カテゴリー「ディケンズ」の記事

2014年6月19日 (木)

チボー家の人々(エピローグ)

著者ロジェ・マルタン・デュ・ガール 白水Uブックス

ジャックがスイスの山中で悲惨な死を遂げてから四年後のチボー家周辺のその後が語られています。
この小説の主人公はジャックだとずっと思って読んでいたのですが、実はアントワーヌだったのです!
しかし、アントワーヌも、ドイツ軍の毒ガスで、呼吸器をやられ、健康からは程遠い体になってしまい、療養中の身となっていました。
美しく、この世の青春を謳歌していたダニエルも、爆弾で足を切断し、傷がもとで性的不能者になってしまい、そのことを悲観しています。今ではぶよぶよと太ってしまい、実家で毎日チューインガムをかみながらぶらぶらとその日をすごし、ジャックの遺児となったジェンニーの息子ジャンポールの子守をしてくらしているのです。
ジェンニーは、繊細な控え目な少女だった娘から、すっかり肝っ玉母さんになっています。
もうすぐ死ぬ身と悟っているのアントワーヌは、甥のジャンポールが私生児として育つ不便さを憂慮し、ジェンニーと形式上の結婚をして、ジャンポールを認知し、チボーの名を残したいと説得しますが、ジェンニーは頑として受け付けません。
それにしても!なんと戦争は前途ある若者たちの人生を台無しにしてしまったことか!
無暴力、平和を信じたジャックは、同国のフランス人、いつもなら動物も殺せない見知らん兵士に、頭を銃で撃たれて森のなかでさびしく命をおとします。
ダニエルは、足を切断したうえに、あんなに女たらしで、人生を謳歌していたのに、性的不能者になってしまいます。
そして、5巻目、診察の部では「人生は楽しいな」と常に努力し、人一倍働き、希望と未来に向かってすべての時間を費やしていたアントワーヌは、敵の毒ガスで肺を絶望的に痛めて、死ぬのを待つばかりになってしまい。
ジャックとダニエルのともだち、アントワーヌの浮気相手の夫、バタンクールは砲撃で両目を失明。
アントワーヌの師、フィリップ博士が手塩にかけて指導してきた優秀な医師6名のうち、3人は戦死、2人は不具者となり、アントワーヌも死にかけている。なんという損失。
アントワーヌは友人の外交官リュメルと、マキシムで会食をします。そこには、戦場に行く必要のない、政治家、高官、高級軍人などが、まるで戦争など存在しないかのように、戦前とまるで変わらぬ豪華な食事をしているのです、そこには、なんと日本人までいるのです!
アントワーヌはリュメルを許すことができません。
それにしても、死にゆくアントワーヌの日記はなんと物悲しいのでしょう。
37歳、まだまだやりたいことがたくさんあったアントワーヌの未来は突然崩れ去ってしまったのです。
ブルジョア趣味だった自分を恥じ、今なら、ジャックの主張を理解できる。父親のことも再評価します。チボー家の血、なんとしてでも自分が存在した証をこの世に残したかった父のこと。
そして、死にかけてみて、はじめて、ジャックの断固たる暴力否定、徹底的な平和主義は正しかったと。どんな大義名分があろうと暴力は悲惨だということがわかったのです。
また、青春をもっと大切に使わなかったことを後悔し、ジャックのように友達がいない自分を残念に思い。それでも、甥のジャンポールに、自分の失敗を教訓によりよい人生を歩んでほしいと願い、最後の体力を振り絞って、ジャンポールに生き方を語るアントワーヌ。こんな叔父がいたら!そんなことまで考えてしまいました。
アントワーヌが、おまえが25歳になったとき、この世は平和になったこの国で生活しているだろう、と書きます。しかし3歳のジャンポールの23年後、1918年の23年後、フランスはまた戦争に巻き込まれているのです、、なんと悲しいことでしょう。
アントワーヌは、最後に軍事介入したアメリカの大統領ウィルソンの提唱した国連の発想に感動したりします。。これも歴史を知る読者としたら、悲しみの一つにしか思えません。
自分の国がそもそも提唱して誕生した国連の命令をいつか聞かないアメリカという国が遠い未来に存在しているのです。
本書、13冊を読んで、チボー家とそれをとりまく人々と知り合いになってような錯覚に陥ります。
しかし、それとは逆に、本書のはしばしに、この物語は白人のためだけの平和の話だよ、有色人種は別だよ、というにおいを感じることもしばしばありました。ジェンニーがチボー家の親戚、半分アフリカ系ジゼールのことを、奴隷の血が、、などと発言するのを読んで、この言葉を聞いたら、ジャックはどう思うだろうと考えてしまいました。
実に、全篇にわたって、宮崎アニメなどでドラマ化してもよい小説なのではないでしょうか?
たぶん、アニメドラマ化したら、1完結するのに10年以上かかる小説かもしれませんが、それでも、後世のために、もしもアニメドラマ化されたら、とても大切な作品になるような気がするのですが、、、せめて1914夏以降の物語を、今、日本で戦争が必要だと声高に訴えている人たちに読んで欲しいと思ってしまいました。
圧倒的な大河物語だったと思います。どうでしょうか?高校時代に読んだら、また違う影響をうけたかもしれません。大して面白くない、偉そうなお説教ばかり、と読んでしまったでしょうか?アントワーヌがジャンポールにあてた日記で危惧しているのです、おまえがこれを読んだら、「くたばりぞこないの世迷言」と思うかもしれないと、、
まさについ先日、修学旅行の中学生が広島の原爆の語り部の老人に放ったセリフとなんと同じセリフなのです、、!アントワーヌは、広島のおじいさんより想像力があったのかもしれませんね。広島のおじいさんは今の中学生の理解力を高く評価しすぎていたのかもしれません。
それにしても、この本が、もはや忘れ去られている本、図書館の片隅で埃をかぶっている本というのは、なんとしてもやりきれないかぎりです。
是非とも、特に若い世代の人々に読んでもらいたい本なのです!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年12月27日 (金)

リトル・ドリット

著者 ディケンズ ちくま文庫

ディケンズの作品の中でも、かなり暗く、悲しい内容だったです。(最後にちょびっとの救いがありますが、ちょびっとね。。)
この物語ではわりと脇役扱いなのですが、わたしは登場人物の中では、ジョン・チヴァリーが一番好きです。物語一の好人物だと思います。幼馴染のリトル・ドリットへの恋が叶わずに失恋して絶望しているのに、しかも彼女が恋する相手アーサーとの仲をとりもとうとするのですから、もう、「愛と誠」に登場する、岩清水くんのようです(古いか?)。
あとは、リトル・ドリットの父親と叔父さんが、息を引き取るときの場面、こちらも泣きました。最後まで心にやすらぎを得ることができなかった可愛そうな父、ウィリアム。一緒に旅立つ弟フレデリック、この節を読んだ日から、ニ、三日はこの場面の影響で、かなり落ち込んでしまいました。
それにしても、登場人物の多い小説でした。
というわけで、のちのちの自分の覚書もかねて、とりあえず、登場人物書き出してみました。

主要な登場人物だけでも、、非常に多い、登場人物を書くだけで、なんだかあらすじになってしまうような。。

エミリー・ドリット(リトル・ドリット):主人公。マーシャルシー債務者監獄で生まれ育った心優しい娘。アーサー・クレナムを愛している。父が金持ちになっても、清貧の心を持ち続ける。
アーサー・クレナム:中国で長い間父親と商売をしていたが、父の死後、父の遺言の理由をつきことめようと、イギリスへ帰国する。クレナムの母の家でお針子をしているリトル・ドリットの暮らしを心配し援助する中年。ドリット一家が莫大な遺産の相続者だと調査する。のちに事業に失敗しマーシャルシー監獄に入り、その心労から病気になるが、リトル・ドリットに助けられる。
ウィリアム・ドリットリトル・ドリットの父で、長い監獄暮らしでで精神が不安定、のちに莫大な遺産を相続する。金持ちになってからも、心優しいリトル・ドリッドが労働者階級の心配をしたり、付き合おうとすることを禁じ、淑女にさせうと躍起になり、娘の心を傷つけたりする、ずっと心が落ち着かない。
フレデリック・ドリットウィリアムの弟でフルート奏者、心優しいがいつも落ち込んでいる。兄を愛し心配しているが、兄は弟を庇護していると思っている。
ファニー・ドリットリトル・ドリットの姉、踊子、世俗的で金持ちの生活にすぐ溶け込む
ディップ(エドワード・ドリット):リトル・ドリットの兄、リトル・ドリットがいろいろな仕事を探してくるが、いつも続かない。怠け者のごくつぶし。しかし妹のことは尊敬している。
ジョン・チヴァリー:リトル・ドリットに片思いをしている監獄の門番の息子、片思いがかなわず、リトル・ドリットがアーサーに恋していることに気がつくと、ふたりの仲をとりもとうと奔走する。
マギー:リトル・ドリットを「小さな母さん」と呼ぶ知恵遅れの女性、リトル・ドリットがなにかと世話を焼いてあげている。
ジェネラル夫人:ドリット家が遺産相続をして大金持ちになってからの娘達の教育係、リトル・ドリットの父ウィリアムが結婚を申し込もうと考えた相手。申し込む前にウィリアムは亡くなってしまう。
クレナム夫人:アーサーの母、足が悪く自室にひきこもっている。厳格でアーサーにも冷たい。なにか秘密を持っていると息子に疑われている。
ジェレマイア・フリントウィンチ:クレナム夫人の下男、妻に暴力をふるう。
アフェリー:ジェレマイアの妻、不思議な夢をみてばかりいる
ミーグルズ夫妻:アーサーとマルセイユの船で出会いその後、交際をする。善良な夫婦。
ペット(ガワワン夫人):ミーグルズ家の令嬢、アーサーがほのかに恋心をいだく。のちに貧乏画家のガワワン氏と両親の大反対を押して結婚
ターティコラム:ミーグルズ家に引き取られた孤児、自分は実の娘と差別されていると僻み、家出をする。
ガワワン氏:ペットの夫。自分に才能がないことに気がついていない画家。
マードル氏:大富豪。のちに詐欺がばれて追及される前に自殺。リトル・ドリットの父ウィリアムはこのマードル氏に騙され、全財産を投資していたため、ウィリアムの死後、ドリッド一家はまた貧乏に逆戻りしてしまう。
マードル夫人:豊乳の持ち主、社交界の花形、夫が亡くなっても社交界に居座り続ける。
スパークラー氏:マードル家の息子、すこし頭が足りないが、父親が権力があるあいだに官僚になれていたので、父の死後もなんとか生活ができた。ファニーを追まわし、のちにファニーと結婚。
ギャズビー氏:いつも優しそうにしているが、実は偽善者
フローラ(フィンチング夫人):アーサーの昔の恋人、アーサーの母親クレナム夫人に交際を引き裂かれた過去がある。中年になりおしゃべりな太ったおばさんになってアーサーがショックを受ける。フィンチング氏と結婚するも直ぐに未亡人になり、ギャズビー家に戻っている。
バンクス:ギャズビー氏に雇われている家賃の集金人、アーサーの味方だが、アーサーに投資をさせて破産させてしまう。
伯母のF夫人:フィンチング氏の伯母、頭がおかしくいつも意味不明なことをわめいている。
リゴー(ブランドワ):妻を殺した殺人者、マルセイユの監獄に入っていた。ガワワン氏にとりいったり、クレナム夫人の秘密を探ってゆすろうとする。
ウェイド嬢:、アーサー、ミーグルズ夫妻の旅の途中にマルセイユで知りある。過去に心の傷があり、ひねくれ、憎しみを抱えた女性、家でをしたターティコラムを引き取り、の心の闇を利用して操る
カヴァレット:マルセイユ監獄でリゴーと同室だった小男、ロンドンで行き倒れているところをアーサーに助けられて、アーサーのために働く。
ダニエル・ドイス:アーサーの会社の共同経営者
他にもいろいろな人物が登場します。
それにしても、どうしてこのように面白いディケンズの小説が、そろいもそろって絶版なのか、毎回毎回疑問です。国語の教科書などにのせてもよいのではないかというないようばかりですのに。今回は図書館でも閉架になっているのを借りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月16日 (土)

ドーラ

ディケンズの小説「ディヴィット・コパフィールド」に登場する、主人公ディビッドの妻、ドーラ。
幼く、世間知らずで、家事能力がない、ずーっと夢見る乙女で、実務的、現実的な夫ディビッドは、結婚直後から、妻を成長させようと奮闘する。しかし、この次点で、ディビッドは気がついていなかった、自分の母の継父が、母に同じことをして、身心を病んだ母が、生まれたばかりの弟と友に夭折してしまったことを。

ディビッドの場合は、賢い伯母さんのお陰で、人を改造しよとする愚かさに気がつき、ドーラの愛を失うことを免れたが、作者のディケンズはこの美しく優しい、子供のような妻を殺してしまう。
そのシーンは本当に泣ける。ドーラが、亡くなる直前に夫のディビッドに語るこの言葉地下鉄で読んでいて、また泣いてしまった。。可愛そうなドーラ。
「ねぇ、あたし、若すぎたんじゃない?齢だけじゃないのよ、経験でも、考えでも、そのほか、なんでもすべての点で、ほんとうに困ったお馬鹿さんだったわねぇ!もしわたしたち、童の恋だけで終わっちまって、そのままお互い忘れてしまっていた方が、ずっとよかったのかもしれないわねぇ。奥さんになる資格なんかなかったんだって。そんな気がしてきたのよ」
こうして、引用していて、また泣けてきてしまいました。
家事能力がなくたって、寄せ算ができず、家計簿が付けられ無くたって、使用人にバカにされていても、ここまで心が優しい、美しい妻がいたら、他に何が必要だというのだろうか?もちろん、ディビッドはそのことに気がつくのに、、ディケンズはドーラを殺してしまい、聡明な妻アグネスが実はディビッドに最適だったと結論づけてしまう。
この結末にはちょっと不満。ドーラはディビッドの愛に守られて、ずっと幸せに暮らしてほしかったと思います。
アンタイラーの「ブリージングレッスン」にでてくる、アイラとマギーのように。。でも、そういえば、アンタイラーの小説の主人公で、離婚しないで最後まで仲良し夫婦って、このアイラとマギーだけだったような。。。自分が伴侶より賢い、優れていると思った瞬間、実は自分は愚か者になってしまうということなのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月30日 (水)

ディビッド・コパフィールド

著者 ディケンズ 新潮文庫

今回、岩波文庫版と読み比べて、新潮文庫版を読んでおります。
原発ホワイトアウトを読み終えたばかりで、その余韻もあるからでしょうか、3巻目の主人公ディビッドとスペンロウ氏の遺言登記所の会話の一部分がそのまま東電に当てはまってしまえると思えたので、この200年前の小説を、東電の今に当てはめてみてみました。
書き換えた部分だけ太字にします。()内が原文。お偉い人というのは閑職者のことで、そして、なんとも、200年前から進歩がないようです。

この大事な原発(遺言登記所)の最高幹部は、すべてお偉い人々の閑職で占められ、逆に実際、事故現場(二階の寒い部屋)にいて、もっとも重要な仕事をしている気の毒な作業員(書記)たちは、日本(ロンドン)でもっとも薄給で、もっともかえりみられない人たちであるという、いったいこれでいいのだろうか?そして、中でもその社長(所長)というのは、本来ならば、絶えずここを利用する(訪ねる)一般市民のために、一切必要な施設をするのが義務であろうにもかかわらず、これがまたその地位のおかげで、最大の閑職者ときているのである。ところが、他方、市民たちの方は、毎日午後、仕事の忙しいときなど、いくらでもおそるべき事例がみられるのだが、なんともいえぬ不便を味合わされている、これがおかしいとはいえないのだろうか?これを要するに、東京電力(カンタベリー大司教区)の原発(遺言登記所)は、まことに困った状態であり、まったくお話にもなんにもならぬ。

わたしとの議論にだいぶ熱がのってくると、ミスタ・スペンロウは、にっこり笑って、他のときとおなじように、この問題についても、議論を吹きかけてきた。つまりこういうのだ。結局、それはどういうことなのだ?ただ感情論にすぎんのじゃないか?市民たち自身が、彼らの原発(遺言状)は、安全に保管されていると信じ、しかも一応、建前はよくならないと仮定しても、それで誰が損するというのだ?じゃ、誰が得をするというのだ?東京電力(閑職者)だ。勿論、完全な組織とはいえない。だが、完全などというものは、なんにもないのだ。したがって、自分の一ばん反対なのは、わざわざ楔を打ち込んで裂くことなのだ。現に原発(遺言登記所)のおかげで、国は多いに繁栄してきた。今ここでそれに楔を打ち込んでみろ。国の繁栄は止まってしまうに決まっている。物事というのは、あるがままに受け取るのが、紳士の道なのだ。この原発(遺言登記所)なども、きっと我々の死後まで存続するに決まっている、というのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月 7日 (日)

我らが共通の友(下)

著者ディケンズ ちくま文庫

この下巻だけでもいいから復刻してもらって、手元に永久に保存したい一冊でした。

吉野 源三郎: 君たちはどう生きるか (岩波文庫)と共通する、金持ち≠上流社会を説明していると思われます。いまの日本を含める、国際社会の悪しき潮流を戒めてくれる一冊だと思います。(金持っていたら皆セレブと呼んしまうテレビをはじめとするマスコミは残念すぎます)
ネタバレすると面白さも激減するので、図書館当で借りて是非読んでいただきたいです。
ところで、本書の下巻執筆のころ、ディケンズは大列車事故に遭い、九死に一生を得たということで、文学の神様が、ディケンズになんとしても、この下巻を書かせたのではないかと、そうおもわれます。
子を持つ親、部下を持つ上司、学校の教師、特に役人、もちろん、子供も学生も、老若男女の多くの人に読んでいただければと願います。もしも分別のないいまの政治家たちがこの本を読んですこしでも自分のこれまでの行動、言動に羞恥心を覚えるようでしたら、是非その方に投票してもよいかと思ってしまいます(無理かな?)。
ただの娯楽の読物としても十分に面白おかしく読める一冊かと思います。とにもかくにも復刻希望の一冊です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月23日 (日)

我らが共通の友

著者ディケンズ ちくま文庫 

(上巻)をほぼ読み終わるところで、中途感想です。
上巻のストーリーはというと、テムズ川に流れてくる死体のポケットを探る仕事を稼業とするギャッファーとその娘リジーがある日引き上げた死体が、産廃業で莫大な富を得たハーマンの息子だったのです(故ハーマンは息子のジョンがある娘と結婚したら自分の財産を相続させるという条件で遺言をのこし、そのために出奔していた息子ジョンが帰国する途中でおそらく何者かに殺害され、テムズ川を流れてきていたのです)。
息子が財産を相続できなかった場合は、使用人夫婦に財産が渡るという遺言になっていたため、善良な使用人のボッフィンさん夫妻は一夜にして大金持ちになってしまいます。しかし、彼らはあくまでも善良です。ジョンと結婚できなかった婚約者のベラを気の毒に思い、新居に引き取り、またジョンの変わりに孤児を引き取り育てようと考えます。

ディケンズの多くの小説と同様に、とことん悪ととことん善良な人物像が分かりやすく対照的に描かれています。
悪側(お互い金持ちの振りをしていて勘違いして結婚してしまったラムル夫妻、ギャッファーの元相棒ライダーフッド、ボッフィン氏が文学士として雇ったウィッグ(胡散臭い))などと、
善良側(ギャッファーの娘リジー、弁護士のモーティマーとその友人ユージーン、ボッフィン夫妻など)
あと、いまのところ悪か善良かが謎の人物ヴェニアリング夫妻、ボッフィンさんの秘書ロークスミス、ジョンと結婚するはずだったベラ、リジーの弟チャーリーとその教師ヘッドストン、リジーの同居人で人形衣装しのジェニーレンなど、、このほかにもいろいろ役者がでてきます。登場人物が多すぎです。
上巻で、面白い記述があったのですが、いくつかピックアップしてみます。投資家についての皮肉あったっぷりの愉快な記述です。

株式取引こそはこの世でやらねばならぬ唯一の仕事である。氏素性などなくてもよろしい。品格などはどうでもよろしい。思想もいらぬ。行儀作法も不要。ただし株式だけはぜひ持ちたまえ。大文字で印刷された重役名簿に名を連ねるだけの株式を所有し、神秘の用件を携えてロンドン-パリを往き交い、お歴々の仲間入りをし給え。彼の出身は?株式!彼の行く先は?株式!彼の趣味は?株式!なにか主義といったものは?株式!どうやって彼は議会に入り込めたのか?株式!おそらく彼はなにひとつ自力でやり遂げたことはない。なにひとつ自分で始めたこともなければ、なにひとつ生み出したものもない!株式、これが一切に対する十分な答えなのだ。ああ、偉大なる株式よ!汝はその眩き姿を高々とかかげ、われらささやかな蛆虫どもをして、あたかも麻薬の毒によいしれたるが如く、日夜声高に叫ばしめているのだ「なにとぞ我らの金を奪い取りたまえ、われらに代わって我らの金を撒き散らし給え、我らを買い、我らを売り、我らの破滅の淵にみちびき給え、ただねがわくは汝が地上の大権に伍し、われらが血を暗い手肥え太りたまわんことを!」と。

もうひとつ面白い描写をご紹介します。

ウィルファー夫人というジョンの婚約者ベラの母親に対する描写としてのこの一文を読んだときに最初に思い浮かんだ人物が林真理子だったのですが、曽野綾子も同類、というか、林真理子は、曽野綾子の跡継ぎだなぁ、、石原慎太郎や曽野綾子はあと10年くらい我慢すればこの世からいなくなるから歯をくいしばってその日をまってればいいやと思っていたら、ちゃんとに跡継ぎがいる、、トホホ、そして、鼻持ちならないこういう人たちのことを、ディケンズはこう描いています、ほんとに一言で、、

慢性的威厳願望並びに漠然性被虐待意識症候群

なるほど、言いえて妙なり、いつの時代、どこの世界にもちゃんとにいるのですね。こういう輩が。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月15日 (土)

ボズのスケッチ

著者 ディケンズ 岩波文庫

ディケンズの短編集、小説家として世にでる最初の作品だそうです。
ディケンズの小説を読んでいて面白いのは、食卓の描写がすごく美味しそうなのです。イギリス料理というと、まずい、、というイメージがあり、代表的な料理としても、フィッシュエンドチップスとローストビーフ、サンドイッチくらいしか思い浮ばなかったのですが、実はイギリス人の食卓も結構ゆたかなんだなぁという描写にあふれています。
たとえば、、本書に収録されている「ボーデリングハウス繁衰記」にある描写、、

ここでチブス夫人がおもむろに給仕担当のジェームスに料理の被いをとるようにご命令。サーモン、ロブスター・ソース、とりの臓物のスープ、他に石のような形のポテト、姿形大小さまざまに刻んだ野菜やハム、ソーセージなど、いつもの付けあわせが現れた。

または、「蒸気船でテムーズ下れば」という船の中で、の食卓の描写。こちらは、船の揺れがひどくてさんざんな様子が描かれていますが、、面白いです。

ご馳走が山のようにあった。テーブル下の床に、ゆでたマトンがゼリーのように煮こごりをつけてぶるぶる震えていた。温かかったであろうサーロインステーキが、突如中風にでもかかったかのように、小さくしぼんでしまった。大きめの皿に盛り付けてあったタンの料理も、右に左に、前に後ろに飛んで、まるで伏せたコップの中でもがき回るハエのような、惨憺たるありさまになってしまった。デザートがぶるぶる震えていて、手に取ることもできず、これはもう絶望だわいとあきらめずにはいられなかった。ピジョンパイも脚が外に飛び出ていて、ハトがその始末に困っているといったありさまだった。

もひとつおまけに、、「ブルームズベリーでの洗礼命名の儀」での料理描写も・・

テーブルにはバーリーシュガー(大麦あめ)で作った神殿が四つも並んでいた。もっとも夜食が始まる前にだいぶ溶けて、今は、さぞかし見事だったでしょうね、というのが精いっぱいのところだったし、神殿のほかに水車小屋もあったが、水車がくるくる回るといっても、時すでに遅し、細工がとけてテーブルクロスの上を回るという常態だった。
ターキーもタンもトリュフも出ていたし、パイにプディングにゼリーも甘い香りを漂わせていた。それにロブスターのサラダと壷に持ったビーフ、いやはやの御馳走だった。

ディケンズは人物の観察力と描写力がすごいなぁと思っていましたが、人物描写だけではないなぁ、風景描写も、料理描写も、、なにからなにまで手を抜いてないなぁというより、絵画をみているように情景が頭に浮かぶそんな作家さん(デビュー当時から)だったのですねぇ、、このボズのスケッチは上下2巻、こちらも絶版になってることが残念な作品でした。図書館で借りて読みました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月15日 (月)

大いなる遺産

著者 ディケンズ 新潮文庫

ディビッドコパフィールドがディケンズの傑作だと思った矢先、軍配はこっち?という本に1か月足らずで出会ってしまいました。
前者は著者27歳の時の作品、後者は42歳の時の作品ですから円熟しているのはあたりまえかもしれませんが、上下2冊、読み終わるのが残念なくらいに面白い本でした。
それにしても、ディケンズは、ディビットコパフィールドに登場するユライア・ヒープや、本書に登場するミス・ハビシャムといった怪役をよくもこう思いつくものだと、敬服してしまいました。
村上春樹の新作もいいけれど、こちらをまだ読んでいない方は、こっちがオススメかと思います。イギリスの産業革命当時の、資本至上主義、貧富の差による偏見など、世の中は、今の世界の人間の心の模様と寸分変わっていない描写が、いろいろなことを考えさせてくれまます。金持ちの美しい女性に恋をしてしまった主人公が、その女性に育ちをバカにされて、貧しく学のない生家を恥ずかしく思うところなんて、胸にこたえました。面白い一冊!その感想につきると思います。ネタバレ書きたくないので、この辺で感想を辞めておきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月30日 (土)

ピクウィック・クラブ

著者 ディケンズ ちくま文庫

ディケンズの出世作ということです。24歳の若さで、このような小説を書いたということが驚きですが、高校も大学もでておらず、独学と、社会経験でここまでの小説を書いてしまうのですから、さらに驚き中の驚きです。

24歳にて、すでに、
マスコミ批判、選挙批判、失業、貧困などの福祉批判、冤罪などの司法の批判、新興宗教のまゆつば行為の批判、などなどの社会風刺を面白おかしいエピソードに巧みに散りばめていています。
しかも、本書の中に時々差し込まれているお話があるのですが、それぞれ、別の小説として売り出せばそれでまた一冊になるような楽しい話を、惜しみもなくこの本に挿入しているところもびっくりです。
200年前のイギリスでは、上流階級しか読書の習慣がなかったそうですが、本書をきっかけに、老若男女、貧しいひとから富めるひとまで、気軽にこの本を読むようになったということです。こんな社会風刺のできる作家がこの日本にいたかなぁ、、と思わずうなってしまう一冊です。
召使のサム・ウェラーが、ピクウィックさんを侮辱した人の帽子をはたき起こしたとき、ピクウィックさんにやめないとクビにすすぞ、帽子をひろいなさいとたしなめられたにも関わらず、断固として拾わなかったり。債務者監獄に入れられたため、お前はわたしに仕えてここに居る必要はないといわれると、自分も借金を踏み倒して監獄に入ってくるし。こんな愛情で結ばれた雇用関係って、いまではなかなか見られないのではないかと、とても感動する場面でした。わたしも、もしもピクウィックさんのような紳士がいたら、是非とも雇っていただき、誠心誠意お仕えしてしまうと思いますが。
24歳が、老紳士を描く巧みさという上でも、ディッケンズ恐るべし、、という一作でありました。
ところで、なぜにこれほどの名作が絶版なのだろうかと、日本という国は、、、まったく、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ディビッド・コパフィールド(テレビドラマ版)

原作がとても面白かったので、BBC制作、ハリポタのダニエル・ラドクリフ君主演のテレビドラマを取り寄せて見てしまいました。

さすがに、分厚い5冊の長編小説を3時間のテレビドラマにするのは、かなり大変だったと思いますので、もちろん、原作とは別物になっていましたが、原作を読む前に、主要な登場人物を把握するという使い方としては、役立つ作品だったと思います。
とても印象に残ったのが、主人公のディビッドが、乳母のベコティの兄が住む浜辺の船の家に遊びに行ったときのシーンです。ベコティの兄はそれぞれ両親をなくした甥のハムと姪のエミリーを親代わりに育てています。ディビッド自身も父親を生まれる前に亡くし、母親は再婚予定の男と親しく自分にかまってくれない、全員淋しいみなしごのような境遇なのですが、この食卓で楽しく、海辺の話などでもりあがろうとしたところ、夫に先立たれた同居人のガミッジさんが食卓で突然、「私は不幸だわ~、みんなわたしが迷惑なのよ~」とうううう、と泣き出すのです。
心やさしいディビッドはどうしたのだろうかととても心配します。もちろん、楽しいはずの食卓はしらけてしまいます。
すると、乳母のベコティがディビッドにこうささやきます「彼女は自分の不幸を楽しんでいるのだから、気にすることはありませんよ」、、と。
原作に、このセリフはあったかな、、と、確かめたいのですが、図書館に原作はあるので今は確かめられませんが、うううむ、と思ってしまいました。
やはり、食卓に一人不幸な人がいると、楽しくないのだろうな。
というよりも、不幸をアピールする人がいると楽しくないのでしょう。人はそれぞれ、特にある程度の人生を重ねていれば、不幸な出来事や経験がない人ばかりではないでしょう。
ですが、結構その不幸を自分の心のうちに留めて、人にはにこやかに穏やかに接している場合が多いのではないかとおもいます。
わたしがいつも思い出すのは、中島みゆきの「断崖~親愛なるものへ」の歌詞です、まだ学生のころに聞いたのですが、こんな歌です。
風は北向き心の中じゃ朝も夜中もいつだって吹雪、だけど死ぬまで春の服を着るよ、そうさ寒いとみんな逃げてしまうものね。みんなそうさ 走り続けていなけりゃ倒れちまう、自転車みたいなこの命転がして、息はきれぎれそれでも走れ、走りやめたらガラクタと呼ぶだけだ、この世では・・・
過去に起こった大切な人との別れ、挫折、悲しいことや絶望したことがあっても、いつもこの歌を思いだして、人前ではずっと明るくしてきたと思います。
やっぱり、多くの人は明るく幸せな人と時間を過ごしたいのではないかなと思います。わたしの友人でも、何十年も付き合っていても、大きな不幸が過去にあったことを一切は話さず、つい最近になって、そのはなしをなにかの機会に知って大変驚いたことがあります。そんな大変なことが過去にあったのに、いつも明るく、人に思い遣りがあって、なんて立派な大人なんだろうと思っています。

いつも暗い顔をして、身に降りかかった災難のことばかり話して世を恨んでばかりの人といても、自分の気持ちが滅入るだけなのかとおもいます。

人間の脳みそは思っていたほど複雑ではなく、単純で、明るく楽しいふりをしていると、脳の方も勘違いして、楽しいと信じ込んでくるようです。
もし、くよくよわが身の不幸や災難を嘆いていらっしゃる方がいたら、ちょっと試してみてはいかがでしょうか。
この本は、多くの不幸な境遇の人が登場します。そして、暗い道へ進むひとと、明るい道へ進むひと、両方が描かれています。小説の登場人物、ディビット・コパフィールドは、著者ディッケンズの分身です。ディケンズは幼少時代の数々の貧困や絶望を乗り越え、最愛の人を失い、その後で描かれた小説です。このテレビドラマ⇒小説、にするか、小説⇒テレビドラマ、機会があったら、是非とも読んでいただきたい作品のトップクラスに入ると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧