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2015年6月30日 (火)

再掲)だまされることの責任、再考

旬な話題になってきたので、再掲しました。

以前読んだ、百田尚樹の「永遠の0 」の感想で、石原慎太郎の特攻映画のように特攻賛美ではないという感想を書いたのですが、大間違いでした。作者は巧妙に戦争、特攻を賛美していた作品だったようです。自分の大いなる見当違いに本当に情けなくなりました。 とはいえ、著者のその後の作品「ボックス」がなんだか松本大洋の漫画「ピンポン」のボクシング版のように思え、「影法師」を読んだところで、この作家は、舞台はことなれど、手法が「永遠のゼロ」、「ボックス」と一緒で舞台を替えた(少年ジャンプのスポ根性手法?)なんじゃないかと思えてきてそこで読むのをやめた作家ではありました。 でも、「永遠の0」を読んで、たしかに、面白いとおもいました。また、著者の「ボックス」を最初に読めば、面白いと思うだろうし、前作を読んでない人が「影法師」を読めば、やはりそこそこ面白いと思うだろうし、、でも、なんだかなぁと思ったのです。 今回著者が、NHK経営委員に就任して、昨今の極右な言動を見聞きするにつけ、「永遠の0」の真意は反戦、嫌戦、特攻批判ではなく、好戦作品、特攻賛美だったのだということに気がつき、本当にこのように人の心を操るような作品をつくる人がいることを悲く思いました。 宮崎駿は、いち早くそのことに、気がついて指摘していたようですが、桑田圭祐は、おそらく、この作品は反戦映画だと思って感動して、うっかり、映画の曲を提供してしまったのかとおもいます。、、、彼も今頃は歯軋りして悔しい思いをしているに違いありません、、気がついてないとしたら、誰か教えてあげて欲しいです。 それにしても、なんて残念な作家なのでしょう。 以前、「だまされることの責任」について書きましたが、ほんとうに、だまされました、恥ずかしいです。 願わくは、「永遠の0」という作品が、作者の戦争賛美の意図に反して、反戦、嫌戦のメッセージだと感じる人が多ければ、、、そのまま、だまされつづけていたほうがよいのかもしれません、いややはりだめですね、巧妙に人心を操る、作家や政治家に気をつけないと、またふたたび、日本は焼野原になってしまうかもしれません。

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