カテゴリー「アンタイラー」の記事

2009年10月 8日 (木)

ここがホームシックレストラン

著者 アンタイラー 文春文庫

このブログを書き始めた2005年からで、今回4度目の読了。もっと読んでいるつもりだったのですが、やはり何度読んでも、ストーリーにぐんぐんと引き込まれてしまう作品です。

読んでいて、必ず心に響くセリフは、3人兄弟の真ん中エズラのこのセリフです。

「僕の悩みは、人とどう付き合っていいかわからないことなんだけど」

「近づきすぎると、限度をわきまえないって言われそうで。押しつけがましいとか、情緒的だとか。。。でも、後ろに下がってれば、無関心なやつだと思われるだろうし、とにかく、僕ほかのみんなが知ってるルールを習いそこねたんじゃないかって気がするんだ。その日、ちょうど学校を休んだとかで。そのちょっとした境界線が、僕にはどうもわからない」

記憶に残る小学生時代から、自分も同様の悩みを抱えていて、友人との交際に関して、その日の自分の発言が友人を不快にさせなかったか、自分の行動で誰かが思慮が足りないと思ったのではないかと、不安になり、夜が眠れないことが何度もあり、それは今でもそうなのですが、そんな思いは誰でもするものだと思っていたのですが、以前会社の同僚数名でその話をしたところ、その数名がみんながみんな「悩み事で夜眠れなかったことなんて、人生で一度もない、目を閉じればすぐに朝までぐっすり眠れる」という話を聞いたときに、大きなショックを受けました。。一般的にはみんなそんなことで悩んだりしないのかと愕然としたのです。。

そんなわけで、エズラのこの話を聞いたとき、少なくても、アンタイラー本人か、または知っている誰かに、同じような悩みを抱えるひとがいるということ、アメリカにもいるんだったら、日本にもまだ自分と同様のそういう悩みを抱えているひとがいるはずだと、安心したものです。

何度読んでも、ストーリーに吸い込まれてしまうのは、登場人物に共感する部分が多々あるからなのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月14日 (金)

結婚のアマチュア

著者 アンタイラー 文春文庫

なにやら、芸能界が麻薬汚染で大騒ぎで、元アイドルの容疑者は、まだ起訴もされていない容疑者の段階なのに、マスコミでは、世紀の極悪人のような取り扱いです。

本書に登場する主人公の長女リンディは、3歳の子供をかかえたシングルマザーでしたが、LSDやマリファナでラリッてぶっとんで、いかれてしまい、子供を階段から突き落として、宗教関係の施設に収容され、その後姿をくらまし、子供にも連絡を取らずに30年近く失踪してしまいます。。

約30年後に、コミューンで更生し、子持ちの高校教師の男性と結婚し、その子供たちを育てているうちに、、昔別れた実の息子に会いたくて会いたくてどうしてもたまらずに、息子の前に姿を現します。

このリンディはそもそも、精神的に不安定で未熟な両親の元で成長し、やがて反抗的な娘に成長し、家出をしてしまいます。薬物に手を出す理由として、そうした精神の不安定さ、心の弱さによる快楽への逃避などが考えられると思われます。

社会的責任があるにもかかわらず、自制が出来ずに薬に手をだしてしまうのは、凶悪な極悪非道の犯罪者というよりは、ケアが必要な病人だと思うのです、、にも関わらず、この国では、ほかの犯罪と同様にさらなる重罰化を検討しているようです。

そもそも、国内になぜ違法な薬物が蔓延しているのでしょうか?水際対策はどのようになっているのでしょうか?所持者や使用者を逮捕、拘束するのではなく、都内で取り締まりをして、その区から見つかったら、区の責任者を管理不行き届きで逮捕する、とか、都の責任者(つまり首長)が責任取って辞任して、懲役に服する、くらいの覚悟で撲滅運動を行ったほうがよいのではないでしょうか?

使用してしまった人は、バカと言われてそれで人生が終わりでは、永遠にイタチごっこな気がしてなりません。子供もいる、社会的に地位も、責任もある大人たちが、何度も違法な薬物に手を出してしまう、その精神状態や、背景を分析し、そして対策についても、もっと深く考えるべきだと思いました。

バカだ、自己責任だ、最低だと蔑むだけではなく、どうしてそういうことをしてしまったのか、どうしたら更生できるのかと、思いやる配慮がどうも最近のこの国には欠けている気がしてなりません。

これからは、友愛なんでしょ。他者配慮、他者に対する責任ということもこれからは大切にしていくべきなのではと感じました。

本人が認めているとはいえ、まだ起訴すらされていない、厳然たる容疑者の段階で小さな子供もいる人間を極悪非道の犯罪者扱いをするマスコミには誠にがっかりさせられます。

正義はどこにあるのでしょうか?

(今回はアンタイラー本の感想にかこつけて、マスコミ批判になってしまいました)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 3日 (月)

パッチワークプラネット

著者 アンタイラー 文春文庫

このブログを書き始めてからでも、既に6度目の読了。それでも、何度読んでも面白い。

なぜ、親不孝で、堪え性がなくて、生活能力もないバーナビーに感情移入してしまうのか、そのあたりについて考えてみました。

主人公のバーナビーは、高校時代に警察沙汰を起こして、それ以来、親から信頼されなくなりました。バーナビーがどう思うかよりも、何よりも世間体を気にする両親(特に母親)に反発心を感じており、母親が気に入らない仕事に付き、母親が気に入らない服装をして、母親が気に入らない生活を続けていますが、なぜか付き合う女性は母親が気に入るような女性ばかりを選んでは、失敗をしてしまうのです。

母親が気に入るような女性は、バーナビーがどのように傷ついているかを慮るよりも先に、結局世間体を気にしてしまうタイプの女性ばかりなのです。でも、付き合い始めのころには、母親は自分のことを気に入ってくれないけれど、母親と同じタイプの彼女たちは僕のことを信用して愛してくれているぞ、と有頂天になってしまうのです。そしてしばらくするとその間違いに気がつくのに、同じ事を繰り返してしまいます。

物語の最後で、バーナビーは自分と同じような世間体を気にせず、感情の起伏が激しい、自分と似ているタイプの、母親が気に入ることはなさそうなそんな女性が本当の自分にとっての理想の女性なのだと気がつくわけですが、母親が気に入らないタイプの女性と付き合ったとしたら、この物語の続きではおそらく、その彼女と母親との確執なども予想され、、なかなかこの物語は今後もハッピーエンドとはいかないだろうと考えられます。

さて、なぜこのバーナビーと共感してしまうのかというと、やはり自分が家族と時にピントがあわずに、うまくコミュニケーションが取れないことがあるからなのだと思うのです。

子供たちがどのように感じるかよりも先に、世間体を気にするのは、親にとっては普通のことなのでしょうか?また、自分の言動が子供たちにどう受け取られるかを想像することもなしに、頑固に自分の主義主張を曲げず、人間として年齢と共に精神的な成長をしようと思ってもていない様子にときどきがっかりさせられることがあり、でも、家族に対してそのような気持ちを感じる後ろめたさなども、バーナビーと同じ気持ちと思います。

家族だからと、常に居心地がよく、何でも分かり合えて、お互いの気持ちを尊重しあえる、それは理想に過ぎないのかもしれませんが、話が通じない、説明するのも疲れてきた、、というのがバーナビーと同じ気持ちなのかと思うのです。

先週末は、両親の住む実家に友人の家族と海水浴を兼ねて一泊したのですが、いろいろともてなしてくれた上に、わたしの友人たちにも多大な気遣いをしてくれているのはわかるし、感謝しているのですが、その気遣いがピントがずれていたり、ちょっと気を抜くと両親の自己中心的なつまらない話にシフトしてしまい、ハラハラさせられて、また、そう思う自分も嫌になって落ち込んでしまうのです。

でも、両親はこの夕べを楽しんでいるのだから、それでいいかと思ったりと、もうリアルパッチワークプラネットな週末を過ごしてしまい、アンタイラーの小説でよく描かれる、家族に対する愛情と失望のこの混在したやるせない感情が、よくわかってしまうのです。

それが、何度読んでもいろいろと考えてしまうアンタイラー作品の素晴らしさなのだと思います。

円満で、何もかも理解しあい、支えあい、一点のくもりもなく信頼しあい、尊敬しあっている、そんな家族と共に人生を過ごして来た人たちには、彼女が描く作品は理解不能な、不思議な世界の話なのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月13日 (火)

ここがホームシック・レストラン

著者 アンタイラー 文春文庫

自宅にはハードカバーと原書しかなかったため、再読したくて文庫版を中古で入手して再読しました。

本書はたぶんアンタイラー作品に触れた最初の作品だったかもしれません。アンタイラー中毒になるには充分な作品と思います。

夫に家出をされたパールとその3人の子供たち(コーディ、エズラ、ジェーン)の半世紀にわたる物語です。

家出中の夫がその間どうしていたのかについては、最後の数ページで簡単に述べられるだけなのですが、この母と子供たちのちょっとしたエピソードの連続が、どこの家庭でもひょっとしたら起こるのではないかという出来事ばかりで、そして、自分にとっても、胸がたびたびちくちく痛むことが多いです。

物語を好む多くの人は、真面目で、心優しく、誰からも好かれるような純朴な少年がいつまでも幸せにくらしてくれることを望むのだと思います。辛い別れや、裏切りや、挫折や孤独を味わうはずがないと思いたいのではないでしょうか。

ですが、本書は現実世界の通り、真面目で、心優しく、誰からも好かれるような純朴な少年が、時に裏切られたり、恨まれたり、人をいらだたせたり、がっかりさせたりすることがあるのです。

本書では二番目の子供エズラがまさにそのような人物です。

エズラは人に美味しいものを食べてもらうことが大好きで、レストランがうまく行けば幸福なのだろうし、まったく人生の不幸や不公平を感じていないのかもしれませんが、、傍から見れば、兄と婚約者に裏切られ、常に経営の苦労をし、少年のころから着続けているのではと思えるような、さえない服を着て、実家の子供時代から住む部屋に暮らし続け、目のみえなくなった老母の世話をして、そして恋人さえもいない、、友だちと呼べる存在も、自分のレストランの従業員くらい。。そんな心優しい息子の将来に母親のパールや妹は心をいためるが、兄のコーディはそんな母親の心配にまで嫉妬する、、弟のエズラは永遠のライバルなのだ。。

だが、、実際の人生と一緒で、物語は好転するわけでも、なにかすてきな魔法が起きるわけでもなく、、エズラの人生はそのようにして過ぎてゆくのです。。周りがやきもきしても、本人が満足しているのなら、それは不幸とは言えないのですが。。

家族や友人は親しい人の幸せを願うと思います。。ですが、たとえ親しい家族でも、友人でも、その幸せの尺度は結局相手の幸せ尺度ではなく、自分が思い描く幸せの尺度で判断してしまうのでしょう。。

一生ちいさなレストランの店長なんて可愛そうに。。大学に入っていれば。。と母親のパールは嘆きます。。ですが、エズラはレストランの店長が幸せなようです。

妻に逃げられた子沢山の男と結婚なんかして、、美しい娘で、医者にまでなったのに。。苦労ばかりじゃないの。。と母親のパールは嘆く。。だが娘のジェーンは大勢の子供たちに囲まれて常に誰かがそばにいることに満足して、、それが幸せなのだ。。(その美貌は若いころに充分に役立たせてもらったし、、もう使い果たしたと思っているし)。

一番上の兄コーディーは率先して母親の嫌がることをしてきたように思えますが、それでもやはり母親のパールはコーディを愛し続けていました。最後まで、反抗的な息子でしたが、母親はその反抗さえ受け入れて愛していたのでしょう。。

幼いころに、母子家庭の重圧からヒステリーを起こして子供たちを殴ったり罵倒したりして子供たちの心に少なからず陰を落としてしまった必ずしも優等的な母親ではありませんでしたが、それでも、彼女なりに精いっぱい母親業をこなして、それぞれの子供たちを立派な自立した大人に育て上げたのだと思います。

母は強しの物語だと思います。。

もしも、この母親が、もうすこし夫や、子供に理解のある謙虚な母親だったら、もっと温かい安らぎの多い家庭になっていたのだろうなと、そうは思いますが、、これも現実と同じで、、実際の人生の物語は、、もしも、、ではなく、こういうもの、、として過ぎていくのかもしれません。

エズラは、人との距離や関係のとりかたが良くわからず、悩みます。。とても大事なことなのに、その時に授業を欠席してしまってマスターすることができなかったのかもしれないと思ったりもします。エズラの気持ち、、とてもよくわかります。まさに自分もよく考えることなのです。

ですが、誰もが簡単にタイミングよく相手の気持ちを汲み取って、相手の心にストライクに思いやり持つことは、どれだけ相手に愛情があったとしてもうまくゆかないことがあるのではないかと思います。

逆に、いつもうまくストライクしていると思っている人は、勘違いしているのじゃないかな。、愛情や友情の思いやりのポイントが決してストライクじゃなくても、相手が自分を思っているという感情は伝わるから、そうして、相手への信頼が深まるものなんじゃないかと思います。

最後に、長男のコーディは幸せについてこう息子に語りました。

人を幸せにするのも不幸にするのも、みんな過ぎていく時間の上に成り立っているんだ。幸せというのは、これから起こることを期待することじゃないか?不幸なときには、もう一度時間を元に戻したいと思うだろ?誰かが死んで、悲しくなって、その人が生きていた時代に戻りたいと思うように。たとえば写真でも、古い写真を見て、気がついたことがないか?懐かしいと思ったことないか。昔の人の笑い顔とか、今じゃ、おばあさんになっている子供とか、もう死んでしまった猫とか、とっくに花が萎んで、鉢そのものも割れるか失くなるかしてしまった植木鉢とか。。人を懐かしいと思わせるのは、そういう止まった一瞬なんだよ。もう一度、あのときに返れたら、と思うわけだ。あれやこれや、もう一度やり直せたら、とか、やってしまったこともやらずにすますことができたら、一度でいいから時間を巻き戻せたら。

先週は友人の命日でした、、今でも信じられません。また会える気がしてなりません。もう二度と会えないとわかっていたら、最後に会った日に、もっと沢山しゃべっておけばよかったと、、そんなことも考えます。。

今回はなんともとりとめのない感想となってしまいました。最近、なんだか、孤独感が増しているような気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月22日 (水)

ブリージングレッスン

著者 アンタイラー 文春文庫

手元に読みたい適当な本がないときは、著者の本を持ち歩く(もうすでにバイブルのようですね)。

このストーリーも特に事件となるようなエピソードがあるわけではない、とある夫婦の一日をベースに、夫婦の一生レベルのストーリーを語るというすごい小説です。

主人公のマギーとアイラの出会いから、息子の結婚と孫の誕生、ひきこもり系の夫の家族とのふれあい、高校時代からの友人との思い出など、なんでもないごく普通に見える平凡な夫婦にも、掘り起こせば掘り起こすだけいろいろな物語がぎっしりとつまっているのです。それもすべてオチがあるわけではない、どれもこれも解決なしで進行してしまいます。

まさに人生ってどれもこれもオチがない、発生した人生トラブルは解決することなくつぎのトラブルが発生していく。。そんな感じでしょうか。

肉体の若さの衰えや大切な人やペットとの別れやなどなどは一端発生すれば決して不可逆で、解決できない悩みのようにも思えます。。(アンチエイジングの美容整形は空しいし、死んでしまった人には二度と会うことはできません(この世では))

主人公のマギーは考える

これから一生、失ったものをひとつひとつ惜しみながら、日々を過ごしていくのだろうか。

年老いていくということはこういうことなのか。

そんな。。殺生な。。と思うけれども、はっきり言えば、そういうことなのかもしれません。自分にとっても、まずは祖父をなくしたころからそういうことかと薄々感じ始め、、年齢とともに体力も衰えてくる。。そして友人の死に二度も直面してしまってからはもうマギーと同じ世界が見えるようになってしまったような気がします。

新しく出会うもの、新しく知るものを努力して増やしても、、失っていくもののスピードに勝てるのかどうか。。

なんだか暗澹とした気持ちになってしまいますが、マギーはこうも考えます。

アイラがそばにいてくれるから、なんとかなるだろう。

もしかしたら、どんなに鋭い痛みでも時が来れば癒えていくものなのかもしれない。

親友の旦那さんのお葬式の帰りに「アイラがそばにいてくれるから」と考えられるマギーは能天気なようにも思えましたが、この「。。。がそばにいてくれるから」というのは本当に役立ちます。わたしもこれまで悲しみに沈んだときに、必ずそばに家族や友人やペットなど、ささせえてくれる誰かがいたような気がします。。

遠い昔の天地真理の唄にありましたが、、「ひとりじゃないって~素敵なことね~」というのはかなり真理に近い真理ちゃんの唄だったのでは。。

一行日記:先週末の金曜日は前の会社の同僚Sと友人のN嬢と新橋のディープなチープ系居酒屋で飲み会。この出来事のカウンターに会社のSと同じ会社のかつての同僚で今は大阪勤務のK氏に電話する。「今新橋で飲んでいるので今からすぐくるように」と。当のK氏は大阪の飲み屋で寂しくひとりのみをしているとのこと。久しぶりの面々と話せて、かなり楽しい夜でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月18日 (土)

結婚のアマチュア

著者 アンタイラー 文春文庫

4度目の再読です。

何度読んでも、というか読み返すたびに、じっくりとストーリーに飲み込まれて読んでしまうアンタイラーの小説です。

この小説はポーリーンとマイケルの夫婦の物語なのですが、妻のポーリーンには二つの別れが待っています。

最初は娘の家出です。18歳の時に家を飛び出した娘のリンディと、ポーリーンは家出の後、一度も会うことができませんでした。

子供たちがうんざりするほど喧嘩の耐えないポーリーンとマイケル。出会いは激的な一目ぼれだったというのに。

結婚30年目の夜。ポーリーンにとっては、その喧嘩も含めてのすべての30年間が愛の証と信じていたのに。マイケルにとってこの30年は地獄だったと言うのです、たぶん言葉のあやだったのかもしれません、ですがその言葉に腹を立てたポーリーンが「そんなふうに思っていたのなら、出て行けば?」と言ったことから夫婦の亀裂が決定的となってしまいます、そして夫のマイケルが家を出てしまうのです。ポーリーンの二度目の別れです。

さらに30年物語は続きます。ポーリーンは寂しさを抱えながも、友人や子供たちに支えながら、時にはデートに挑戦しながら日々を過ごします。。ですが、ポーリーンはマイケルを愛していました。そして、どうしてこういうことになってしまったのかを考えて眠れない夜を過ごします。亡くなった両親や、義母にどうしてもっと優しくできなかったのか、娘のリンディ、一番愛していた娘をどうして守ってやれなかったのか。喧嘩ばかりしていたけれど、その理由はほとんど覚えていない、どうして、こんなことになってしまったのか。ひょっとしたらマイケルのいうことが正しかったのかもしれないと考えて眠れなくなるのです。

やがて、ポーリーンは事故でこの世を去ってしまいます。リンディーに会うこともできずに。

再婚して、おだやかな妻と平穏に暮らす、80歳になったマイケルは、不満を覚えます。あまりにも自立して理性的な妻にとって、、自分はおまけなのではないかと思うのです。

ある日、マイケルは今はこの世にいないポーリーンを偲びます。

何がいけなかったのか、どこがいけなかったのか、マイケルにも何も思い出せないのです。あまりにも子供だったのに、突然結婚してしまったのが原因だったのかと考えてもみます。それが正解だったのかもしれません。夫婦になって、徐々に相手の考え方を知り、自分と違う部分は受け入れないまでも尊重したり、ゆずりあったりして、少しずつ舵の取り方を覚えていくものなのかもしれません、ですが、このふたりは、ふたりともが自分をゆずらずに、主張しすぎて、30年たっても舵取りを学ぶことが出来なかったのかもしれません。

ある日、マイケルはかつて住んでいた町の通りを散歩してみることにしました。

あの角を曲がると、昔暮らした家がある。そこには、自分の足跡に耳をすませて心を膨らませているポーリーンがいて、そして待っているような気がする。。そして、マイケルの姿が見えたら、ポーリーンは「あなたなのね?」「ほんとうに、ほんとうにあなたなのね?」と歓びで顔を輝かせるだろう。そうマイケルは思うのです。あまりにも遅すぎる妻への理解です。

哀しい話です。。マイケルと、娘のリンディは、妻であり、母であるポーリーンを捨てて出て行ってしまうのです。

でも、ポーリーンはそれほどひどかったかと思い起こせば思い起こすほど、ひどい人ではなかったことが判るのです。

自分のことを愛してくれている相手を永遠に失ってしまった後に、その相手を頑なに遠ざけ、そして相手の残された人生をひどくわびしいものにしてしまい、そして深く傷つけてしまうほど、問題があったわけではなかったとようやく気がついたのですから。

相手は自分とは同じではない、だから喧嘩もしてしまう、だけどだからといってあなたにいなくなって欲しいとなんて思わない、そんなポーリーンが正しかったと、最後の最後でマイケルは気がついたのです。

(この物語では娘のリンディはまだ気がついていないようでした。その点で弟のジョージが不満に思うのです。僕を残して出て行ったなんて、それで僕がどれだけ傷つくかを、ほんのちょっとでも考えてくれたことがあるの、と姉に対して思うのです。)

アンタイラーの小説は、特別な出来事は起こりません。わたしたちの日常におこるたくさんの出来事が同じようにおこるだけです。

ですが、そんな中でもうなずいたり、クビをかしげたりしながら自分だったらこうするのにと、どのエピソードでも考える要素がぎっしり詰まった、何度読んでも考えさせられるほんとうに素晴らしい小説だと思います。

多くの人に読んで欲しいそんな一冊なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月26日 (土)

あのころ、私たちは大人だった

2005年の3月にこのブログをはじめてから、アンタイラー作品を随分何度も読みました、全ての作品あわせても10冊程度と寡作な作家ですので、再読ばかりなのですが、アンタイラーのカテゴリーも作ってみました。

この「あのころ、私たちは大人だった」に至っては、このブログをはじめてからでも既に6回目の再読となります。それなのに、まだ読んでいる最中にジーンとして涙ぐんでしまうことがある小説です。

今回は心に染み込んだ名シーンと名セリフの一部を紹介したいと思います。

主人公レベッカの義理の叔父ポピーは30年前に最愛の妻ジョイスを亡くした99歳の老人です。ある日レベッカの娘の婚約祝いのパーティーの席で祝辞のかわりにうっかり葬儀の時に読み上げるための詩を朗読してしまいます。そのことを恥じたポピーはレベッカに言い訳をします。。結婚の誓いの言葉を聞いて自分が誓いの言葉を述べた日のことを思い出してしまったのだと。

「世間の人は、愛する者を失って相手を恋しがるのは、禁煙してタバコを恋しがるようなものだと思っとるじゃろ。最初の日はつらいが、次の日にはつらさも少し薄れて、日がたつにつれて、だんだんつらくなってゆくもんだとな。だが、そうじゃない、それは水を恋しがってるのとにてるんじゃ。毎日、日がたつにつれて、その存在のありがたさが、もっともっとわかってくる」

そのポピーが心臓が痛いと苦しみだし、病院に運ばれたとき。まだ百歳の誕生日をしていないというポピーの言葉を聞いて涙がこみ上げてきたレベッカはそんな自分に驚きました。死んだ夫の父親の兄弟という自分とはまったく関係ない老人の世話をすることになり、苛立ち、そのことを恨み、ときにはポピーの死を夢想したことすらあったからなのです。

しかし、人は与えられた者を愛するようになるらしい。こんな、細くて青白い、温かな足首をした人間が、いとも簡単に存在することをやめてしまうなんて、ひどくショックだった。まったく話にならないと思った。

主人公のレベッカもまた結婚6年目に4人の娘を残した夫のジョーを失い、30年近い喪の中を生きてきたのです。レベッカは、夫のジョーが娘たちの人生の節目や、日々の喜び、家族のささやかな成功に立ち会えないことにジョーに代わって悲しみを覚えるなどとは思っていなかったのです。

レベッカは、愛する人に先き立たれた者が嘆き悲しむのは、ほんとうは自分のためなのだと思っていた。

だが、それは真実の一部に過ぎないことにレベッカは気がつきました。ジョーを失った最初のころ、将来また天国で再会したときのために、いろいろな出来事をジョーに話そうとおもっていたのに、あれから30年たった今、レベッカにですら思い出せないさまざまな出来事があることに気がついてしまいました。自分の人生すら遠い過去になってしまったのです。そんな自分にレベッカは罪悪感を覚えます。過ぎ去ってしまった遠い自分の過去を忘れてしまったことで、ジョーがレベッカが自分のことを忘れてしまったと思われるのではないかと思ったのです。もちろんそんなことはないのですが。

死んでしまった愛する人、私にとっては祖父と友人だと思います。彼らともしも数十年後に天国で再会出来たとして、自分があのあとどんな人生だった?って聞かれたときに、「うーん、毎日単純で普通だった、そして、すごく昔のことはよく覚えてない」と答えてしまうのかなぁ。。それでは寂しいです。

そんなためにも、日記、ブログに人生を記録するのは、若い頃の記憶があやふやになってくる中年以降には必需なのかもしれません。

でも、そうはいえ、日々の暮らしがルーティーンになってしまいがちな中年以降に日記をつけはじめても、日記の内容自体がなんの面白みもなくなってしまうのかもしれません。。死んだ家族や友だちに天国で再会したときに話題を豊富にするためにも、死ぬまで話題豊富な生き方をしたいものです。。

なんてことをこの本を読み考えてしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月30日 (水)

ブリージングレッスン

著者 アンタイラー 文春文庫

再読。このブログを書き始めてからだけでも、4回目の再読だ。

はじめて読んだときは、全体的なストーリーをなぞるだけだったので、余り面白い話と思わずに読み終わった本書。ですが、再読を重ねるたびに、この本は、自分のバイブルのような本として、変化してきました。

ある夫婦の朝から夜までの一日に起きた出来事とその日の妻と夫の回想で構成されている。

一日の出来事と言っても、50歳近くの夫婦の過去の回想が含まれている、その回想は膨大で、ストーリーとして、かなりのページ数となっています。

回想を省いて、一日に起こったことだけをまとめると、

遠方に住む妻の親友の伴侶のお葬式に夫婦で参列するために、ドライブを予定している夫婦、主人公のマギーとその夫アイラの物語。

ドライブの直前に、「生活のために結婚する」とカーラジオの人生相談番組で話していた女性を息子ジェシーの離婚した元嫁フィオナと思い込み、結婚を阻止しようと考え、元嫁に会いに行こうと画策するマギー。

ドライブはスタートしたばかりなのに、地図を忘れて道に迷い、道を聞くためによったカフェのウェイトレスとの世間話をくだらないという夫アイラに腹を立てたり、などなど、つまらないことでの夫婦喧嘩をしたり、仲直りしたりの茶番劇が続く。

葬儀会場に着いたマギーとアイラは、親友の趣向による、ちょっと変わった葬儀の後でので親友の自宅のベッドルームで不謹慎にもラブシーンを繰り広げているところを親友に見つかり、親友の逆鱗にふれて、お悔やみもそこそこにふたりは帰途つくこととなる。

帰途の道中で、マギーがちょっとしたいたずら心からお年寄りのドライバーにした意地悪が結果として夫婦を大変なトラブルに巻んでしまう。。

ようやく夫アイラをなだめすかして、元嫁フィオナの家を訪れたマギーは孫と数年ぶりの再会を果たし、なんとか、息子との復縁を画策しようとするマギー。

孫と元嫁を自宅へ連れ戻ったももの、元嫁のフィオナと息子のジェシーは会うやいなやマギーのついたちょっとした嘘をきっかけに不穏な喧嘩になり、結局復縁は纏まらず。ジェシーもフィオナも家から飛び出してしまう。

こうして、結局、マギーの努力むなしく、一日の全てがなにもかもがうまくゆかなかった。

その日の晩、マギーは葬儀のあとに怒らせてしまった親友セリーナへ謝罪の電話をする。結局、親友はマギーの謝罪を許してくれた。

そしてアイラとマギーはかわらぬ夫婦のまま。一日が終わるのでした。

実際に起きたストーリーとしては、たったこれだけなのに、マギーとアイラの出会い、マギーの老人ホームでの仕事、アイラの家族、娘ディジーへの思い、息子ジェシーとフィオナの回想、親友セリーナーの思い出などなど、よくもまぁ、これだけ話を膨らませることができたというくらいの素晴らしい物語なのです。

とくに、アイラの家族モラン家総出ででかけた霧の中のピクニックでの、アイラの家族に対する愛情を実感するシーンと、台所で缶詰の説明を読んで子供のように泣き出したマギーを見てアイラが頭を抱えて絶望してしまった時に、マギーが泣くのをやめて、アイラを抱きしめて「大丈夫よ、これから何かもうまくゆくわ」とささやいてあげたときに、アイラがマギーの肩に頭をあずけるシーン。何度読んでも感動します。

マギーはいつも善意の人なのに、その善意が空回りしてしまい、時には人を激怒させ、そして、なにもかもを台無しにしたりするのですが、それでもでも、わたしはマギーのことが、この小説を読むたびに、どんどん好きになってゆきます。

もしもマギーが友だちだったら(ときには、いらいらする日もあるかもしれな、喧嘩になる日があるかもしれない)でも、彼女の善意を絶対に信用して疑わないとおもう、心から安心してそばにいられる、そんな友人として間違いなく大切にすべき友だちだと思うのです。

それは、アイラが、マギーと喧嘩ばかりしているけれど、それでも、自分とって、マギーがどれだけ大切な存在だということをとても理解して、マギーのそばにいるときが、一番安心できることを知っているのと同じように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月23日 (水)

パッチワークプラネット

著者 アンタイラー 文春文庫

また本作品を読んでしまいました。。何度読んでも、最後まで飽きることなく一気に読めてしまう、面白最高の作品です。でも、もう何回も読みすぎで、ページがばらばらになってしまいました。もう一冊買い直さないことには限界かもしれません。。

友人が急死してしまった直後に読んだせいか、主人公のバーナビーが、顧客たちの死と向かい合う場面がとても気になり、そして深く考えさせられてしまいました。

お年寄りのサポートサービスを生業としている30歳のバーナビーは、この年齢にしては考えられない数の葬式に列席しており、そして時々、仕事をやめたくなる。。死について考えることが、通常の30歳よりも余りにも多すぎるからなのだと思う。

これだけの高齢者と毎日すごしていても、バーナビーは、だからといって、精神が成熟するとか、落ち着くわけでもなく、いつも不満を抱えている。。一番信頼して欲しい人に信頼して欲しいのだとおもう。。仕事の顧客の老人たちは、おおむね信頼してくれている、でも、愛している家族や、恋人や、娘は、なぜだか信頼してくれない。。生活態度が悪いのだから改めればいいのかもしれない。。

でも、信頼ということは、そういうことではないのだろう。。最後にバーナビーは信頼を手に入れたのだろうか?この話は、マーティンとの恋の予感で幕をとじるが。。ついに愛する人から信頼を手に入れられたのだろうか。。気になってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月30日 (金)

結婚のアマチュア

著者 アンタイラー 文春文庫

久しぶりにアンタイラーの作品を読み返しました。この本も読むのは数回目。アンタイラーの作品はどの作品もそうなのですが、読むたびにいろいろな印象を受けます。

その時々の自分の精神状態で、登場人物の中で肩入れする人が変わったり。

それにしても、夫婦のあり方というのも千差万別、人から見たら何故あの二人が。。って思うようなカップルが幸せに暮らしていたり、逆に、理想的、申し分ないと見えるカップルが実はあまり幸せでなかったり。。

それは、夫婦だけではなく、家族でもそうなのかもしれません、自分たちは仲のいい家族だって思いこんでるのは実は母親だけで、他の家族の内面はバラバラだったり、なんとなく自分勝手でバラバラに生きているようにはたからは見える家族が、実はお互いを深く理解して尊重しあっていたりという場合もあったり。。

やはり、誰かと共に幸せに暮らすためには、自己主張もほどほどにする必要があるのかもしれません。。または、自己主張はいいけれど、相手の主張も同じくらいのレベルで尊重することかな?

この小説では、ポーリーンがどうにも自己主張が強い人間のように描かれているようにも見えますが、マイケルが相手の立場でモノが考えられず、あまりにも心が狭すぎたというのが正解のように思えます。

ポーリーンは女性の目からみて、とても可愛い人だと思いました。(まぁちょっと幼いところがありますが、裏表がなく、わかりやすくて信頼できる人のように思えます)。何度読んでも、娘の家出したリンディに再会できずに命を落としてしまったことが可愛そうでなりません。。

次回この本を読んだらどのような印象をもつのか。。また楽しみです。。

ところで、アンタイラーの最新作「DIGGING TO AMERICA」は購入してから半年以上も経ちますが。。英単語や会話の言い回しが難しすぎて、まだ最初の数ページから一向に読書がはかどりません。。早いところ翻訳を出していただきたいものです。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 5日 (木)

あのころ私たちは大人だった

著者 アンタイラー 文春文庫

何度目かの再読です。何度読んでも最高に面白い作品です。今回は、登場人物の具体的な像をイメージして、創造を逞しく読みました。 

短い金髪が羽のようにフワフワしていて、どっしりとふくよかなレベッカ。おそらくファッションセンターシマムラ系の服を愛用していると思われる。

ハチドリのように小さく、4姉妹のなかで最も美しいが、うぶで、子供のような、つややかな黒い髪の夢見がちな三女のノーノ。

手入れのしてないぼさぼさの黒髪に欠食児童のような次女のビディ。ゲイだけどパートナー、のっぽのトロイは、その名前から、どうしてもブラピを想像してしまう。

息子のディクソンは女学生がかならず振り向くハンサムらしい。。見てみたいものです。平凡な彼女がいるらしいですが、本書には一度も登場しません。ポピーの誕生日にも登場しませんでした。

体育教師の長女のパッチとジープは一番イメージが湧かない、あまり重要な役割の出番が少ないのだが、レベッカが最初に愛していると気がついた娘らしい(盲腸で死に掛けた時に気がついた)

弟のゼブは独身50歳の小児科医、やぼったい服に曇っためがね。でもレベッカにいつも親切で、どうして一人暮らしをしているのだろう、レベッカと一緒に住めばいいのに。。

叔父のポピーはふさふさの白髪とふさふさの口ひげの100歳のおじいちゃん。杖をついて、まだらボケで、話がしつこく周囲をイライラさせるが、記憶が混乱して一番困惑しているのは本人なのだ。

ウィルアレンビーも、会社にいたら間違いなく嫌われてシカトされるタイプで、それがまた哀れみを誘う。。大学教授という、立派な職業なのに、恋人も家族も友だちもいないなんて。。

ミンフーは末っ子で、一番わがままかもしれません、でもきっとその自己中心的なところが男性にとって魅力的な長所なのかもしれません。三度も違ったタイプの人と結婚できるのですから。

50歳になってからも、沢山の娘や孫や家族に囲まれて、87歳の母親も、100歳の叔父も、家族の誰ひとりとして深刻な病気にもかかっておらず、日々の仕事や家族の雑用やお祝い事やイベントでひとつのことをまともに考える時間もなく忙しく過ぎていくなんて、なんて幸せなことなのだろうと思う。

でも、人はみんなないものねだりをするものだから、忙しければ時間が欲しいと思い、暇だと忙しくしたいと思うのでしょう。。ポピーが、

「人は与えられた人生が自分の本当の人生なのだ、こんな人生は自分の人生じゃないといって不満を言うのは間違っている」

というシーンがあります。

努力が足りない、資金が足りない、才能が足りない、いろいろな理由で、自分の描いていた将来図からはるかに遠ざかってしまった50歳は沢山いると思います。何かをふたたびやり直すには遅い年齢なんだろうけれど、でも、振り返ってみると、そこそこの場面で本当に楽しんでいたっんだっていう人生を送りたいものです。

読むたびに気の合わない家族に対してすら、優しい気持ちになれる、この小説はそんな小説です。相手に対してイライラしても、表にださず、舌をかんで我慢できるレベッカの賢さなのだと思いました。

ただし、レベッカはウィルアレンビーには狭量です。。レベッカの一族になったら、ウィルアレンビーもいつかレベッカのように、違う人間になれたかもしれないのにって思ってしまいました。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 7日 (水)

あのころ私たちは大人だった

著者アンタイラー 文春文庫

このブログを書き始めてからでも、5度目の再読。面白すぎる。

読むたびに印象が違うし、考えさせられる点も違う、読むたびに自分も歳を取っているわけだし、経験も変化しているわけだから当然かもしれない。

この人生は本当の自分の人生ではないと考えはじめるレベッカ。

まだ私は彼女の年齢52歳になるにはずいぶんと先だが、人生をもう一度やり直す限界というのは何歳なのでしょうか?愛する人が生きている限りはやり直せるのでしょうか?伴侶や恋人を死別という理由で失ってしまった人はもういちどやり直すというのは無理なのでしょうか?そんな問いかけもしています。

この小説だけでなく、同時に事故や心中で死なない限り、最愛の伴侶や恋人を失って何十年も喪に服している人は数多いのではないでしょうか。この小説に登場するポピーはずっと昔に亡くなった妻の死を月日が経って100歳になったいまでも嘆いている。愛する人を失った悲しみは月日とともに満ちてくるのだと言っている。

レベッカも26歳で失った夫の死を26年間も悲しんでいる、受け入れていない。この人生は本来の自分の人生じゃなかったと考えはじめる。そして、夫の前に付き合っていた昔の恋人を探し出して付き合ってみたりなどという愚かな行動まで起こしてしまう。

しかし、物語の最後、感謝祭やクリスマスやポピーの百歳の誕生日が近づくにつれ、レベッカは漸くあることに気がついてくるのだ。

深い霧の夜に、生まれたての小さな孫を抱いて散歩に出たレベッカが、自分は本来の自分にはなかった楽しい人間(夫が彼女は楽しい人間だと思っていた)人物像になろうと、意識して努力してそうなろうとしたのに、皆は疑いもいだかずに彼女はもともとそういう人物だと彼女のことを思っている、なぜなら、それは見せかけでも、なんでもなく、自分は既に楽しい人間であるという長所を習得したのだということに気がつき、彼女は深い達成感や満足感を得るのだ。このシーンにはとても感動する。

そして、ポピーの誕生日の朝に、ポピーが小説の冒頭でレベッカが出した問いかけに答えるシーンがある。このようなセリフで。。

「ほんとうの人生なんてもんはない、ほんとうの人生とは、どんなものであろうと結局はお前が生きた人生のことなんだよ。自分の持てるもので精いっぱいやることだ」

実際の人生は結構単調で日常の繰り返しで、それでも思い出というのは大体楽しいことが残るから、自分の人生はなんて楽しみの部分が少ないのだろう、と思ってしまうのかもしれない、でももっとよく観察してみると、そんな単調な日常の繰り返しのなかにも、ささやかな歓び、ちょっとした楽しみ、それらで溢れていることのほうが多いのかもしれないです。

とはいえ、私もレベッカの歳になったら、自分の人生はなんてつまらない人生だったんだろうと呆然として焦燥感にかられるかもしれません、、

一行日記:3ヵ月近く自分がメインで近く取り組んでいたプロジェクトがいろいろと不備もあったが、本日漸く無事完了し、すこし枕を高くして眠れるだろうか。五月病(お正月病)と思ったが、このプロジェクトが気がかりで鬱っぽくなっていたのかとも思う(いつになく胃痛が増していたし)。今日を迎える2~3日前あたりから、まったく偶然なのだが、大学時代の友人から(8年近く会っていない)久しぶりに飲もうとメールが届いたり、前の職場の友人たちとの宴会しようと幹事が連絡してきたり、なんともタイムリーにお楽しみのお知らせが届き、すごく嬉しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月31日 (火)

もしかして聖人

著者 アンタイラー 文芸春秋

最近自殺がニュースで取りざたされているじゃないですか。

いじめが原因だけではなく、履修不足問題やら国旗掲揚・君が代斉唱問題などでは校長先生まで自殺してます。。苦しみの逃げ道としては有効な手立てかとは思いますが、

とにかく、「いじめ」が原因で自殺しようと思っている人たちは、考えて欲しいと感じました。

「いじめ」を苦に自殺するあなた自身が、あなたの自殺によって、あなたが受けた「いじめ」と同様の、それどころか何十倍の耐え難い苦しみを、これからあなたの大切な家族やあなたを信頼して守ってくれていた友だちに与えてしまうことになるのですから。。と言いたいのです。

本作品「もしかして聖人」は自殺で、それこそどれだけ長い年月残された家族が苦しむかがよく描かれています。家族(息子)に自殺された母親はその後、死ぬまでいちども幸せになることはありませんでした。

「いじめ」で自殺することは、自分が自殺することで、最も大切な人を「いじめ」ることに気がついて欲しいです。学生時代の「いじめ」は長くても12年(義務教育6・3をずっと同じ学校に通うことになったとしても)です。でも、大切なわが子が自殺してしまったあと、その親は自殺を選ぶ以外、一体何年苦しまなければならないのでしょうか?

30代の親を持っているあなたですと、親に与える苦痛は40年~50年です。自分が6年~12年耐えるのと、親に40年以上の苦しみを与えるのとどっちを選びますか?

たぶん、自殺の原因となった「いじめ」をした人はすみやかにあなたの自殺を忘れて、幸せな人生を送ることでしょう、、残されて家族は決して立ち直ることができません、本当です。

ですから、自殺はやめれ。。やめとけ。。と声高に叫びたいです。「いじめ」人間は哀れな人間なのですから、そんな哀れな人間のために、大切な家族を悲しみに突き落とす必要は全くないと思います。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 8日 (金)

あのころ、私たちはおとなだった

著者 アンタイラー 文春文庫

このところ友人や先輩に薦められる本を次々と読んでおり、アンタイラーを読み返す機会なかったので、久しぶりに振り返ってみる。というかこの本の登場人物を自分なりに整理してみようと思い立つ。。

レベッカ(ペック):物語の主人公、太目の体にぱさぱさの金髪に派手なぶかぶかのワンピースを好む53歳の未亡人、レンタルパーティ会場オープンアームズの経営者、1人の娘と3人の義理の娘の母親、娘や娘婿、孫たちに囲まれにぎやかに社交的に幸せにすごしていると誰にも思われているが、本当のレベッカは内気で読書家で、やはり内気な男性が好きな少女だったのだと思い出しちょっとしたメランコリーにおちこんだりしている。

ジョー:レベッカの亡き夫、内気なレベッカ19歳のとき、レベッカの友人に招かれたパーティ会場のスタッフだったジョーの弟に笑わされていているのを見て、社交的で楽しい女性と勘違いしたままプロポーズして結婚するが、スピード狂のため、幼い4人の娘を残して他界、父親は自殺しており、いつも笑顔を見せていたが、ときどき暗いを目をして遠くをみていたことにレベッカは気が付いていた。

ポピー:ジョーの父親の双子の兄弟、ジョーの叔父さんで100歳を迎えようとしている、妻のジョイス叔母さんがなくなってから徐々にぼけ始め、いまではちょっと前のことがわからず、いつもポケットにキャンディーを一杯詰め込んでいて、孫などに歳をとることの大変さを説明していやがられたり、レベッカもときどき嫌になることもあるが、愛すべきキャラクター、わたしはこの小説ではポピーが大好き。。

ゼブ:ジョーの弟で医者、今ではレベッカの同志のような存在で、常々レベッカに独身でいるのはレベッカを待っているためだなどと、愛の告白らしきしていることをしているが、レベッカには「いい人ね」とかわされている、でもゼブもかなり素敵な男性だと思う。。

ビディ、バッチ、ノーノ、ミンフー:ダヴィッチ家の4姉妹。
ビディ(長女):フードコーディネーターでいつも料理のことで頭が一杯だが、自分はガリガリに痩せている。斬新すぎる料理が時々周囲をこまらせたりするビディーは息子と、結婚前に死んだ婚約者の弟でゲイのトロイと3人暮らしをしている。
パッチ(次女):高校教師の夫と3人の子供がいる、ストーリーの中ではあまり目立ったストーリーはすくない。
ノーノ(三女):子持ちの弁護士と婚約が決まったばかり。
ミンフー(四女):出産の度に夫を替え、現在はアラブ系の夫との子供を妊娠中。レベッカとジョーの実の娘。

ティナ:ジョーの前妻、3人の子供とジョーを残して離婚し、今は金持ちの未亡人としてフランスで暮らしているが、ノーノーの結婚式に出席するためにやってくる。お洒落で美人。

バリー:三女ノーノーの婚約者。弁護士で離婚した前妻との間に息子がひとり

ピーター:バリーの息子、内気でひょろっとしていて、さえないが、科学にものすごく秀でていて、いとこの男の子たちに尊敬される。ポピーにも優しい少年。

ウィルアレンビー:レベッカの十代の頃の恋人、現在は大学教授。教授向けのアパートで一人暮らしをしている。前妻との間に娘がいる。勤勉でジョークがわからない。毎週に日曜日に一週間分のチリビーンズを作り、冷凍し、毎晩食べている。レベッカの「飽きないの?」の問いかけに、「どうして飽きることがいけないんだい」というくらいの堅物。

ディクソン・シニア:ビディの死んだ夫。

ディクソンJr:ビディの息子、ハンサムなので、パーティの時によくウェイターとして借り出される。。

トロイ:ビディの同居人、死んだビディの恋人の兄弟、ビディと息子のディクソンの支えとなっているが、ゲイ。

エミー、ダニー、ミリー:パッチの子供たち

ハキム:アラブ人のミンフーの3番目の夫

ジョーイ、ラティーシャ、アブドゥール:ミンフーの前の夫たちとの子供、アブドゥールは生まれたばかり

ミルドレッド:レベッカの母、離れて暮らしている。レベッカの話に耳をかさず話好き、ものすごい几帳面で家中整理整頓されている。家を整理したら老人ホームに移るといっているが移る気なさそう。

アイダ叔母さん:ミルドレッドの妹、薬剤師の夫がなくなってから一人暮らし、子供がいないためレベッカもかわいがっていた、家も乱雑だが、母と反対でおおらかで、優しく、レベッカは子供のとき、叔母さんの子供になりたいと思っていたら、レベッカの父親が卒中でしんでしまった思い出があり、そのことでレベッカは心を苦しめた時期がある。

ベアトリス:ウィルアレンビーのティーンエイジの娘、反抗期でウィルを悩ましている。

アリスファーマー:パーティーの時などに手伝いに来てくれるおばさん、必ずフルネームで呼ばないと機嫌がわるくなる。

う~ん、それにしてもものすごい登場人物。一人一人魅力的で、別のストーリーを是非書いて欲しいと切望してしまう。とくにビディとトロイの話は気になる。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月23日 (金)

DIGGING TO AMERICA

著者 アンタイラー KNOPE

こちらも、CROW LAKEと併読中。

Koreaの赤ちゃんを養子にするアメリカ人の二つの家族のお話らしい。

アンジェリーナジョリーもそうだが、アメリカでは、国内より、海外から養子を取るケースの方が多いのでしょうか。文通をしているアメリカのおじいちゃんの子供たちも、自分たちの実子も沢山いるのに、さらにベトナム人の養子をもらっていたりしていました。

こちらの小説は本当にイントロダクションしか読んでいないのですが、やはりアンタイラーの小説には必ず赤ちゃんや子供が登場しますね。。

一行日記:本日は会社の帰りに某健康ランドに直行、今週はいろいろと忙しい一週間だったので、風呂上りのビールが最高でした。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 9日 (金)

DIGGING TO AMERICA

著者 アンタイラー KNOPE

アマゾンで注文した本書が漸く届く。図書館でアンタイラーの作品を借りっぱなしなため、それを先に読まねばと思いつつも、このところ、早く読まなきゃリストが山積してきて。。(幸せな状態なのですが。。)

早く読まなきゃリスト

  1. モーガンサンの街角
  2. 時計を巻きにきた少女
  3. A Long Way Down
  4. DIGGING To AMERICA
  5. ベル カント
  6. CROW LAKE
  7. Accidental Tourist

一行日記:久しぶりに友人TとOと会う、今回、家族のお葬式の方法はどういう方法がいいのかとか、身内の死や病気のこととか、友人との離別など、なんだかとってもくらい話で盛り上がってしまいました。。半年も友人と会わないと話したいことが多すぎて、3~4時間あっというまですが、お互いの悩み話を話すには足りませね。今度は楽しい話題を報告しあいたいものでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月31日 (水)

ブリージングレッスン

著者 アンタイラー 文芸文庫

あっという間に読了、今回はアイラの人物像が気になった。

世の中には、自分が医者をめざしていた大学生の最中に親が引退し収入が無くなり、大学中退を余儀なくされ、いつか学業に戻れる日を夢見ながら、働いている人。

親以外にも障害のある姉ふたりの面倒も自分がみなければならない人。

娘とも息子のことも全く理解できず、心が不安定になる原因が子供たちだという人。

妻が他人の人生に考えもなく割り込んで、うまくいくはずの他人の人生を結局台無しにしてしまうことがあるという人。

そんなひとは数多くいることだろう

しかし、なんとこの主人公のアイラはこの4つに全てに当てはまってしまったのだ。

暗く、じめじめして、いいことなど起こる事もなさそうだとわかっているのに、あと何年もこういう暮らしを続けることを知っているいて、時々絶望的になることがある。

でも、それでも自分の家族をどれだけ愛しているかを知っている人でもあるわけです。そして、マギーのような物事のいい面だけを見ようとする家族がどれだけ大切かを心のどこかで気がついているのかなとも思いました。

一行日記:今日は会社で外人さんがドアを通るとき、ドアを押さえてあげたら、「Thank You」と言われたので「You're Welcome」という言葉が出ずに、「No」と答えてしまった。。(自分ではありがとうと言われたので、いいえと答えたつもり)情けない。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月29日 (月)

ブリージングレッスン

著者 アンタイラー 文芸文庫

読みたい本が手元に無いときは、とりあえずアンタイラーの本を抱えて外出する。

「スリッピングダウンライフ」のあとは「モーガンさんの街角」を読むつもりですが、ハードカバーを持ち歩く元気がないため、外出用は次は「ブリージングレッスン」と決めた。

しかし、どじでマヌケと自分で言うマギーは、うまく行くような人間関係を余計な一言でこじれさせてしまう才能があるのか。。読んでいると、ひょっとして、自分もこういうことをしているかもしれないと不安に陥ってしまう。。

一行日記:周囲の友人の勤勉ぶりに感化され、久しぶりに英語の勉強を再開。英語教材を聴いたり、テキストを読んだりとかなり本気モード(続けばいいのですが。。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月28日 (日)

スリッピングダウンライフ

著者 アンタイラー 文芸春秋

二度目の読了、この小説、実は個人的にかなり痛い。。10年間以上とあるバンドのベーシストを愛しています。(いや、このバンドマンの彼にはすでに妻も子供もいるのですが。。)。そんな今でも、時々どうすればこのベーシストの彼と結婚できるのかなどと妄想することがある。。そう、自分の愛したミュージシャンというのはそういうものなのではないのでしょうか?

この小説の中に出てくるバートラム・ドラムストリング・ケイシーをどうしても私が敬愛するベーシストに置きかえて読んでしまう。結末が悲しすぎて。。アンタイラーのこの作品を書いた意図がどうしてもわからない。

アンタイラー、この小説、気合が入ってないのか、面倒くさくなってしまったのか、他の著作にくらべると、かなり描写や結末に力が入っていない気がします。(前回のブログにも同じこと書いたかな?)

一行日記:ひさしぶりに大好きな友人夫婦と社会人ながら大学に通っている努力家の友人たちと新宿の居酒屋で会食。友人は妊娠8ヶ月、もう一人の友人は仕事の後に大学に通って頑張っている。皆それぞれ充実して頑張ってるなって思うと、自分も頑張らなくちゃってつくづく思ってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月24日 (水)

パッチワークプラネット

著者 アンタイラー 文春文庫

読むたびに、主人公バーナビーの印象が変わる。

数年前から微妙な関係になっている友人のことを思い出す。2年前、仕事でストレスもたまっていた上、先方も同じような状況で、お互いにナーバスになっていた。

酔いも手伝い「私っていいところってあるのかな?」と友人に聞いたところ彼女は「ないんじゃない」と答えた。

普段ならジョークで終わったかもしれないこの一言、色々なことで自信をなくしていたわたしは大変なショックを受け、かなり憤慨をして、大変傷ついたことを感情的に彼女に伝えた。私がどれだけ傷ついたか、彼女が理解してくれると信じていたからだ。

しかし、友人の記憶には、わたしは酔って理由もなく怒るついていけない人間ということしか残っていなかった。後日、あの日の出来事の彼女が「私にはいいところがないんじゃない」という発言をした部分について、彼女の記憶に残っていないということが判明した。彼女は、私はそんなひどいことをいう人間じゃないと言ていた。

以来、私は彼女にとって、理由もなく気分で怒るむら気なついていけない人物として認定されてしまったようだ。悲しかったことは、長い間の親友だっと思っていた彼女が、理由もなく気分次第で感情的になる人物だと私を認定したことなわけなのですが、彼女に対する甘えもあったのかもなぁ、友人にひどい態度だったのだろうなぁと反省の日々の今日この頃。そして、バーナビーのストーリーを読むととてもせつなくなるのであります。

一行日記:四国で購入した四万十のりをてんぷらにしてみる。衣をつけようとする先から分解してゆき、高知で食したような塊での天ぷらを作るのは非常に困難ということが判明、でも、かき揚げとなってしまった四万十のりの天ぷらもなかなか香ばしく美味しかったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月22日 (月)

スリッピングダウンライフ

著者 アンタイラー 文芸春秋

この小説も2度目の再読だが、おそらく彼女の小説のなかでも、かなり救いのない暗い内容の話だということを覚えている。「歳月の梯子」の読了で、かなり鬱っぽくなってしまったので、読み進むのが少し怖いきがする。

一行日記:昔仕事を一緒にしていた同僚が、スペインに留学後、いまではフラメンコのプロとして活躍していることを知る。10年前には同じ仕事をしていたのに、いまでは彼女は夢を叶えプロに。私はというと、10年前と同じような仕事をしている。彼女の成功はうれしいものの、なんとなく物悲しい気持ちになってしまった。それもこれも自業自得とはいえ。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月21日 (日)

歳月の梯子

著者 アンタイラー 文芸春秋

二度目の読了。大変面白く読みました。

しかし、前回読んだ記憶がまるで残っていませんでした。前回は、誰からも必要とされていないと感じて生活に疑問を感じた妻子ある主婦が突然家出し、知らない町で自立して友だち大勢に囲まれて頼りにされ、しかも残してきた家族からも実は必要とされていたことがわかるという、ちょっと都合の良い話だという、荒唐無稽なストーリー面ばかりに意識がいき、この物語の細部から発せられているメッセージに気がつかなかったのだとおもいます。今回はじっくりと読みました。

母親に自分の話を聞いてもらいたくて懸命だった小さな子供たちが、いつか自分を必要としなくなり、母親の話にも耳を傾けなくなる日がやってくることを、そしていつしか母親は、子供が自分に話しかけるとひとことも漏らさず嬉々として子供の話に耳をかたむける日がくるということ、そして、そのことに気づき、自分の両親の話に耳を傾けようと思うことには親はいなくなっているという繰り返される事実。

ただし、自分のことを考えると、子供のころから私が母親の話の聞き役で、それは今現在でも変わっていないということなのですが。この話を読んで、一般的は母親はもうすこし(退屈な)子供の話に耳をかたむけるふりをするものなのだろうかという感想がありました。

アンタイラーの小説は、かならず重要な登場人物には子供がいるので、子育て経験のない自分にはこの本を読んで追体験するしかないのですが。。

一行日記:一週間もの間風邪で声がでなかった。声がでないことがどれだけ不便かを実感。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月11日 (木)

パッチワークプラネット

著者アンタイラー 文春文庫

これで何度目の再読だろうか。すでに本が崩壊寸前になってしまっています。

今回は、一行一行、かなり時間をかけて読んでみることにしようと思っています。30歳のバーナビーは親元でパラサイトしている30代の成人など普通に目にする昨今に比べたら、かなり立派で素晴らしい仕事を持ち自立していると思うのですが。。バーナビーの親が息子に対する希望が高すぎるのではとも思ってしまいました。

おそらく定職ももたずに一日中いえでぶらぶらした息子を持つ親にとったら、バーナビーなんて素晴らしい息子だと思うのですが。。

一行日記:今日は上野のすし屋でいつものTさん、M嬢、N嬢と四人で飲み会。。各業界で忙しく活躍している彼らと会う機会は少ないのですが、飲み仲間の中でも、いつも楽しいメンバーと思える人たちとの飲み会です。今回は古い映画の話で盛り上がっていたなぁ。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月14日 (火)

もしかして聖人

著者 アンタイラー 文芸春秋

3度目の読了。

今回、鳥肌が立つほどおどろいたことが。。なんと、「ここはホームシックレストラン」のエズラのレストランがこの物語に登場していたということ。前回は全く気がつかなかったのですが、今回は、エズラの登場に鳥肌が立つほど感銘しました。アンタイラーの小説は、このように、読めば読むほど味わいのある小説なんだなと、ますます痛感。

「人間は、毎日だれかの人生を変えているって」

フレーズ。あの時私がああしていればあの人は今もっと幸せだったかもしれない、と苦しんで、気にかけている人は、この言葉を聞いて、きっと必ず涙でちゃいますよね。。

一行日記:原因不明の極度の落ち込みで(バレンタインデーだということは無関係である)友人OにSOSの電話、急遽荻窪で落ち合って飲みに行く。。そして復活。。こんなとき、持つべきものは友であることを激しく実感

| | コメント (0)

2006年2月10日 (金)

ブリージングレッスン

著者アンタイラー 文春文庫

アンタイラーの本の中では主人公に一番感情移入ができずにあまり好きではない作品だったのですが、再読。自分の伴侶のお葬式に結婚式の映像を流すのは悪趣味かロマンティックなのか意見の分かれるところでしょうか?私はロマンティックだと思ったのですが。。

一行日記:広告代理店の営業をしている友人Mと六本木で飲む。楽しい夜でした。。

| | コメント (0)

2006年1月19日 (木)

結婚のアマチュア

著者アンタイラー 文春文庫

久々に読みましたよアンタイラー。忘れていたことに気がつきました、彼女の小説は最初の一回目より2度3度と読む方が面白いということを。

前回読んだとき、「パッチワークプラネット」や「もしかして聖人」にくらべると、普通の出来だと思っていたが、再読してみて大間違い、ラストシーンまで一気にそして最後には涙ぐみながら読んでしまいました。

本当にせつないお話です。夫婦になること、家族になることの難しさが恐ろしいくらいに語られています。

一行日記:今日は新橋でとある工業会の新年パーティ、某業種の大手から中小までのトップの方々に色々とためになるお話を聞く。私はホリエモンの拝金主義には否定的な立場なので、中小企業で汗水たらして会社を守って人生を重ねてきた人たちの姿に学ぶところが沢山あります。

| | コメント (0)

2005年9月26日 (月)

もしかして聖人

著者アンタイラー 文芸春秋

2度目の読了がもう直ぐ。。しつこいようですが、アンタイラーの小説は読むたびに考えることが増えていく小説です。。

でも、この小説で一番好きなシーンは前回と同じ、主人公イアンの母ビーがリューマチでほとんど身障者になってしまったとき、父ダグは教会へ行くときに、できるだけきちんとした身なりをしたというシーンです。父のダグは妻がだらしないと思われないように身なりに気を使ったのです。。なんと美しい話なんだろうと毎回一番好きなシーン(でも、ダグは家ではほとんど家事能力がゼロで、体の良くない妻の家事を殆ど手伝えなかったんですけどね。。)

子供の頃、小学校の先生になりたかったのですが、最近、この本を生徒に読ませて感想文をかいてもらったり、生徒同士で討論してもらったらどんな意見がでるのだろうと、夢見てしまうことまで。。(お色気シーンもあるから推薦図書になることはないのでしょうか?いまどきの小学校ではセーフかしら?)

一行日記:3連休に絵付け体験なるものをしました。楽しい~、本格的にならいたいとは思うものも。。ピアノの練習もまともにこなしてないのに、これ以上習い事をふやすのもどうかと。。とはいえ人生の時間は限られているからやりたいことの後回しはいかんとも思うのですが。。それにつけてもお金と時間が足りない~!!世の中の人はどう帳尻を合わせているのでしょうか?

| | コメント (0)

2005年7月29日 (金)

The Tin Can Tree

著者 ANNE TYLER VINTAGE UK Random House

漸く読了。

翻訳で読むと楽しめる、彼女の細かい状況の描写が、原書で読むと、つらい。。ピザを食べるだけの話でなぜ4ページも。。。といった感じで。まだまだ英語脳になっておらず、ピザを食べながらでも、妹を失った兄の心境をその行間から読み取れるほどにおよべなかったのだろうと思うのですが。(アンタイラーの面白さは、読み返すほどに増していくので、再読必至)

一行日記:今日は電動車椅子の酒豪M兄と、やはり関西弁の酒豪M姉さんと3人で、六本木プリンスのビアガーデンで飲み倒す。本当にこの二人と飲むのは毎回とてつもなく楽しい。プールサイドのビアガーデンは非バリアフリー。階段が6段くらいあるのですが、従業員や周りのお客さんが親切にも6人がかりで車椅子を持ち上げてくれました。建物のバリアフリーより、人の心のバリアフリーが大切だってよーーーくわかりました。

| | コメント (0)

2005年6月25日 (土)

ここはホームシックレストラン

著者アンタイラー 文藝春秋

2度目の読了、読むたびに、深く印象が異なるアンタイラーの小説。ふたりの兄弟コーディーとエズラ、正反対の二人、小説だから正反対ですが、実際は、両方の人格を誰でもが持っているというのが普通なのでは?

それにしても、アンタイラーファンに一度も会っていない、キムタクが好きとか、ジャニーズが好きとかヨン様が好きという人にはよく出くわすのに、なぜだ~っと叫びたいくらい、日本人で、アンタイラーが好きという人に実際に会って見たいと思う今日この頃。

一行日誌:今日はこれから軽井沢一泊に行ってまいります。

| | コメント (0)

2005年6月 1日 (水)

ここはホームシックレストラン

著者 アンタイラー 文春文庫

ニックホーンビィーに薦められて、初めて手にしたアンタイラー本。この本を読んだ後、しばらくアンタイラー熱を発病してしまいました。

ある日家族を残して家を出た夫を待ち続けながら3人の子供を育て上げた風変わりな母親と性格の違う3人の子供たちの人生。下の息子が経営する「ホームシックレストラン」が舞台となる、悲しく切ない物語。

それにしても、アンタイラーの小説の主人公で、子供が一人もいない主人公は殆どいないです。

「もしかして聖人」のご近所のジョーダン夫人、中近東からの留学生向けの下宿屋を営んでいる老婦人、「あのころ私は大人だった」の主人公レベッカの弟のゼブ、死んだ夫の代わりにながいこと友人でいてくれる。くらいでしょうか?小説の舞台がそういう宗教の土地なのか不明ですが、子だくさんの家族が頻出します。

また、アンタイラーの小説には、大人になった大人と大人になっていない子供が登場して、大人になった大人はまず悩まず、自信を持って生きている(悩むとしても、会社の経営状況が悪い、株が下がった、生活費、子供が病気、不良になった、親の介護など大人の悩み)。大人になっていない大人は(もう、とにかく無数の小さい悩みが満載)本当に深刻です。

日本ではアンタイラーの小説はあまりヒットしていないようですが、アメリカでは超ベストセラー作家ということは、大人になれない大人は、アメリカの方が多いのでしょうか?

| | コメント (0)

2005年5月27日 (金)

結婚のアマチュア

著者 アンタイラー 文春文庫

読み終わりました。。パールハーバーから現代までの約60年間の男女(夫婦?)の歴史を描いた作品。

最近思うのですが、アンタイラーも唯幻主義者なのではないか、ということです。この世の全ては幻で、自分の信じている幻が自分の世界の全てなのだという。

だからお金のある人生は幸せだという幻想をもっているひとは、お金がない人生は考えられない。愛のある人生は幸せだと思っているひとは、愛のない人生は考えられない。人間の基盤はやはり家族だという幻想の持ち主は家族を大切にするし、人間の基盤は地位や名誉だという人は家族もかえりみずに働いたり、人を踏み台にしたりしても平気だろうし。。テレビゲームさえあれば何もいらないという引きこもり系の幻想の持ち主もいるだろうし。。

生まれてから、どの時点で、人間は自分独自の幻想を見つけるのでしょうか?(もちろん多くの人は親や社会や国家の持っている幻想を幻想とは気がつかずにそのまま引き継ぐんですが。。あるとき、親の幻想に違和感が。。とか国の首相の幻想に違和感が。。とか。。ちがうじぶん独自の幻想をもちはじめるわけです)

この小説にでてくる、マイケルとポーリーンは、どちらも自分の幻想にしがみついて、相手の幻想を理解しようとしなかった悲劇的な二人です。

動物と違い、人間は本能が壊れてしまっているから、恋をすることも、出産や子育ても、国を愛して、生産していくことも、それが大切なことなんだという幻想を抱かなければ、国は滅び、最後には人類が滅びてしまう。だから幻想は必要なんだというのは、岸田秀の論理だったかな?

というわけで、マイケルとポーリーンのようにかけ離れた幻想をもった二人が一緒に暮らしはじめると、悲惨なんですね。しかたなく相手の幻想を自分も抱くようにシフトするか、同じ幻想を持っている人を探すか、が必要って訳です。この小説の最後で、マイケルはポーリーンの幻想が、自分が意地になって大切に守っていた幻想とどれだけ違ったのだろうかと思いめぐらします、いや同じだったのだろうか、ひょっとしてポーリーンの幻想の方が好きだったのかもって思うわけですよ。それにしても60年もかかるなんて。。。

人類がこの世に誕生して以来、自分の幻想を押しつけあうという、悲惨な歴史を送っり続けていますが、もしも人類が最後の時を迎えたときに、なんであんなに争ってたんだろう。。?ってよくわからなくなるのかなぁなんてことまで考えてしまいました。。それも地球の歴史に最初からプログラミングされてるのかもしれませんが。。アンタイラーおそるべし。。

一行日記;今日は会社のプロジェクトの打ち上げで人形町で飲み会。プロジェクトには最後に参画したのですが、飲み会とあらばとりあえず出席。人数多すぎで対岸の人間の顔見えず。。。

| | コメント (0)

2005年5月16日 (月)

あのころ私は大人だった

著者 アンタイラー 文春文庫

2回目、読み終わりました、彼女の小説は、年月の経過が長い上、登場人物が多いので、面白かった~、と思っても、読んだ話のあらすじを誰かに伝えようと思っても、もう殆ど忘れているということが多いのですが、その通り、2回目なのに、はじめて読んだように面白く最後まで一気に読んでしまいました。

1回目よりも、一字一句を噛みしめて、文章の意味をより理解しようと丁寧に読みました。

何度も言うように、アンタイラーの小説に出てくる主人公はいつも自分とはまったくちがうのに(主人公のレベッカはすでに50代後半、3人の義理の娘と1人の実の娘、その大勢の孫、その娘たちの夫や元夫や、実母と叔母、死んだ夫の弟と叔父(百歳)などに、頼られて、悩みを聞いて、世話をしている。)その主人公の気持ちや考え方が理解でき、この主人公は私は同じだと思ってしまう。

最愛の夫は、突然に死んでしまう。深い悲しみに沈むまもなく、娘の悩みや、孫たちが巻き起こす騒ぎ、年老いた義理の叔父の体の不調などに巻き込まれて人生30年がすぎてしまった。確かに大切でいつも心にかけているレベッカでも時には苛々させられる。そんなものはどうでもいいことだと思ってしまうこともある。なんてすごく解ります。(人生それほどキレイごとばかりですませられないものだって。)

アンタイラーの面白さは、人生に何が大切なのかを、考える機会を与えてくれる、そしてなんとなく不安でいた心を結局は安心させてくれるそんな小説なんです。

3回目に読んだときは、何を感じるか、楽しみな小説であります。

一行日記:今日は叔母と念願のヨーヨーマのチェロを聴きにサントリーホールにへ、曲目はバッハの無伴奏ソナタ、本気で感動。コンサート後はアークヒルズで食事、叔母とゆっくり会うのも久しぶり。

| | コメント (0)

2005年5月13日 (金)

結婚のアマチュア

著者 アンタイラー 文春文庫

昨日地下鉄の中吊り広告で、5月の新作にアンタイラーの名前が。。久々の新作、早速銀座のブックファーストで購入。平積みでした「よし、えらいぞ、ブックファースト」。

「結婚のアマチュア?」「結婚のプロフェッショナル?」

タイトルからして期待度高し。来週一杯は楽しめそうです。

一行日記:小学生時代からの友人Tと銀座でしゃぶしゃぶ、そのあとアイリッシュパブで、また飲む。まさに気兼ねない女同士の取り留めのない会話で非常に楽しむ。

| | コメント (0)

2005年5月 4日 (水)

ソングブック

著者 ニックホーンビィ 新潮文庫

そもそもアンタイラー狂になったきっかけの一冊。

「パッチワックプラネット」のバーナビィに共感したと以前書きましたが、今日この本を読み返していて、彼もアンタイラーの「ここがホームシックレストラン」について

「ぼくはこの本の登場人物ではない、著者ともまるっきりちがう。彼女が書いたことは実際に体験したこともない、なのにぼくが感じていることと全く同じだ。もしぼくに声がみつかったらぼくの声はこんなふうに響くだろう」と述べていました。

そうなんです、まさにその通り。

この本がなかったらアンタイラーの本にめぐりあわなかっただろうという記念すべき(?)一冊。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年4月20日 (水)

もしかして聖人

著者:アンタイラー 文藝春秋(廃刊)

プログのURLにも使用したsaint maybeの日本語訳が「もしかして聖人」です。

日本語版が手に入らなかったので、最初は英語版のペーパーバックを入手しましたがすぐに挫折して図書館日本語版を借りて読みました。

過去に読んだ小説の中でもかなり脳に刺激を受けた作品です。小説を読んでここまで人に薦めたくなった小説はあったかなぁという作品です。この作品は主人公のイアンが三輪車に乗っている子供時代から40歳を超えて自分の子供を持つまでの長い長い歴史に、読み終わったあと精神的にも肉体的にもどっと疲れました。

(あらすじ)絵に描いたような理想的な幸せ一家が、家族の一員を失う悲しみに囚われてしまう。主人公のイアンは兄ダニーの死を自分の責任だと考え贖罪の人生を歩みはじめる。以前のような明るさを家族は再び取り戻せすことは出来ないのではないか。読者自身にも起こりうる悲しみに30年以上もの年月をかけてこの物語は答えを出している。

--ので読み終わった後、40年を数日間で生きたようなそんな疲労感を味わえます。

一行日記:福岡で大きな地震が頻発、福岡在住の友人に安否を聞いたところ無事と知り安心。

| | コメント (0)

2005年4月17日 (日)

あのころ私は大人だった

著者 アンタイラー 文藝文庫

60歳になってから、いまの自分はなりたかった本当の自分ではないと気がついて、スタートからやりなおすことが可能だろうか??

人生、いくつになってもやり直しがきくんだなんて言う人もいますが、それはありえません。

もう一度これまでと違う人生を歩きたくてもどんなに努力しても無理なこともある。だったら今の自分を受け入れることが正しいのでしょうか?

とにかく、読後にはとても安らかな気持ちになりました。

一行日記:来月結婚が決まった友人Nと下北沢で昼間から飲む。虎屋の紅白ホールインワン最中でとりあえず祝う。彼はなんと英会話学校で知り合ったオーストラリア人講師と国際結婚。全く英語がしゃべれなかった彼が、猛勉強していたのはそういう訳が。。おしあわせに。

| | コメント (0)

2005年4月16日 (土)

パッチワークプラネット

著者:アンタイラー 文春文庫

本屋に売っていないので、Amazonで中古本を入手しましたが2回読み直した段階で、本がばらばらに分解しました。

文中にある「歳は取りたくないものだ。。」というくだりが怖ろしい。。「威厳のある顔がある日粒子が溶け出したように心もとない顔になっていく。。」、美しく、聡明だった祖母が、徐々に痴呆の症状を示し筋肉の老化で入れ歯も使えなくなり、溺愛していた筈の孫の名前も顔もわからなくなる。そんな体験をしているので、切実でした。

「50歳のころはよかった、60歳もよかった、65歳のころもまぁよくやっていた、しかし。。。」なんて余りにも具体的です。

主人公のバーナビーの人生が自分にオーバーラップするのは何故でしょうか?(少年時代に警察に逮捕もされていないし、親に借金もないし、離婚もしていないし、離れて暮らす娘もいないのですが。。)なのになぜかバーナビーに共感させられてしまいます。

なによりも感動したセリフは

”ふさわしい相手と結婚したかなんて関係ないのだ。。半世紀を彼女と過ごし彼女を自分のことのように、それ以上に知るようになる。そうやって彼女は自分にふさわしい人に「なる」のだ。あるいはかけがえのない人に。。”結婚式のスピーチに使えそうで使えないいい言葉です。。

一行日記:母親を連れて那須日帰り。千本松牧場(桜満開)⇒日帰り温泉⇒お菓子と花の城で土産を購入⇒佐野インターで餃子を買い、東京駅のバスターミナルで母親を見送る。親孝行チックな一日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年3月25日 (金)

偶然の旅行者

著者:アンタイラー 早川書房

アンタイラーに夢中です。(しかし、彼女の著作は非常に少ない上に、日本語版が少なく、さらに廃刊になっていたりと、アンタイラーファンは日本では虐げられています)

ちなみに「Accidental Tourist-偶然の旅行者」はアカデミー賞も受賞しているので映画も観てみましたが、怒りを覚えるほど原作を無視していました。よく原作者が訴えなかったものだと思います。。

主人公のメイコンおよびメイコンの兄弟は度のすぎた几帳面でひょっとして血液型はA型?と思われるため、メイコン一家には全く感情移入できなかったのですが。アルファベット順に本や缶詰を並べ替え、なにもかも整然としていなければ気がすまない、そんな気質(才能?)にはある種の憧れは抱きます。性格が正反対のミュリエルと付き合い始めるのはお互いに無いものを補うという所謂(割れ鍋にとじ蓋)なのでしょうか?アンタイラーのその他の小説に比べると、特に全体的に暗く重たい小説でした。

一行日記:今日はハワイ在住のカメラマンK氏が久々に来日するということで、古い仲間が一同に会して新宿で飲む。最近の英語力の衰えは認識していたが、本当に旨くしゃべれず。「英語もっとガンバッテー」と日本語で励まされてしまいました。。情けない。。しかし、10年ぶりの面々もいたのですが、ホント皆さん変わらずに素敵に大人になっていました。

| | コメント (0)