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2018年4月 4日 (水)

清掃夫の息子

著者 T・Sピライ 三一書房

インドのヒンズー教の悪しき習慣カースト制度の最下層の職業とされていたトイレの清掃夫の息子に生まれた主人公のチュダラは、この理不尽な仕組みからぬけだしたいと考え、自分はこのカルマから抜け出せなくても、息子には違う人生を味あわせたいと、人一倍働き、無駄遣いを一切せず、家を清潔にし、妻や息子モハン(金持ち風の名前)に立派な格好をさせ、息子には学校に通わせ、教育を受けさせようとかなりの努力をする。将来は金をためてアパートを買おうと願っている、そのために、時には官僚のスパイとなり、親友を売って親友の家族を破滅に追い込むこともしてしまう。しかし、チュダラの夢はかなわず、妻とともにコレラに倒れ、幼い息子を残し無残に亡くなってしまう。

そして、チュダラが命がけで蓄えた金は信用していた上司に着服されてしまい、モハンはホームレスとなって生きてゆくしかなくなる。

やがて青年となったチュダラの息子モハンは今も清掃夫をしている。かつて父のチュダラの陰謀で命を亡くした友人の息子が彼の親友だ。しかしモハンは父とは違う、組合を作り、賃金の値上げなどの要求などをして戦っている。清掃夫の仕事を恥ずかしいと思うのではなく、人が必要とする、誰かがする必要のある仕事だと考えているのだ。最近の人々は、清掃夫はちょっと生意気だと思うようになったという。

それでよいと思う。清掃してくれるひとも、洗濯をしてくれる人も、かつて、そして今もインドでは最下層のカーストとして、蔑まれ、時に虐待される、しかし、もし彼らがインドからひとりもいなくなったら、誰が掃除をし、だれが服を洗うのか、高いお金をだして、人を雇うか、いままで最低の仕事として蔑んでいた仕事をカルマだと割り切り自分で行うことになるのか。大変な仕事をしている人は軽蔑されるのではなく、尊敬されるべきだ。うまく世の中を渡る人間、安心して教育を受け勉強に集中できる環境にいる人ばかりではないのだ。もちろん、努力してお金を稼ぎ、豊かな生活を享受することは幸せなことで、だれでも願うことだろう、でもその生活は、たまたま金銭的、精神的、肉体的に努力できる生活環境があったのではないのでしょうか、いろいろな幸運と本人の努力両方があって豊かになれるのだとしたら、貧しい生活をしている人を、努力が足りなかったのだと軽蔑することはできないと思うのです。

ガンジーも認めたカースト制。いまのインドはその矛盾をどう乗り越えているのでしょうか?

本書は1986年日本語にはじめて翻訳されました。

作者のタカジ・シヴアサンカラ・ピライはインドではインドの文化勲章にあたるパドマ・ブーシャン賞を受賞し、また、インドの最高文学賞も受賞した作家で、世界50か国で翻訳され映画化もされた「Chemmeen」という作品もある作家ということですが、この世界50か国に日本には翻訳されていないようです。英語版を探すしかないのかなぁ。。

インドの南部ケララ地方は貧しく、共産主義の運動も盛んな地域ということですが、この地方の言語、マラーヤラム語の文学も沢山あるそうですが、日本版Wikiのマラーヤラム語の説明ではこの本の著者ピライの日本語版翻訳がいくつかあると書いてあるので、国会図書館の所蔵で検索したところもう一冊「えび : ケーララの悲恋物語」という本がみつかりました。

そして、なんと、ちょうど今読みかけの本、渡辺建夫の著書「インド青年群像」に、この「チェミエン」のことが登場しており、謎が解けました。「Chemmeen」が「えび : ケーララの悲恋物語」ということのようで、ちゃんとなんと新宿書房という出版社で発刊されていたようです(廃刊になってるみたいです)図書館にあるようですので、借りてみようと思います。最近は図書館の検索システムが進化して廃刊になってしまった本ばかり読んでいるよ自分にとってはありがたいかぎりです。

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