« ローエングリン | トップページ | 「ウサギとカメ」@45 STONES By 斉藤和義 »

2011年10月12日 (水)

母子疎開@2011年

2011年、放射能を恐れて、西へ西へと疎開している母子がいます。

政府の安全という言葉を信じてその土地にとどまる母子がいます、、。疎開しないで、放射線レベルの高い土地にとどまる親子は政府が安全だといっているのに、あえて住居や生活や仕事を捨ててまで疎開をするのは大袈裟で、むしろ、子供の将来に経済的な問題や、転居による精神的な問題が生じると考えているのでしょう。どちらも子供を思っての選択なのかと思います。

でも、でもひょっとしたら危険かもしれない、、だとしたら、少しでも、より安全な場所に逃げる、、これは母親の危険に対する直観力というか、本能力と言ってもいいのではないでしょうか。

もうすぐ100歳になる、吾が祖母は、昭和19年、1944年の暮れに、同時住んでいた渋谷区幡ヶ谷から、夫の許可も得ずに翌年の正月に生まれる赤ん坊を妊娠中の身重の身体で小さな子供2人を連れて祖父母の実家のある田舎に疎開しました。。
祖父が戦時中に勤めていた都内の会社は、のちに大臣にもなった当時国会議員の高校時代の友人に斡旋してもらったという、条件のよい会社で、広い庭のある大きな屋敷に、女中さんが三人もいて、かなり豊かな暮らしをしていたようです。

ですが、その祖父も祖母の疎開後、しばらくして、その友人の面子をつぶしてまで、その会社を辞めて妻子の住む田舎に疎開しました。。祖父は祖母を選んで、失業したのです。

そして、その翌年の3月に、東京大空襲がありました。一家が住んでいた幡ヶ谷にも空襲がありました。祖母の判断が空襲を免れ、ひょっとしたら死んでいたかもしれない一家全員を救ったのかもしれません。。

幡ヶ谷に残っていても、空襲を免れ、無事に助かったかもしれません。でも、間違いなく祖母の即決の直感は、子孫の私まで守ってくれたのです。。

だから、わたしは、放射能を恐れて、夫を残して、子供だけを連れて西に疎開した母子を決して、不安病とか大袈裟だとか、そんなふうには思えません。時に母親の直感が何よりも正しいこともあると思うからです。

|

« ローエングリン | トップページ | 「ウサギとカメ」@45 STONES By 斉藤和義 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101019/52972538

この記事へのトラックバック一覧です: 母子疎開@2011年:

« ローエングリン | トップページ | 「ウサギとカメ」@45 STONES By 斉藤和義 »