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2011年4月15日 (金)

いつもでも怖がり

関東大震災がなければ、生まれてこなかったと思われる人間の戯言です。。

体力も精神力も力という力に欠けているので、自然の驚異(エンド戦争)がなによりも怖いです。

常日頃から、家具の補強、非常水、非常食の備蓄、乾電池、懐中電灯、携帯ラジオ、簡易トイレの準備、電車やエレベーターに乗る前には必ずトイレに行っておくなど。。ハザードマップに、震災時徒歩帰宅マップなどなど、脅迫神経症並みの防災対策のエトセトラエトセトラ。

会社には安全靴と防災グッズを置いておき、通勤のバックには、重たいけれども、震災前から、常に懐中電灯、防災シート、乾電池、カイロ、軍手、キャラメルなど、何年も前からいつも持ち歩いていました。

今回の地震では、会社に数年前から震災用に据え置いていたスニーカーが活躍し、4時間の帰宅を助けてくれました。

これだけ備えても、来るときは、来る、どれだけ悲惨かは計算がはたらかない。

でも、最近読んでますます怖がりになったのは、手塚治虫の「いやだね戦争は」と山口 彊の「ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆」 水木しげるの「総員 玉砕せよ!」百田尚樹「永遠のゼロ」 佐野眞一「クラッシュ」 柘植 久慶  「東京直下型地震震度7」などなど。。想像力満載で暮らしてきました。。

でも、悲惨な暮らしのなかで、天災は、戦時下よりはずっとずっとましだとは信じております。

それでも、でも、日々、ぐらっと揺れるたびに、毎回「あぁついに最後の日が来たか」とかならず覚悟して思うのです。
だから、覚悟しながら暮らしていました。覚悟とは、人生、日々最後と思って無駄にせず楽しむこと。。かな?これまでも、イザ、死ぬ前に最後に思い出す映像の候補も何度も書き換えたりしてました。。

それは、きっと、祖母の関東大震災体験で人生大激変の話を幼いころから、何百回もきかされたことも関係していると思うのです。そして、家族が大事故で生死の境をさまよった末に重度障害者として暮らしていることや、急死で3人もの特に親しい近しい友人を亡くしてしまったことも大きい理由だととおもいます。

祖母は関東大震災で、おそらくとてつもなく、不幸になりました、でも、違うかたちで(例えば、孫のわたしと出会えたとか。。)たくさんの幸せも手に入れたと信じています。

だから、すべての厄災は全ての人に平等に降り注ぐものであり、その人たちには平等に未来の幸せが含まれているのだと思うのです。

もちろん、自らに訪れた厄災の前と同じ日々のような幸せには二度と戻れません。失ってしまた通りの幸せな日々は戻りません。受けた悲しみを伴侶に、人はずっとこれから先の人生を暮らしてゆくのです。

でも、今後の厄災を恐れていても毎日が楽しくないと思うのです。1000年に一回の震災に当たったらそのときは、なんだかよくわからないけど、宝くじに当ってしまったのだと思い、そして、喪失という悲しみを身体の一部として、それでも未来に訪れる日々の楽しみに、微笑み、大笑いし、そして、ささやかな、そして大きな幸せを知り、震災以前の幸せとは違う新しい幸せを知り、感じて暮らしてゆくしかないのではないでしょうか。

 

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