カテゴリー「アンタイラー」の記事

2015年8月17日 (月)

THE BEGINNER'S GOODBYE

著者アンタイラー 

アンタイラーの最新作。原書で読了。
前回の「Digging to America」は読了に8年間もかかりましたが、今回はわりとスムースに読み終えました。といってもページ数もだいぶ少ないのですが。
自宅の庭の木がサンポーチに倒れてきて、その下敷きというか、ソニーのトリニトロン、重量級テレビの直撃のため妻のリンダを失ったアローン。
冒頭で死んだリンダが生き返り、近所を挨拶して回るような話だったため、リンダはどうして生き返ったのか、という興味で読み進んでいたのですが、物語の後半で、リンダは幻影としてアーロンの目にしか映らずに現れるということがわかります。
このままどうなるのだろうと思い読んでいると、生前のリンダとアーロンは完全に自立した夫婦。リンダはおしゃれも興味がなくフクロウのような見た目。料理もゼロレベルで一切しない。医者として忙しい毎日で、アローンが作った料理も、メールを読みながら食べ、感想もおざなり。思いやりや気遣いがない夫婦のように思われていたふたりでしたが、そんなリンダが、死後、アーロンが働くビギナー向けの書籍を売る会社の同僚ペギーの作ったクッキーをパクパクたべた夫の前にあらわれて、「あなたわたしにクッキーを焼いてほしいと思っているなんて言ったことなかったじゃないの!」と怒るのです。
出張で家を空けるけれど、もしよかったらあなたも一緒に行きましょうというリンダに、大丈夫だよと答えた自分。結婚式の前に「もしあなたが白いウェディングドレスやレースのベールやブーケを望んでいるのなら私は構わないわよ」とリンダがいうのに。「僕たちはそういうタイプじゃないじゃないか」といった自分に、リンダは、「そうよ、その通りだわ」と答えたことなどを思い出す。アーロンは心を痛めるのです。リンダは不器用ながら、アーロンはリンダに深く愛されていたことを実感して悲しむのです。この出来事のあと、リンダは再びアーロンの前に現れることはなくなりました。
画面が急展開し、突如アーロンの子供が登場します、なんと再婚したの!なぬ~!
そういう展開、そんなまさか相手はペギーなの?クッキーのペギーなの?リンダと正反対の料理やおしゃれが好きなペギーなの?とその展開はちょっと嫌かもと思いましたが、思った通りペギーでした。
この展開は「偶然の旅行者」的ですね。
アンタイラーの主人公は必ずパートナーと離婚するか、死別するか、いつまでも幸せでしたというカップルは「フリージングレッスン」以外あったでしょうか。
とはいえ、つたない英語力での読了でしたので、アンタイラーの伝えたかったことを完全に把握できたとはとても思えません。
是非とも翻訳版で読んでみたいです。いつもアンタイラーの翻訳をてがけておられる中野恵津子さまに、是非よろしくお願いしたいと思います。

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2015年2月 3日 (火)

ここがホームシックレストラン

著者 アンタイラー 文春文庫

また読んでしまいました。初めて本書を読んでから何度目でしょうか、2005年にこのブログを書き始めてからでも7回目、ほぼ、年一回は読んでいる本書、またも読み終わった後に、なんともいえない感慨、暖かさを感じました。
小説の中で登場人物はたちはどんどん年をとっていきますが、自分も同じように歳をとってゆきます、最初は年上だった登場人物たちが少しずつ自分より年下になってゆく感慨。
母親の臨終の話も、読み始めたときは、自分の母親にはまだ遠い出来事だったのに、今では、あと何年母親と過ごせるのだろうと考えることのほうが増えてきた。
毎回毎回新しい気づきを感じさせる一冊なのです。
今回、また新しく気が付いた会話がありました。
エズラのレストランに来た醤油の営業マンが語ったセリフです。醤油は放射能に解毒作用があるというのです。
核物質の事故とか!原爆とか!ちょっと調べればわかります。ヒロシマの住民に、予想されたほど副作用が起こらなかったのは、なぜだと思います?日本人が醤油を使ってたからですよ。昔からある、あっさりしたソースなんです。一ケース買いおきしておけば、スリーマイル島の事故がおきても安心です

当時の醤油のセールスマンがヒロシマの被曝者を利用して本当にこうのような営業をしていたとしたら許しがたいですが、まぁ、ぶっちゃけしていたのでしょう。

ところで、スリーマイル事故、アンタイラーが予言したのかと思ったのですが、この時のエズラが46歳ということは、設定は1980年、スリーマイル事故は1979年ですから、もう事故は起きているということですよね。本書の出版は82年、なんともタイムリーネタが本書には描かれていたのです。(このセールスマンは、スリーマイル島の事故が(また)おきても安心です、とセールスしてたのかなと思いました)。
何度読んでも、新鮮な驚きがある、アンタイラーの魅力。。きっとまた、何度も繰り返し読んでしまうのでしょう。

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2014年4月 9日 (水)

DIGGING To AMERICA

著者 アンタイラー VINTAGE BOOKS

翻訳されていないため、原書を2006年6月9日に購入してから、なんと8年の歳月をかけて読了しました。(最初購入したのはハードカバーだったのですが、重くてますます読み進めないので、ペーパーバックを再購入して)、それにしても、どれだけかかってるの~約8年もかかっています。しかし、われながら、よく読んだ。全部で329ページ、週に1、2ページのペースで読んだってことでしょうか?途中1年近く放置し、最近ラストに差し掛かってきたので、毎日1、2ページ、そしてようやく読み終えました。
アンタイラーは第一回目に読んだ時には、ストーリーとか、伝えたいことがぴんと来ないものなので、今回も、あらすじが大体分ったような気になっただけですが、、
イラン革命でアメリカへ亡命してきたイラン人の女性、主人公のMaryam(マーヤムと読むのでしょうか?)Yazdan一家と、ドナルドソン一家は、物語の冒頭でボルチモアの空港で出会います。
Maryamの息子夫婦と、ドナルドソン夫婦はともに子供に恵まれず、それぞれ韓国からスーザンとJin-Hoという養女をもらいます。(面白いことに、イラン人一家は娘にアメリカ的な名前を付けて、アメリカ人一家は、娘に異国風の名前を付けます)子供たちの出迎えにふたつの一家が偶然めぐりあい、それから、子供たちの成長する長い年月、二つの家庭の交流を描いています。
かたやイランに実家のある、伝統的な中近東の風習をもつ家庭。かたや、生粋のヤンキー一家です。お互いにまったく違う風俗を勉強?感慨?違和感?などなどを持ちながらも、暖かく交流していきます。
数多くのパーティ、パーティ、パーティです。パーティは交互にYazdan家とドナルドソン家で行われます。
途中で主人公のMaryamとドナルドソン夫妻の父親のデイブのロマンス?などもありますが、英語があまり得意ではない私には、どれだけパーティーシーンを読まされるのだろうと思いました。その中でも読んでいて一番おもしろかったのは、ドナルドソン家の二番目の養女XiuMeiのおしゃぶりさよならパーティです。おしゃぶりが手放せない娘に本当におしゃぶりと決断させるために、家じゅうのおしゃぶりに風船をつけて、空に放つというパーティです。
冒頭の部分などは、8年近く前に読んでいるのですから、物語全体の感想といえるのかどうかわかりませんが、こんどこそ、もう一度集中して、短期間に読み返してみたいものです。
というよりも、ぜひとも翻訳家の方に日本語に翻訳していただきたいものです。

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2014年3月17日 (月)

あのころ、私たちはおとなだった

著者 アンタイラー 文春文庫

何度読み返したかわからないほど読み返した本書。歳を重ね、主人公のレベッカに歳が一歩ずつ近づいて来るにつれ、同じ物語なのに、読んでいると、どんどん物悲しくなってきます。

愛する人との別れ、なじみの人との別れ、祖父母の笑顔、今では失ってしまった街の風景、可愛がっていた犬の毛触り、大切な大切な遠い思い出のはずなのに、はっきりと情景が思い浮ばない歯痒さ、、人生が飛び過ぎてゆく感覚。
昔は大事だと思っていたことが今ではそれ程重要ではないとわかる感覚、、なぜあのころ、そこまで主調する必要があったのだろうと思うつまらない出来事。。
たとえば、もっと祖父母との時間を大切に使えばよかったのに、友人との約束を優先させてしまったり、友人の話をじっくり聞くべき時に仕事を優先させてしまったり、いろいろなことで時間の使い方を間違ってしまったと、もうなんの役にも立たない後悔をしてしまうことになるとは、、

ただ、本書は救いがあるのです、悲しいレベッカが最後に人生を楽しんできたことに気がつくのです。うまくいかないこともあるけど、うんざりすることもあるけれど、そのところどころに、人生の楽しみがあったことに。。

本書には書かれてはいないのですが、この本を読んでいて強く思ったことは、人ひとりの人生は星の瞬きよりも短い、ぱちっとまばたきしている間に終わってしまう。

やがて、この世の誰もが覚えていないことになる自分の一生を、悲しみで満たすより、溢れるばかりの愛だけで満たしたいな、そんなことでした。

アンタイラーの小説の登場人物の中では、レベッカの聡明さが一番好きかもしれません。

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2014年1月21日 (火)

パッチワークプラネット

著者 アンタイラー 文春文庫

このブログで、はじめてパッチワークプラネットの感想を書いたのは2005年の4月でしたので、そろそろ10年近くの月日が過ぎてしまい。本書に書かれている「老い」のリアルさをさらに実感するお年頃となってまいりました。
先日わざわざ図書館で閉架になっているボーヴォワールの著作「老い」をひっぱりだして読んだのですが、「老い」を観察し、学術的にレポートしてあるだけで、知ってることだネェという印象がおおかったのですが、(日本の楢山節考の姥捨てまでレポートしてあって面白いことは面白かったのですが)、この「パッチワークプラネットは」ボーブォワールの「老い」よりも、よっぽど有益な「老い方読本」だと思いました。

老い=高齢、ではなく、老い=誰かの役に立っているかどうか。という側面が古今東西の老いの認識だったのかなぁと思いました。
しかしですよ、、誰かの役に立っているかということでしたら、愛する奥さんや夫を持っている人にとっては、もうそれだけで誰かの役に立っている老人ということで、もう問題ないと思うのですが、もう、家族も、友人もおらず、この世から存在しなくなっても、たとえば他人でも、ヘルパーさんなり、介護や福祉の人や、商店街の八百屋さんでも、だれでもいいけれど、全く愛されてもいない、ほんとうに必要とされていない老人についての存在意義についてとても考えさせられてしまいました。
本書に登場するバーナビーはお年寄りの世話をしているのですが、世話をしている他人のお年寄りのことを優しい気持ちで思いやってあげていて、やはり亡くなってしまったら悲しんでいてくれているので、年取ったら、親切にしてくれる人を大切にしようとつくづくおもってしまったりしました。
以前にも書きましたが、本書の老いの描写はリアルすぎです。折りしも、昨日、実の父親、義理の父親両方がそれぞれ入院しまして、しかも義父は現在予断を許さない状態と言われており、命のあっけなさに呆然としはじめております。

わたしの知り合いには多くの元気なご高齢者がいるのですが、元気なうちは老人ではないなと、つくづいく思います。

おなじ80歳でも生活の質が全く違うように見えるのです。元気で好奇心が旺盛で、知性も理性お品格もある高齢者と、よぼよぼで、食欲だけに貪欲で、それ以外に、どのような意欲も、哲学もない、一日中、ご飯を食べる以外はうつらうつらとして、まるで赤ちゃんのようになってしまった高齢者では、まったく別の生き物のようだと思ったりもしました。そんな状態で日々を生きていて、意味があるのかなと、かつて思ってしまったこともありました。
しかし、食欲までなくなって、まさに現在老いの深みにいる義父の姿をみて回復を強く願うようになりました。老いたと表現するしかない義父は十分に家族に必要とされているのだとつくづく感じてしまいました。そして、もうひとつ病院で頑張っている多くのお年寄りの姿をみて思ったのですが、たとえ、この世の誰からも必要とされておらず、役にたっていない、老いのただ中にいるとしても、自分がこの世に存在することを必要としており、自分が自分に役に立っているのなら、きっとそのような状態でも日々生きている意味はどこかにあるのではないかと思うようにこの数日の義不の闘病の姿を見て、かなり意識が変化しました。


このパッチワークプラネットを見ると、老いない高齢者は特別運のよい場合以外はありえない、最終的に、病院ベッドの上で点滴につながれる将来が待っているのだというのです。たしかに、これまで見てきた祖父母や病身の父親などを見ると、その通りなのかもしれないとも思えてしまいますが、全ての高齢者に老いが必ず訪れるということではないのかもしれないと、期待をもしてしまいます。

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2013年2月 4日 (月)

ここがホームシックレストラン

著者 アンタイラー 文春文庫

何度読み返したか分からないほど読んでいる本書ですが、またも夢中になって読んでしまいました。

そして、今回、ふと気がついたのですが、わたしは、この本を何度も読むといつかストーリーが変わっていて、ベックは家を出ず、パールは年を取るとともに、性格が丸く温厚になり、コーディが憧れたような社交的な気のいい母親になり、エズラはルースと結婚し、ジェニーはやさしい父親の膝に抱かれた子供時代を過ごす、、そんなストーリーに変わっているのではないかと、何度も何度も読んでしまうのかもしれない、そんなことが頭をよぎりました。
もちろん、何度読んでもストーリーは変わりはしないのですが。。。

ところで、今回再読して、エズラの生年月日が分かりました。
1933年12月27日です。(昭和8年?)なんとエズラは自分の父親より年上だったのか、と思うと、かなりショックです、、童顔のあどけなさの残る頼りない少年というイメージがずっと残っているのですが、もし今も生きているとしたら、80歳じゃないですか!
もちろん、本書でも、エズラは朝鮮戦争に従軍しているのですから、そりゃそうなのでしょうが、、なんど読んでも、お母さん子の純真なエズラのイメージしかありません。
このストーリーでは、46歳のエズラでストーリーは終わってしまっていて、彼がその後どうなってしまったのか、知るすべもありませんが、「もしかして聖人」にホームシックレストランが登場していたので、その年代が1979年以降のずっとあとだったのか、今になって気になります、、もういちど「もしかして聖人」も読んでみなくては。。

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2011年9月 9日 (金)

ノアの羅針盤

著者 アンタイラー 河出書房

待ちに待ちに待ったアンタイラーの新作、今週前半に一度読み終わり、また続けてもう一度読みました。。

そして、2回目に読んでるでいる最中に電車乗り過ごしやりました。。やはり、なんとも、深く面白かったです。
老いに対する心構え、、?かなり哲学的な内容だったと思います。

人間、、40歳?50歳くらいになると、特に60歳くらいになると、自分の人生は失敗だったのか、うまく成功したのか、、考える時期になるのかもしれません。。

でも、その成功も、、人それぞれです

、、社会的な地位の高さや、金銭的や物質的な豊かさをもつ人のことを成功者というのか。

、、家族にも、友人にも、人々に分け隔てなく深い思いやりを持ち、尊敬され、多くの人に囲まれた、精神的な豊かさをもつ徳を持った人のことを成功者というのか。

、、または、真の成功者は、この両方を持ち合わせている人だけなのか、

そして、、、このどちらも持ち合わせていない人びとを果たして失敗者と呼ぶのでしょうか。。

愛する家族もおらず、語り合える友人もおらず、金銭面での生活もかなりおぼつかず、いつも不安で、しかも、心を癒す趣味も楽しみもなく、、でも、少なくてもとても健康で、いまのところ、誰の迷惑もかけていない、、だけでも、かなりの成功者と考えてもよいのかもしれません。。

それでは、、さらに上記に加え健康すら持ち合わせていないひとは、失敗者なのかというと、この全ての困難を受け入れて、ゼイゼイと喘ぎながらもふんばってなんとか生きているだけでも、すごいよ、やはり成功者なんじゃないのでしょうか、、??

本書の主人公のリーアムは、、60歳になって、避け続け、眼を背けて向かい合わないようにしてきた、過去の様々な辛い出来事を次々と思い出してゆきます、、若くして亡くした最初の妻をどれだけ愛していたかとか、、二度目の離婚された妻がどれだけ心優しく愛情にあふれていたか、、とか、、、、父親が家族を捨てて出て行ったときの気持ちととか、、頼りにされていたのに、母親を置いて遠くの大学にいってしまったこととか、、、何もかも、ちゃんとに向き合わなかったことのツケのようなものが、この年になって、一気に溢れてくるのです、、

でも、60歳になったから、ツケを払えないということはない、、気がつけばツケは払えるのだと思います。。

少なくてもリーアムは、この年になってから、いろいろなことに向き合う決心をしたように思えます。。なんとも、読後が爽やかな、、それでもなんといっても、、切ない、、そんな、ストーリーでした。

まだ、読み足りない、もういちど、読み直してみたいと思います。


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2010年5月12日 (水)

ここがホームシック・レストラン

著者 アンタイラー 文春文庫

何度も何度も読んだ小説なのに、再読するたびに、新しい小説を読んでいるように思えてしまうそんな小説がこの小説です。

おもえば、わたしは一年のうちで、4月から6月が特に精神的に落ち込むようで、きっと、4月といえば何かが始まったり、誰かと出会ったりする季節、そして、なにかを始めたり、誰かと出会ったり、そしてなにひとつ実らなかったり、その出会いがいつか悲しい別れになったりという、過去のさまざまな記憶が押し寄せる、そして、おちこんだ気分が回復するには夏ごろまでかかるのかもしれません。。(そういえば、ことしも中国語をはじめたなぁ、これも数年後に、悲しい記憶になるのでしょうか。鬱)

そんな沈みきった精神状態の最中に読むと、ますます、作品に描かれている言葉一つ一つが意味ふかく心に響いてきてしまうのです。

エズラがレストランの経営のことで、オーナーからアドバイスされた言葉。

人生は次から次へと、壊れそうなものにつっかい棒をしていく連続なんだって。

とか、読んでいて、前とはちがうほんの数行が心に染み渡ってしまうのです。

この時期に再読して、正解でした。

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2009年10月 8日 (木)

ここがホームシックレストラン

著者 アンタイラー 文春文庫

このブログを書き始めた2005年からで、今回4度目の読了。もっと読んでいるつもりだったのですが、やはり何度読んでも、ストーリーにぐんぐんと引き込まれてしまう作品です。

読んでいて、必ず心に響くセリフは、3人兄弟の真ん中エズラのこのセリフです。

「僕の悩みは、人とどう付き合っていいかわからないことなんだけど」

「近づきすぎると、限度をわきまえないって言われそうで。押しつけがましいとか、情緒的だとか。。。でも、後ろに下がってれば、無関心なやつだと思われるだろうし、とにかく、僕ほかのみんなが知ってるルールを習いそこねたんじゃないかって気がするんだ。その日、ちょうど学校を休んだとかで。そのちょっとした境界線が、僕にはどうもわからない」

記憶に残る小学生時代から、自分も同様の悩みを抱えていて、友人との交際に関して、その日の自分の発言が友人を不快にさせなかったか、自分の行動で誰かが思慮が足りないと思ったのではないかと、不安になり、夜が眠れないことが何度もあり、それは今でもそうなのですが、そんな思いは誰でもするものだと思っていたのですが、以前会社の同僚数名でその話をしたところ、その数名がみんながみんな「悩み事で夜眠れなかったことなんて、人生で一度もない、目を閉じればすぐに朝までぐっすり眠れる」という話を聞いたときに、大きなショックを受けました。。一般的にはみんなそんなことで悩んだりしないのかと愕然としたのです。。

そんなわけで、エズラのこの話を聞いたとき、少なくても、アンタイラー本人か、または知っている誰かに、同じような悩みを抱えるひとがいるということ、アメリカにもいるんだったら、日本にもまだ自分と同様のそういう悩みを抱えているひとがいるはずだと、安心したものです。

何度読んでも、ストーリーに吸い込まれてしまうのは、登場人物に共感する部分が多々あるからなのかもしれません。

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2009年8月14日 (金)

結婚のアマチュア

著者 アンタイラー 文春文庫

なにやら、芸能界が麻薬汚染で大騒ぎで、元アイドルの容疑者は、まだ起訴もされていない容疑者の段階なのに、マスコミでは、世紀の極悪人のような取り扱いです。

本書に登場する主人公の長女リンディは、3歳の子供をかかえたシングルマザーでしたが、LSDやマリファナでラリッてぶっとんで、いかれてしまい、子供を階段から突き落として、宗教関係の施設に収容され、その後姿をくらまし、子供にも連絡を取らずに30年近く失踪してしまいます。。

約30年後に、コミューンで更生し、子持ちの高校教師の男性と結婚し、その子供たちを育てているうちに、、昔別れた実の息子に会いたくて会いたくてどうしてもたまらずに、息子の前に姿を現します。

このリンディはそもそも、精神的に不安定で未熟な両親の元で成長し、やがて反抗的な娘に成長し、家出をしてしまいます。薬物に手を出す理由として、そうした精神の不安定さ、心の弱さによる快楽への逃避などが考えられると思われます。

社会的責任があるにもかかわらず、自制が出来ずに薬に手をだしてしまうのは、凶悪な極悪非道の犯罪者というよりは、ケアが必要な病人だと思うのです、、にも関わらず、この国では、ほかの犯罪と同様にさらなる重罰化を検討しているようです。

そもそも、国内になぜ違法な薬物が蔓延しているのでしょうか?水際対策はどのようになっているのでしょうか?所持者や使用者を逮捕、拘束するのではなく、都内で取り締まりをして、その区から見つかったら、区の責任者を管理不行き届きで逮捕する、とか、都の責任者(つまり首長)が責任取って辞任して、懲役に服する、くらいの覚悟で撲滅運動を行ったほうがよいのではないでしょうか?

使用してしまった人は、バカと言われてそれで人生が終わりでは、永遠にイタチごっこな気がしてなりません。子供もいる、社会的に地位も、責任もある大人たちが、何度も違法な薬物に手を出してしまう、その精神状態や、背景を分析し、そして対策についても、もっと深く考えるべきだと思いました。

バカだ、自己責任だ、最低だと蔑むだけではなく、どうしてそういうことをしてしまったのか、どうしたら更生できるのかと、思いやる配慮がどうも最近のこの国には欠けている気がしてなりません。

これからは、友愛なんでしょ。他者配慮、他者に対する責任ということもこれからは大切にしていくべきなのではと感じました。

本人が認めているとはいえ、まだ起訴すらされていない、厳然たる容疑者の段階で小さな子供もいる人間を極悪非道の犯罪者扱いをするマスコミには誠にがっかりさせられます。

正義はどこにあるのでしょうか?

(今回はアンタイラー本の感想にかこつけて、マスコミ批判になってしまいました)。

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