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2016年8月 8日 (月)

障害者施設殺人事件について思う

家族に1級の障害者がいます。

亡き友人M氏も、並々ならぬ障害者でした。
なので、障害者が役に立たないなどと思ったことは一度もありません。
ですが、、この事件は、心にもやもやを覚えたのは、この事件の犯人が選んだ対象が、障害者すべてではなく、深刻で、重篤な障害者が対象だったことなのです。。
ニュース記事によると、どんなに重篤な障害をもっていても、家族にとっては、大切な家族であり、このような殺され方を理由など全くないと。。口をそろえて言うのですが。
わたしのもやもやは、亡き、祖母のことです。
私は、かつて、祖母に、早くお迎えが来ますようにと神社でお願いしたことがあります。
祖母は、美人で、おしゃれで、旅行が好きで、人生を楽しんでいました。その祖母が、認知症を患い、やがて、世界の全てを忘れ、口もきけなくなり、枯れ木のようになり、鼻からの栄養チューブだけで眼球もうごかさずに虚空を見つめて日々を過ごすことになりました。
あれほど可愛がっていた孫の呼びかけにもひとことも答えず、反応すら示さず、、10年以上もただ、ベッドの上で宙を見つめて過ごしている祖母を見て、何度も神社に、「おばあちゃんにはやくお迎えが来ますように」と祈った自分と、今回の犯人に違いがあるのだろうかと、問いかけてしまいました。
それでもやはり、祖母は生きたかったのでしょうか?わたしの神社へのお願いは残酷だったのでしょうか。祖母はお迎えなどいらなかったのでしょうか?
社会的に意味がなければ生きていてもしようがない。そういう理屈ではなく。祖母が、とても辛そうに、苦しそうに、大変そうに、しんどそうに見えたのです。
大好きなおばあちゃんですから、ずっと生きていて欲しいと思う反面。祖母が苦しいのでは、辛いのではと思うと、お迎えが早くきたほうがおばあちゃんが楽になると思ったのです。
でも、それはやはり、他人の身勝手な発想、妄想なのでしょうか?おばあちゃんは、生きたかったのかな?何度も何度も考えてしまいました。

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