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2009年7月 8日 (水)

心にナイフをしのばせて

著者 奥野修司 文春文庫

死刑存置派の友人Sから読みなさいといって渡された一冊です。これを読んだら、遺族の気持ちがよくわかって、死刑の必要性がわかるはずというのです。

本書は、息子を同級生の少年に殺された犯罪被害者の家族の長い人生を綴った一冊です。本書がきっかけで、犯罪被害者にスポットライトがあたり、法改正も進み、遺族感情が裁判の内容に影響を与えるようになったとも言います。

少年法に守られた加害者の少年は、少年院を出所した後、遺族への謝罪もなしに、名前を変え、大学を卒業して、弁護士になっていたということです。被害者家族は事件で受けた心の傷から抜け出せずに悲しみを抱えて暮らしをしているのに、赦せない、という内容です。事件から30年近くたってようやく電話で話をした遺族への加害者からの言葉は「金が必要なの?」といった投げやりで、侮辱的な内容だったということも記されていました。

なんの贖罪の気持ちも、反省もなかったのだろうと。これで加害者は更生したといえるのだろうかと。。読者の憤りを煽るような内容になっていました。

ですが、そのような読者心理の誘導は少し危険なのではないかと、クビをかしげてしまいました。

この少年は、おそらく精神面では、更生していないのでしょう。

だって、出所したときに、父親が、名前を変えさせて別の人生を送らせるように取り計らっていのですから。少年の一番近くにいた指導的立場にいる大人がそういう人間として生きるように学ばせていたのですから。この父親が、心を込めて、一生をかけて被害者に償う、そういう生き方をする父親だったら、大分違ったのではないでしょうか。

この加害者の人生には、犯した罪の重大さを認識させて、反省と謝罪をうながす深く愛情を持った大人(とりわけ家族)が存在しなかったと思えるのです。とても不幸なことです。

読んでいて、現在は50歳を過ぎたという、この当時の加害少年が憎らしいと思うよりも、なんと哀れなと思ってしまいました。真の愛情というものを人生のどこかで体験していたなら、被害者の無念や、遺族の悲しみを理解することができたはずなのに、おそらく、この男性は、妻も子供も持ちながらも、生涯、愛情、他者を思いやるという感情を体得することができなかったのではないかと思われるのです。

被害者遺族は、思い出すと悲しすぎて心が不安定になって生きてゆけないから息子、兄のことを考えずに暮らしてきたと語っていまししたが、こんな悲しい加害少年を憎み続けて、なくなられた息子さん、お兄さんのことを考えまいと、忘れようとして残された人生を無為に過ごすよりは、息子さん、お兄さんの生前の姿を胸の中に沢山思い出して、お兄さんの生きていた痕跡を少しでも友人や子孫など、少しでも多くの人に伝えて、お兄さんの生きた証を残してあげて欲しいと思いました。

わたしは、死刑や、厳罰化や少年法の適用の低年齢化に疑問を持っています。

それは、自分や自分の家族や親しい人(とくに子供や少年)がまかり間違って、加害者になる可能性や、または冤罪被害者になってしまう可能性を捨てきれないからという理由もあります。特に交通事故などの不慮の事故や突発てきな精神疾患(心神耗弱)はどこの誰にでも起こりうることです。

また、全ての人間は、自分の利益や身の安全のために、ひょっとして人を殺してしまうかもしれない動物なのだということを知っておいたほうがよいと思います。

イラク戦争は、大儀名分は、大量破壊兵器の存在でした。イラク戦争に参戦した国々は、自国に対する利益や安全のため参戦したのです。実際、その不利益や危険は誤解(妄想と言ってもよいのでは?)でしたが、イラクで失われた命は謝罪されても戻ってきません。(ブッシュは謝罪しましたが、小泉はまだ謝罪すらしていません)。

特に、死刑存置派の人たちは、理由さえ整えば、人は殺されても良い(死刑になればいい)と考えているわけです。

理由さえあれば人は殺されてもいいのだと、こころの中で考えているわけですから、特に加害者になる可能性は高いです。相手が侮辱したら殺してもいい、相手が自分を不公平に扱ったら殺してもいい、相手が自分の主張に従わないから殺してもよい、相手が自分に不利益を与えたから殺してもよい。相手が自分を悲しませたから殺してもよい、こういう発想をする人は死刑を容認し、戦争を起こし、殺人を犯す可能性の高い人たちなのだと思います。

楡の木の嘘でソンミ村のおばあさんは、小さな子供から老人まで、強姦し、射殺し、焼き殺した、あのときの米兵は人間ではなかったと語っていました。一時的に人間の心を失っていた米兵は、顔のない悪魔だったと。。そして、残虐の限りを尽くした米兵たちは戦争が終わって、国に帰り、人間の顔を取り戻したのでしょう。そして、ソンミ村で家族を虐殺されたおばあさんは、米兵を赦すことにしたのです。人は誰かを憎んでは生きていけないからだと。

この本の出版により、加害者の男性は弁護士登録を抹消したようです。道義的には謝罪もせずに、悠悠と生きてきた加害者は赦せないと思うのがまともな人間の感情かと思いますが、法的には罪を償った加害者は、どこからも、非難を浴びたり、生活を乱されたりする筋合いはないのではないでしょうか。

冤罪で何十年も刑務所に入れられていたり、死刑になってしまった冤罪被害者に対して道義的責任など感じず、イラクに自衛隊を送ったけど、イラクで殺された罪も無い犠牲者に対して道義的責任すら感じず、遠い国の貧困の原因や紛争で命を落とす子供たちと引きかえに、自分たちの豊かな生活に成り立っているかもしれない、そんな道義的責任から目を逸らして自分の生活で精いっぱいの日々を送っている(ときにはお笑い番組で馬鹿笑いなどしている)自分を含めた多くの日本国民は、すでに加害者(人殺し)になっているかもしれないのです。

よっぽど自分が清廉潔白で、まったく穢れも無い人間かどうかよく考えてみたとしたら、この加害者の男性に偉そうなことはいえないと思うのです。。

この作品の作者は、別の意味で、この加害少年のまともな生活を破壊した、加害者になってしまったのではないでしょうか?

犯罪被害が理由だけではなく、事故でも、病気でも、自殺でも、大切な人の喪失は、残された家族や親しい人にとってのその後の人生に必ず暗い影を残します。もしも殺人の犯罪被害者の家族が、息子さんを自殺で亡くされた家族の方に「あなたは自殺だからましよ、わたしの息子は人に殺されたのよ」と言われたからといって、息子さんを自殺で失った家族の心は癒されるでしょうか。

遺族は、とくに、子供を失った親は、どのような理由が原因であったとしても、悲しみの深さに違いはないと思うのです。

本書を読んでも感じたのですが、被害者家族を、マスコミが追いかけたり、周囲の人間から、興味本位の目で見れたり、加害者が家族に与える被害よりも、二次被害こそがよほど問題なのではないでしょうか。

この二次被害を防ぐ、そういった法律こそ死刑や、厳罰化の論争よりも先に行うことが重要なのではないかと思いました。

厳罰だ、死刑だと大はしゃぎしていたら、自分や家族や友人が死刑台に立っていた、そんなことにならないように、もっと真剣に死刑や厳罰化について考えてみる必要があるのではないかと思いました。

なんだか、支離滅裂気味になってしまいましたが、本書を読んで、友人Sの意図とは逆に、ますます死刑廃止論を支持する気持ちが高まってきたように思えます。

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