に難病で39歳でなくなったというアメリカ南部文化を冷徹に描く女性作家だということです。初めて手に取った一冊です。

唐突に、まったく救いのない「善人はなかなかいない」という短編からはじまります。やんちゃな子供や、陽気で信心深いが軽薄なおばぁちゃんが、残忍なならず者に容赦なく殺される衝撃。

「田舎の善人」では障害をもっているため、母親に甘やかされて育った娘が、善良そうな若者を誘惑するつもりが、逆に残酷に扱われる衝撃。

顕著な黒人差別の様子が鮮明に描かれており、登場するどの人物もが、人を信用せず、自分のことばかり考えている。カトリックに支配された地域というのは、ここまで暗澹とした残酷な世界なのかと、、衝撃を受けました。

まったくもって、救いのない短編集なのですが、人間というのは放っておくとこうなってしまうのだろうと、なんとなく理解できてしまう、そんな一冊でした。下巻も読みたいと、本屋に行くと、上巻は何気なく購入してしまって気がつかなかっのですが、本書は文庫本なのに本体価格が1400円もしてることにも衝撃を受けました。

なんということでしょうか、このデフレの時代に、書籍のみがハイパーインフレになっていることに愕然としてしまいました。

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2009年7月18日 (土)

観て、読んで、聴いて

10日近くもブログを書いていません。

コンサートに行ったり、映画を観たり、友人と飲み歩いたりして、日々深酒でブログがかけないほど毎日眠かったです。

この一週間はほぼ外食で、自宅で食事が一回だけ。5月6月と鬱っぽい状態で冬眠していた分、社交のリハビリに励んでいます。

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2009年7月 8日 (水)

心にナイフをしのばせて

著者 奥野修司 文春文庫

死刑存置派の友人Sから読みなさいといって渡された一冊です。これを読んだら、遺族の気持ちがよくわかって、死刑の必要性がわかるはずというのです。

本書は、息子を同級生の少年に殺された犯罪被害者の家族の長い人生を綴った一冊です。本書がきっかけで、犯罪被害者にスポットライトがあたり、法改正も進み、遺族感情が裁判の内容に影響を与えるようになったとも言います。

少年法に守られた加害者の少年は、少年院を出所した後、遺族への謝罪もなしに、名前を変え、大学を卒業して、弁護士になっていたということです。被害者家族は事件で受けた心の傷から抜け出せずに悲しみを抱えて暮らしをしているのに、赦せない、という内容です。事件から30年近くたってようやく電話で話をした遺族への加害者からの言葉は「金が必要なの?」といった投げやりで、侮辱的な内容だったということも記されていました。

なんの贖罪の気持ちも、反省もなかったのだろうと。これで加害者は更生したといえるのだろうかと。。読者の憤りを煽るような内容になっていました。

ですが、そのような読者心理の誘導は少し危険なのではないかと、クビをかしげてしまいました。

この少年は、おそらく精神面では、更生していないのでしょう。

だって、出所したときに、父親が、名前を変えさせて別の人生を送らせるように取り計らっていのですから。少年の一番近くにいた指導的立場にいる大人がそういう人間として生きるように学ばせていたのですから。この父親が、心を込めて、一生をかけて被害者に償う、そういう生き方をする父親だったら、大分違ったのではないでしょうか。

この加害者の人生には、犯した罪の重大さを認識させて、反省と謝罪をうながす深く愛情を持った大人(とりわけ家族)が存在しなかったと思えるのです。とても不幸なことです。

読んでいて、現在は50歳を過ぎたという、この当時の加害少年が憎らしいと思うよりも、なんと哀れなと思ってしまいました。真の愛情というものを人生のどこかで体験していたなら、被害者の無念や、遺族の悲しみを理解することができたはずなのに、おそらく、この男性は、妻も子供も持ちながらも、生涯、愛情、他者を思いやるという感情を体得することができなかったのではないかと思われるのです。

被害者遺族は、思い出すと悲しすぎて心が不安定になって生きてゆけないから息子、兄のことを考えずに暮らしてきたと語っていまししたが、こんな悲しい加害少年を憎み続けて、なくなられた息子さん、お兄さんのことを考えまいと、忘れようとして残された人生を無為に過ごすよりは、息子さん、お兄さんの生前の姿を胸の中に沢山思い出して、お兄さんの生きていた痕跡を少しでも友人や子孫など、少しでも多くの人に伝えて、お兄さんの生きた証を残してあげて欲しいと思いました。

わたしは、死刑や、厳罰化や少年法の適用の低年齢化に疑問を持っています。

それは、自分や自分の家族や親しい人(とくに子供や少年)がまかり間違って、加害者になる可能性や、または冤罪被害者になってしまう可能性を捨てきれないからという理由もあります。特に交通事故などの不慮の事故や突発てきな精神疾患(心神耗弱)はどこの誰にでも起こりうることです。

また、全ての人間は、自分の利益や身の安全のために、ひょっとして人を殺してしまうかもしれない動物なのだということを知っておいたほうがよいと思います。

イラク戦争は、大儀名分は、大量破壊兵器の存在でした。イラク戦争に参戦した国々は、自国に対する利益や安全のため参戦したのです。実際、その不利益や危険は誤解(妄想と言ってもよいのでは?)でしたが、イラクで失われた命は謝罪されても戻ってきません。(ブッシュは謝罪しましたが、小泉はまだ謝罪すらしていません)。

特に、死刑存置派の人たちは、理由さえ整えば、人は殺されても良い(死刑になればいい)と考えているわけです。

理由さえあれば人は殺されてもいいのだと、こころの中で考えているわけですから、特に加害者になる可能性は高いです。相手が侮辱したら殺してもいい、相手が自分を不公平に扱ったら殺してもいい、相手が自分の主張に従わないから殺してもよい、相手が自分に不利益を与えたから殺してもよい。相手が自分を悲しませたから殺してもよい、こういう発想をする人は死刑を容認し、戦争を起こし、殺人を犯す可能性の高い人たちなのだと思います。

楡の木の嘘でソンミ村のおばあさんは、小さな子供から老人まで、強姦し、射殺し、焼き殺した、あのときの米兵は人間ではなかったと語っていました。一時的に人間の心を失っていた米兵は、顔のない悪魔だったと。。そして、残虐の限りを尽くした米兵たちは戦争が終わって、国に帰り、人間の顔を取り戻したのでしょう。そして、ソンミ村で家族を虐殺されたおばあさんは、米兵を赦すことにしたのです。人は誰かを憎んでは生きていけないからだと。

この本の出版により、加害者の男性は弁護士登録を抹消したようです。道義的には謝罪もせずに、悠悠と生きてきた加害者は赦せないと思うのがまともな人間の感情かと思いますが、法的には罪を償った加害者は、どこからも、非難を浴びたり、生活を乱されたりする筋合いはないのではないでしょうか。

冤罪で何十年も刑務所に入れられていたり、死刑になってしまった冤罪被害者に対して道義的責任など感じず、イラクに自衛隊を送ったけど、イラクで殺された罪も無い犠牲者に対して道義的責任すら感じず、遠い国の貧困の原因や紛争で命を落とす子供たちと引きかえに、自分たちの豊かな生活に成り立っているかもしれない、そんな道義的責任から目を逸らして自分の生活で精いっぱいの日々を送っている(ときにはお笑い番組で馬鹿笑いなどしている)自分を含めた多くの日本国民は、すでに加害者(人殺し)になっているかもしれないのです。

よっぽど自分が清廉潔白で、まったく穢れも無い人間かどうかよく考えてみたとしたら、この加害者の男性に偉そうなことはいえないと思うのです。。

この作品の作者は、別の意味で、この加害少年のまともな生活を破壊した、加害者になってしまったのではないでしょうか?

犯罪被害が理由だけではなく、事故でも、病気でも、自殺でも、大切な人の喪失は、残された家族や親しい人にとってのその後の人生に必ず暗い影を残します。もしも殺人の犯罪被害者の家族が、息子さんを自殺で亡くされた家族の方に「あなたは自殺だからましよ、わたしの息子は人に殺されたのよ」と言われたからといって、息子さんを自殺で失った家族の心は癒されるでしょうか。

遺族は、とくに、子供を失った親は、どのような理由が原因であったとしても、悲しみの深さに違いはないと思うのです。

本書を読んでも感じたのですが、被害者家族を、マスコミが追いかけたり、周囲の人間から、興味本位の目で見れたり、加害者が家族に与える被害よりも、二次被害こそがよほど問題なのではないでしょうか。

この二次被害を防ぐ、そういった法律こそ死刑や、厳罰化の論争よりも先に行うことが重要なのではないかと思いました。

厳罰だ、死刑だと大はしゃぎしていたら、自分や家族や友人が死刑台に立っていた、そんなことにならないように、もっと真剣に死刑や厳罰化について考えてみる必要があるのではないかと思いました。

なんだか、支離滅裂気味になってしまいましたが、本書を読んで、友人Sの意図とは逆に、ますます死刑廃止論を支持する気持ちが高まってきたように思えます。

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2009年7月 3日 (金)

supernova

BUMP OF CHICKEN

最近の毎日のように、BUMP OF CHICKENのorbitial periodを聴いています。

脳内がうつ状態なので、supernovaを聴くたびに、泣きたい気持ちになってきます。

君の存在だって いつでも思い出せるけど

本当に欲しいのは 思い出じゃない今なんだ

君を忘れた後で思い出すんだ君との歴史を持っていた事

君を失くした後で見つけだすんだ君との出会いがあった事

誰の存在だって 世界では取るに足りないけど

誰かの世界は それがあって 作られる

本当の存在は 居なくなってもここに居る

僕らの時計は 止まらないで 動くんだ

この歌詞を聴くたびに、決定的にこじれて絶縁状態の友人Mのことを考えてしまいます。もう本当に失ってしまったのだろうけれど、でも心のどこかで認めたくない。高校1年からの友人で、海外旅行にも何度もふたりで行った友人。家族が大きな事故に逢い絶望的な状態でいた自分を辛抱強くそばにいて励ましてくれた友人。そして彼女のお母さんが亡くなった時、泣きながら電話をくれたのは私にだった。飛んでいった彼女は自宅の二階の部屋に、父親とも、親戚とも話しをせず、震えて閉じこもっていた。そんな彼女の心細意い肩を抱きしめて、ずっと私がそばにいるからと心で誓った、固い信頼で結ばれていると思い込んでいたそんな友人。

ずっと、何度も考えてきました。きっと、信頼に胡坐をかいていたからこそ、お互い同士が、お互いの心の綻びを見落としてしまったのだと思うのです。そして、知らず知らずに彼女は私から心を遠ざけてしまいました。

このアルバムで唄われる歌は、失った恋人を思って唄う歌詞なのかもしれません、でも、おそらく、友人Mはわたしにとって恋人以上の存在だったのだと思うのです。精神的な大きな支えだったのです。

そして、おそらく、彼女にとって、それが大きな負担だったのかもしれないと思います。自分は未熟なくせに、相手には成熟を求めていたのだから。。

すでに長い年月を別々の道で歩き始めているふたりです。。それでも、どこかで間違いなのではないかと考えてしまうのです。

一緒に歳をとって、お互いの苦労話を笑って語り合えるそんな一生涯の友人になると思い込んでいたのだから。。寂しくて、悲しくて、いい年をして、何を考えているのだろうと、我ながら呆れてします。

そして、この曲を聴くと、悲しくなってしまうのです。

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2009年7月 1日 (水)

日本郵政株式会社

速達の誤配ありました。

ともかく、送り主は速達料金を払っているの誤配はありえないです。速達の場合、郵便受けに投入する前に、住所の再確認をせめて3回はするようにマニュアル化すればよいのでは?

どうも、、、民営化されて従業員がたるんでいるのは?職業意識の欠如が原因なのではないでしょうか?

そもそも、郵便や簡易年金などという公共性の高い対象を、利益優先で民営化してしまった政策には、今もって納得できません。

赤字の公共施設は全て廃止という発想からすると、公立病院、公立学校や図書館もそのうち世の中から無くなってしまうのではないかととても不安です。

貧乏人は、学校にも、病院にもいけず、本も読めなくなってしまいます。。

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