カテゴリー「チボー家の人々」の記事

2014年6月19日 (木)

チボー家の人々(エピローグ)

著者ロジェ・マルタン・デュ・ガール 白水Uブックス

ジャックがスイスの山中で悲惨な死を遂げてから四年後のチボー家周辺のその後が語られています。
この小説の主人公はジャックだとずっと思って読んでいたのですが、実はアントワーヌだったのです!
しかし、アントワーヌも、ドイツ軍の毒ガスで、呼吸器をやられ、健康からは程遠い体になってしまい、療養中の身となっていました。
美しく、この世の青春を謳歌していたダニエルも、爆弾で足を切断し、傷がもとで性的不能者になってしまい、そのことを悲観しています。今ではぶよぶよと太ってしまい、実家で毎日チューインガムをかみながらぶらぶらとその日をすごし、ジャックの遺児となったジェンニーの息子ジャンポールの子守をしてくらしているのです。
ジェンニーは、繊細な控え目な少女だった娘から、すっかり肝っ玉母さんになっています。
もうすぐ死ぬ身と悟っているのアントワーヌは、甥のジャンポールが私生児として育つ不便さを憂慮し、ジェンニーと形式上の結婚をして、ジャンポールを認知し、チボーの名を残したいと説得しますが、ジェンニーは頑として受け付けません。
それにしても!なんと戦争は前途ある若者たちの人生を台無しにしてしまったことか!
無暴力、平和を信じたジャックは、同国のフランス人、いつもなら動物も殺せない見知らん兵士に、頭を銃で撃たれて森のなかでさびしく命をおとします。
ダニエルは、足を切断したうえに、あんなに女たらしで、人生を謳歌していたのに、性的不能者になってしまいます。
そして、5巻目、診察の部では「人生は楽しいな」と常に努力し、人一倍働き、希望と未来に向かってすべての時間を費やしていたアントワーヌは、敵の毒ガスで肺を絶望的に痛めて、死ぬのを待つばかりになってしまい。
ジャックとダニエルのともだち、アントワーヌの浮気相手の夫、バタンクールは砲撃で両目を失明。
アントワーヌの師、フィリップ博士が手塩にかけて指導してきた優秀な医師6名のうち、3人は戦死、2人は不具者となり、アントワーヌも死にかけている。なんという損失。
アントワーヌは友人の外交官リュメルと、マキシムで会食をします。そこには、戦場に行く必要のない、政治家、高官、高級軍人などが、まるで戦争など存在しないかのように、戦前とまるで変わらぬ豪華な食事をしているのです、そこには、なんと日本人までいるのです!
アントワーヌはリュメルを許すことができません。
それにしても、死にゆくアントワーヌの日記はなんと物悲しいのでしょう。
37歳、まだまだやりたいことがたくさんあったアントワーヌの未来は突然崩れ去ってしまったのです。
ブルジョア趣味だった自分を恥じ、今なら、ジャックの主張を理解できる。父親のことも再評価します。チボー家の血、なんとしてでも自分が存在した証をこの世に残したかった父のこと。
そして、死にかけてみて、はじめて、ジャックの断固たる暴力否定、徹底的な平和主義は正しかったと。どんな大義名分があろうと暴力は悲惨だということがわかったのです。
また、青春をもっと大切に使わなかったことを後悔し、ジャックのように友達がいない自分を残念に思い。それでも、甥のジャンポールに、自分の失敗を教訓によりよい人生を歩んでほしいと願い、最後の体力を振り絞って、ジャンポールに生き方を語るアントワーヌ。こんな叔父がいたら!そんなことまで考えてしまいました。
アントワーヌが、おまえが25歳になったとき、この世は平和になったこの国で生活しているだろう、と書きます。しかし3歳のジャンポールの23年後、1918年の23年後、フランスはまた戦争に巻き込まれているのです、、なんと悲しいことでしょう。
アントワーヌは、最後に軍事介入したアメリカの大統領ウィルソンの提唱した国連の発想に感動したりします。。これも歴史を知る読者としたら、悲しみの一つにしか思えません。
自分の国がそもそも提唱して誕生した国連の命令をいつか聞かないアメリカという国が遠い未来に存在しているのです。
本書、13冊を読んで、チボー家とそれをとりまく人々と知り合いになってような錯覚に陥ります。
しかし、それとは逆に、本書のはしばしに、この物語は白人のためだけの平和の話だよ、有色人種は別だよ、というにおいを感じることもしばしばありました。ジェンニーがチボー家の親戚、半分アフリカ系ジゼールのことを、奴隷の血が、、などと発言するのを読んで、この言葉を聞いたら、ジャックはどう思うだろうと考えてしまいました。
実に、全篇にわたって、宮崎アニメなどでドラマ化してもよい小説なのではないでしょうか?
たぶん、アニメドラマ化したら、1完結するのに10年以上かかる小説かもしれませんが、それでも、後世のために、もしもアニメドラマ化されたら、とても大切な作品になるような気がするのですが、、、せめて1914夏以降の物語を、今、日本で戦争が必要だと声高に訴えている人たちに読んで欲しいと思ってしまいました。
圧倒的な大河物語だったと思います。どうでしょうか?高校時代に読んだら、また違う影響をうけたかもしれません。大して面白くない、偉そうなお説教ばかり、と読んでしまったでしょうか?アントワーヌがジャンポールにあてた日記で危惧しているのです、おまえがこれを読んだら、「くたばりぞこないの世迷言」と思うかもしれないと、、
まさについ先日、修学旅行の中学生が広島の原爆の語り部の老人に放ったセリフとなんと同じセリフなのです、、!アントワーヌは、広島のおじいさんより想像力があったのかもしれませんね。広島のおじいさんは今の中学生の理解力を高く評価しすぎていたのかもしれません。
それにしても、この本が、もはや忘れ去られている本、図書館の片隅で埃をかぶっている本というのは、なんとしてもやりきれないかぎりです。
是非とも、特に若い世代の人々に読んでもらいたい本なのです!

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2014年6月18日 (水)

チボー家を読んでの戦争観

チボー家の語る戦争とは、、、
戦争になると、開戦当日に、誰かの息子、誰かの夫、誰かの父親が命を落とす。

戦争になると、誰かの息子、誰かの夫、誰かの父親が手足をなくす。
戦争になると、誰かの息子、誰かの夫、誰かの父親が身も知らない赤ん坊や子供に爆弾を落として殺戮する。
戦争になると、物資がなくなり、物の値段が高騰する。
戦争になると、銀行に預けているお金が引き出せなくなる。
戦争になると、人権がなくなり、警察がいばり、政府の反対などタブー、物言えぬ世の中になる。
戦争になると、新聞は翼賛記事一色になり、(今の日本も一部の新聞はすでにそうなっていますが)、もう何も本当のことは知ることができなくなる。
戦争になると、病院も正常に機能しなくなり、薬や機材も調達が難しくなり、通常ならなんでもない病気でも命を落とす可能性がでてくる。
戦争になると、徹底的に食料が不足し、金銭的に余裕のない弱者から飢えていく、おなかがすけば人間は殺したり盗んだりすることに抵抗が少なくなり、治安も乱れる。
しかし、いいこともあるらしい、
戦争になると、戦争成金で巨万の富を手に入れる資本家もいる。
戦後の復興で一部の商社やゼネコンはあげあげになり、ひやっほーとなる。
戦争になると、強姦やいじめや虐待がわりと自由に行えるようになり、そういうのが大好きな人は興奮がとまらない。
しかし、死んだ誰かの息子、誰かの夫、誰かの父親は戻ってこない、誰かの息子、誰かの夫、誰かの父親が失った手足、眼球は戻ってこない。

要は戦争とはそういうことなんだと、、
人類から、その本能的な狭量さと、生まれついての暴力礼賛の気持ちとを、人間が暴力によって勝利をせしめ、自分とちがった感じ方なり、自分の生き方なりを暴力によって強要するという気ちがいじみた快感を駆逐することができるときまで、はたして何百年かかるだろう?しかも、そこに政策があり、列国というやつがある。戦争をやる当局にとって、いざとなった場合、戦争はきわめて魅力的なものであり、きわめてたやすい解決方法にほかならないのだ

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2014年6月16日 (月)

チボー家の人々(一九一四年夏 Ⅳ)

著者ロジェ・マルタン・デュ・ガール 白水Uブックス

ジャックはジェンニーをパリに残して、革命を遂行するために、一人パリに旅立ちます、このとき、ジャックも、ジェンニーも、お互いを愛しているのにもかかわらず、自由になったとほっとするのです。
やがてジャックは最後にドイツとフランスの兵士に語りかけるため、何万枚ものアジビラを作って飛行機から両国に撒くことを試みます。両国の兵士全員が同時に戦闘をサボタージュすれば、お互いの国は殺し合いをしなくてすむのだという力説のビラです。
しかし、ジャックの乗った飛行機は墜落し、アジビラは、読まれることなく燃えて灰になってしまいます。ジャックは瀕死の状態で、フランス軍に収容されます、しかし、スパイと思われ、また怪我人を連れ歩く負担を感じた、ある兵士が、いままで動物さえ殺したことのないある兵士に、足手まといを理由に、銃で撃たれ、ジャックは森の中で、悲惨な死を迎えます、、まさに犬死にです、、あれほど、戦争で死ぬなんて馬鹿だ、兵役拒否して銃殺されたほうがましだと訴えていたジャックがもっとも最初に兵士に、しかも自分の国の兵士に撃たれて命を落としてしまったのです。
Ⅳ巻は、ただ、ジャックが死に急ぐだけの話のように思えました。
ジャックは、あれほどジャックのことを愛していたダニエルのことも、アントワーヌのことも、ジェンニーのことも、考えなかったのでしょうか?そこまでに純粋に革命家だったのです、、哀れで、涙を誘います、、こんなに愛されていたのに、、何が足りなかったのか、、ジャックはあんなに嫌っていた父チボー氏のもとに旅立ってしまいました。

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チボー家の人々(一九一四年夏 Ⅲ)  

著者ロジェ・マルタン・デュ・ガール 白水Uブックス

本書では、ジャックやその仲間の社会主義者がなんとしても戦争を食い止めようと、必死に社会主義者、労働者に説得をします。演説もします。
戦争をさせるものは資本主義だ、国家主義の競争だ、金の力だ、軍需工業家だ、それらすべて、もちろんそれには違いない、だが諸君考えてみたまえ、戦争ははたしていかなるものか?それは単に利害関係の衝突なのか?残念ながらそうではない、戦争とは、まさに人間であり、また人間の流す血潮なのだ!戦争とは、動員され、たがいに戦いあう国民なのだ!国民にして動員を拒み、国民にして戦うことを拒否するとき、あらゆる責任ある大臣たちは、銀行家は、企業家は、軍需工業化は、戦争を引き起こすことができないのだ!大砲も、小銃も、打つ人なしには打てないのだ!戦争には兵士がいる!そして資本主義が、こうした利益と死との事業のために必要とする兵士、それこそわれらにほかならないのだ!いかなる法律の力も、いかなる動員令も、われらなしには、われらの承認なくしては、われわれの受け入れ体制なくしてはあり得ないのだ!すなわち、われわれの運命は、われらのうえだけにかかっているのだ!われらこそ、われらの運命を自由にできる。われらは多数であり、われらは力であるからなのだ!

ドイツにも、フランスにも、資本家よりも圧倒的多数の労働者がいます。彼らが、何百万もの労働者が兵役を同時に拒否すれば、戦争は回避できる。戦争の本当の理由も原因も知らされず、「愛国」という名のもとに扇動される何百万もの国民が、全員が、戦争を本当に拒否さえすれば、無辜の民の殺戮も、豊かな大地の焦土化も、一部の戦争利権者の思惑も、すべてを回避できるのだ、ジャックは、どうして、そんな簡単なことがこれから死にゆく兵隊たちには気が付くことができないのだと、最後の最後まで説得します。
まぁ、ローマ時代から大衆が本気で怒ったら面倒だということは頭のよい政治家はよくご存じなので、真面目に政治に目をむけないように、コロシアムや大浴場を作ってたりしてたわけで。今でも、競馬だ、パチンコだ、サッカーだオリンピックだ、AKBだなんって大衆の目を政治から上手にそらすように大衆が知恵を持たないようにちゃんと画策しといて、思惑通りになってるし、そして気が付けば、はいみなさん戦争ですよ~動員ですよ~ごたごたいっても後の祭りですよ~ってことなのですから、ローマ時代から、第一次大戦から、今に至るまで、政治家と国民のばかしあい合いということなのでしょう。
フランスでは、社会主義者の国会議員、実在の政治家、ジョーレスが、ドイツの政治家と最後の対談をして、戦争回避の道を模索するはずの、その対談の前日、愛国主義者の暴漢の銃弾に倒れて、暗殺されてしまいました。最後の戦争回避のチャンスがうしなわれてしまいます、、あれ?これって最近読んだ城山三郎の「落日燃ゆ」に似たような話が出てこなかったっけ?どこの国にも戦争を避けたい外交官がいたのだなぁと、、それが外交官の仕事だし、、
そんな今日明日に戦争の火ぶたが落とされようとするなか、ジャックとジェンニーはついに結ばれます。。美しい恋愛のストーリーなのに、それでも、読んでいて、ジャックの行動がむなしい。
亡き友人Yのことを思い出してしまいました。友人Yも学生時代に、学生運動に参加して、デモなどにも加わっていたことがあるのですが、当時の恋人がそんな彼にこういいます。「隣にいる恋人のことを幸せにすることもできない子供のあなたが、どうして社会を変えることができるというの!」そして、学生運動熱に浮かされていた友人は、目から鱗が落ちたかのように、学生運動から身を引いたそうです。現実世界の、半径1メートル以内の人から手始めに幸せにできる道を選ぶことにしました。

ジャックも気が付いてほしかった。方法が間違っていた。
彼にはたぐいまれな文筆の才能がありました。作家として自分の思想を広げる天賦の方法を持っていたのです。
父からの莫大な遺産があり、ジェンニーと子供を、安全な過程で守るだけの環境があったのに、その遺産をすべて社会主義団体に寄付してしまう。。資本主義を否定している団体に大金を寄付するなんて、おかしい。社会主義運動するのも結局金本位なのかと!
ジャックの純粋さは、結局だれひとりとして幸せにすることができなかったのです。
ジャックの考えはすべて正しい、正しいのに、方法が間違ってしまっていたのです。それくらいジャックは国民、大衆の良心を信じすぎていたのです、実際の国民は、なーんにも考えていなかったのです。

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2014年6月14日 (土)

チボー家の人々(一九一四年夏 Ⅱ) 続き

すれ違い続けていたジャックとジェンニーはついにお互いの気持ちを伝えあえることができます。ずっと、一度として変わらずお互いのことを愛していたことを。

ジャックは革命家になっていました。しかし、中産階級で労働というものをよく知らないジェンニーは、社会主義者になってジャックの言うことがよく理解できません。革命家なんて恐ろしいものと思っています。

そんなジェンニーにジャックが説明します。工場労働者の悲惨な状況を話して聞かせるのです、とくに女性が奴隷のように働かされている、貧しい女性たちが男性より安い賃金で働かせていることについて、ジェンニーがジャックにどうして男性よりも安い賃金なのかと質問します。

ジャックが答えます

「つまり、女には父親なり、夫なりがいて、生活をたすけてくれると思ってなんだ」
世間知らずなジェンニーが答えます
「それはたしかに、そういう場合がおおいんだわ」

そんなジャックにジェンニーが言い聞かせませます。

「とんでもない!そうしたきのどくな女たちが働かなければならないということ、それこそいまの社会で、男にたいし、その肩にかかっている者たちを養うだけのものが支払われていないからのことではないか?ぼくは、いま外国の労働者の場合だけを例にひいた。だが、いつか、イブリーなり、ビヤンクールなりに行って見るがいい、きみはまだ七時にならないうちから、身軽になって工場で働くため、子供を託児所へあずけにいく女たちが列をつくっているのを見るだろう。そうした託児所を(工場の費用で)作った工場主たちは、もちろん本気で、労働者にたいして自分たちは恩恵をほどこしていると信じている、だが、考えてみるがいい、八時間の仕事のまえに、五時に起きてコーヒーをわかし、洗濯をすませ、子供に着物をきせ、少しばかりの部屋をかたづけ、そして七時には仕事にかけつけねばならない母親たちの生活、それがいったいどんなものであるかを?恐ろしい生活とは言えないだろうか?しかも、そうした生活が現実にあるのにだ!そして、そうした生活を犠牲として資本主義社会は栄えているんだ!ほんとうにジェンニーそういうことを許していていいものだろうか?何百万という生活を犠牲にして、そのうえに栄えている資本主義社会を、黙ってみていてもいいのだろうか?

ジャックは、純粋に、まるで中二病から抜け出ていない純粋さで、社会主義が人間の尊厳をとりもどせるとこのころ信じています。実際の歴史では、資本主義社会の看板が社会主義、共産主義の看板を変えただけの、実質はなにも変わらない権力者の手に渡っただけで、貧しい女性や農民の生活に革命はおこらなかったことを、今では誰もが知ることになっているのですが、、やはりジャックの純粋さに心が痛みます、、
中産階級のプロテスト教徒として育ったお嬢さんのジェンニーが、この物語で、革命家のジャックと幸せになれる希望は薄いのではないかとおもわれます。
ジャックは、文学少年が似合っているのに、、才能豊かな文学者として、そちら側から革命を起こせる才能があるのに、文学少年がなりがちな中二病を患ったまま成長してしまい、実現不可能な革命をおこそうとする活動家となってしまったのです、、

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2014年6月11日 (水)

チボー家の人々(一九一四年夏 Ⅱ) 

著者ロジェ・マルタン・デュ・ガール 白水Uブックス

9巻目は一九一四年夏編の第2冊目です。第一次世界大戦の物語は、刻一刻と現実味を帯びてきます。
しかし、まだこの章では、ジャックは国民に希望を持っています。国民が戦争を回避できるという信念をもっています。
野心的な人間、政治的にゆがめられた人間は、いったん自分の掌中に絶対権力を握ったと思うと、たちまちどんなことでも、ぜったいにどんなことでもやりだしかねないものなんだ!歴史というやつは、つまりこうしたことの長いきろくにほかならないんだ
もちろん!現在の日本の様子をながめているだけでも、もうまちがいない事実です、だからこそ、国民、選挙権を持った国民はその選挙権を大切に、ゆがめられた人間に決して託してはならないのに、ならないのに、、ああぁぁ。。。
しかし、ジャックはこういう淡い期待を抱いています
どんなに陰険な計画にしても諸国民の平和への意思の前にはたちまち粉砕されてしまうものだ、ってね
現代日本でもそんなことは難しいのに、この時代の政局でジャックの見通しが甘いというのは実際の歴史を知っている読者にはわかってはいるのですが、、それでもジャックのこの願いが叶えばいいのにと、読んでいて、やはり願ってしまうのです。
先日の中野区の区長選挙では、有権者の1割しか投票していない候補者が当選してしまい、唖然としてしまいましたが、この中野区民が国民の写し姿たとしたら、こういうことがおこります、、
いざとなれば(戦争に)動員されようという人々のあいだで、戦争の観念を受け入れようとしている人間のごときは、わずか一割、いやほんの五分もいないんだ。
でも、残る九十五人は、受動的な人間、あきらめている人間ですよ!
当時のフランスも戦争なんておこるはずないと高をくくっている国民ばかりでした、いまの日本でしたらなおさらでしょう、もしも明日日本が戦争に参加したら、明日、自分の夫や息子がその日のうちに命を落とすなんて考えてもいない国民がほとんどでしょう。
ジャックの仲間がこう叫びます、
そうだ!拒否でいくんだ!そうすれば、もう地上には人殺しの余地がなくなる
聴衆は、微笑します、兵役拒否なんてできるものかと、あきらめているのです、、そういえば、我が国の政治家も、兵役拒否は死刑なんてことを言っていましたね、、
イタリア人の仲間は戦争ついてこういいます
民衆はなにからなにまで知っている。軍人に権力をまかせることが、どんなにえらい結果になるかを知っている!それは単に、戦争に出るものがどんなにつらいかだけのことではない。たちまち国を窒息させてしまうあの乱脈さがおそろしいんだ。虚偽の報道、国家主義的なプロパガンダ、自由の抑圧、生活費の高騰、利権亡者の貪欲、イタリアはこういう道を通ってきたんだ。
はい、日本もこういう道を通ってきました、、というか、今の日本の状況を憂いている人の発言としても、まかりとうるセリフに聞こえます。
しかし、日本人の大多数が、このかつて通った悲惨な出来事を忘れてしまい、歴史を振り返る人もみかけなくなってしまいました。。
こんどはジャックは兄アントワーヌの家で、戦争についての議論をします。アントワーヌの弟子の一人はこういいます。
きみは、誰ひとり戦争を望んでいないということを忘れているにちがいない!誰一人!
もう一人の弟子がこういいます
それはたしかかしら?

アントワーヌがいいます

少数の老人たちは別として

日本の場合は、少数の老人とネトウヨを別としてになるでしょうか?

以前糸井重里が、広告批評で「総理、あなたから前線へ」という反戦コピーのポスターを作りましたが、同じような発想が本書でも語られています。
ひとつこうした考えを、予防的な意味でいいふらしてやってはどうですかな。つまり、動員の際は、まず老人階級をひっぱり出すって!老人を第一線に送ってやるって
こういう予防策は実現できないものなんでしょうか?ジュネーブ条約かなにかで、いかなる戦争は、各国の政治家および、60歳以上の老人以外は参加できない、なんていう、、
また、もう一つの戦争回避方法として、このような案も本書で登場しています。今の世界でも、実現しようとすればできるのでは?そんなことに尽力する政治家がいないことが不思議です、こうです、各国が憲法でこう規定すればよいと、、
動員の交付、戦争の宣言に当たっては、一般投票による75パーセントの多数を得るにあらざればこれを行うことを得ず

この時点では、ジャックはまだまだ戦争回避の期待を捨てていません。。今の日本人と一緒なのでは?ついついそう思ってしまいます。
しかし、兵隊さんもその家族も、どの戦争だって、必ずひどいめにあうということがわかっているのに、どうしてどこの国の兵隊さんも、数人のおじいさんの浅はかな決定にしたがって、銃をとって何にも罪のない隣の国の赤ん坊とかを殺してしまうのでしょうかね?
って、世界の歴史はずーーーっとその繰り返しなわけなのですが。。。それは若い人がなーんにも考えてないからなのでしょうか?
ところで、、第一次世界大戦では、イタリア、ドイツ、イギリス、フランス、オーストリア、ロシア、トルコ、主要な参戦国ではどの国でも百万人単位の戦死者が出ていますが。
日本も参戦国ではありますが、第一次対戦での戦死者は400人前後、、ヨーロッパ諸国の戦死者に比べれば圧倒的に少ないですが(そのため、漁夫の利とか言われていあます)でも、しかしながら、この400人の戦死者には、妻も親も子供もいたでしょう。少ないでは済まされません。
JALの御巣鷹山墜落事故の事故死者と同じくらいの数です。日本人は御巣鷹山の死者400人で大騒ぎしているのに、東日本大震災の死者が3万人で大騒ぎしているのに、戦争がおこったら、百万単位で人が死ぬのですよ。わっかるかなぁ わっかんねぇだろうなぁ・・・って、古っ(汗)

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2014年6月 6日 (金)

チボー家の人々(一九一四年夏 Ⅰ) 

著者ロジェ・マルタン・デュ・ガール 白水Uブックス

8巻目は父チボー氏の死の後、スイスのジュネーブで社会主義活動家として暮らすようになったジャックの様子からはじまります。真面目で純粋なジャックは、父からの莫大の遺産も放棄して、仲間たちとお互いに協力しあいながら貧しいながらも、幸せに生活しています。
スイスには世界中の社会主義活動家が潜伏して、プロレタリアートの革命を模索していたのです。
日本でも、同じころ、富国強兵主義の元で工場労働者(製糸業など)という業態が大量に発生して、労働者運動、社会運動が発生し、大正デモクラシー、やがて国家による社会主義者への厳しい弾圧という歴史がありましたが、本書では、日露戦争でロシアが負けたことも、第一次世界大戦の要因の一つのようなことや、ロシアでの労働者のストライキが描かれ、ロシア政府に労働者は弾圧されていますが、この後に労働者の革命により、ロシア帝国は消滅します、、
しかし、ジャックの危惧、ロシア帝国というひとつの暴力組織が、労働者の暴力組織という別の権力に代わるだけだったとしたら、国民ひとりひとりの生活はなんら変わることなく厳しいままだということ、、その後の革命後のソビエトでスターリンが何をしたかを知るわたしたちにしてみると、ジャックの指摘がもっともなのです。
ジャックはこんなことを語っています

不正、欺瞞、共謀のうちに行われる革命、それは人類にとって単にいつわりの成功にすぎない。そうした革命、それは出発においてすでに腐敗菌をもっているものと言えるだろう。そうした方法によって得られる革命、それには永続性がないにちがいない。おそかれはやかれ、こんどは自分がやられうことになるのだ、、暴力、それは圧迫者の武器だ!それはぜったいに民衆にたいして真の解放をあたえるものではない。それは単に新しい圧迫を生み出すにすぎないんだ

本書は、実際あった歴史を描いているのですが、まるで今の世界情勢を描いているかのように思え、、これからの世界の未来予想図を読んでいるような思いで、どきどきして読んでしまいます。絶望、、やはり絶望なのでしょうか?
ジャックが兄アントワーヌと議論をします。兄は医者として、特殊な職種についているため、大資本家の駒になることに対する想像力が不足しています。
ジャックは、これまではひとりひとりが職人として、仕事に満足と意義を持って生きてきた人たちが、大資本の下で、工場の駒、部品となり、自分のこの仕事が結局何を完成させるのかもよくわからなくなり一生を終ることになる、その憤りについて兄に説明します。しかし、アントワーヌは、朝から晩まで寝る間も惜しんで医学のために人生をそそいでいるのだから、その報酬で贅沢してもいいのではないか、人生は楽しむものだろう、フランス人は平和主義者だ、戦争だって起こるはずがないと高をくくっているのです。ジャックとアントワーヌの間の溝は埋まりそうもありません。父親の莫大な遺産で、自宅を快適なものに大改装した兄の姿をみて、ジャックはこんなことを考えます。
ブルジョア固有の貴族趣味的見栄坊、なんたる階級!たしかに彼らは、その財産だけでなく、快適な生活、安逸の趣味、よきものをねらう趣味を、まるで自分たち自身の優越さででもあるかのようにおもっている!彼らはそれを、まるで個人的な価値とでも思っている。そうした価値が、彼らに社会的権利をあたえることにもなっているんだ!しかも彼らは、自分たちの受ける尊敬を、正当なものででもあるかのように思っている!

そんな贅沢な兄を嫌悪しながらも、でも、一方の心で、広々としたシャワールームの浴槽をみて、ゆっくり湯船につかったら気持ちいいだろうな、なんておもってしまう自分を恥ずかしいと思うジャックが正直で、微笑んでうなずいてしまいました。(広いお風呂はいいとおもいますよ、銭湯は労働者の憩いの場所ですよ。)
さて、ジャックはアントワーヌに、フランスが戦争に巻き込まれるかもしれないということを力説します。これを読んでいると、マジで今の日本のような気がして、戦争が始まる前の国の国民は、誰もこれからこの国で戦争が、戦闘がはじまるかもしれないなんて思っていなかったのだろうな、戦争がはじまってみてはじめて「なぜ?どうして?」と思うのだろうなと思ってしまいました。戦争のはじまる、その前にありとあらゆる兆候があり、警告をする人たちが多くいたとしても、だれも聞く耳をもたない。そして気が付いたら悲惨な戦争ははじまっている、そして、生まれ育った我が家が町が燃えてなくなり、大切に育てた息子たちは知らない場所で命を落とす、戦争とはそういうもの。

彼ら(政治家)は、言葉の上では、すべて国民に向かって平和を説いている!だが、彼らの中の大部分は戦争は周期的におこる避くべからざる政治的必然であり、いざとなったらそこからうまい汁、最上の利益を引き出さなければならないことを確信しているんだ。というのはその利益というやつこそ、あらゆるとき、あらゆる場所を通じ、あらゆる罪悪のいつも変わらぬ原因をなしているからなんだ!

ジャックは続けます。
大陸のはしからはしまで気ちがいじみた軍備競争、それがすべての国を滅ぼし、本来ならば社会改良のために役立つであろう何十億という金を、軍事費につぎこむことを余儀なくさせているんだ。気ちがいじみた競争、奈落めがけての競争なんだ!

アントワーヌは戦争や軍隊について深く考えていなかったのですが、いざとなったら自分が徴集されることを思い出し、すこしだけ不安になります、自分の軍人手帳はどこにしまったかと、あとで調べてみようと思います(新聞に徴集が発表され、どこに配属されるかが載ることになっていたらしいです)、ひょっとしてアントワーヌは戦争で死んでしまうのではないかと、ちょっと心配になってしまいました、、、(ジャックは兵役拒否するだろうから戦争で死ぬことはなさそうだなどと)
ジャックとアントワーヌの議論が白熱している最中に、あの、ジャックの片思いの相手、フォンタナン家のジェンニーが家に飛び込んできます、父親のジェロームがピストルで自分を撃って自殺を図り死にかけている、助けてほしいというのだ。アントワーヌとジャックはジェロームのもとに急行します。話は、政治の話から、実際の生活へと戻ります。
浮気癖のなおらない(この時点でも二人の愛人をかこっていた)そんな夫ジェロームを最後まで愛することをやめなかったフォンタナン夫人は、死にゆく夫のそばで、さまざまな回想をします。すこしのむくみが夫を若返らせ、美しい顔は出会ったころの夫とのことを思い出します。いつかは夫は自分のもとにもどってきて、老後は寄り添って過ごせるかもしれないという夢もはかなくなってしまったのです。かわいそうですが、でも最後は自分のそばで眠ることになった夫。
また、ジャックは、四年ぶりにジェンニーと再会します。ジェンニーは父親の容体よりも、ジャックのことしか考えられなくなります。
また、かつての親友ダニエルとも四年ぶりの再会です。ダニエルはどうして自分の前から姿を消したのか説明してほしいとジャックに訴えますが、ジャックはできないと答えます。
青春小説としてのチボー家もまだまだ続いていたわけです。この一九一四年の章はノーベル文学賞を受賞したということですが、それもそのはずだと思います。内容が濃くて、複雑で、でも目が離せない、そんな内容となっているのです。
まだまだ物語は続きます、、、

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2014年5月27日 (火)

チボー家の人々(父の死) 

著者ロジェ・マルタン・デュ・ガール 白水Uブックス

7巻目の本書は、チボー氏の臨終の話です。
1月に義父を亡くしたばかりでしたので、死の淵の闘病の苦しみや、家族の疲労など、実際に経験したことが遠い過去ではなく、臨終間際のチボー氏の内面の変化などを読んでいるうちに、義父もこのような恐怖や疑問に苦しんだのだろうかと考えると、目頭が熱くなるシーンが何度もありました。
特に、苦しんでいる父を見ると、早く死が訪れて、楽にしてあげたいと願うことが、本当は自分が楽になりたいんだろうとジャックが兄アントワーヌに言うセリフ。
やがてジャックすらも、父の発作の苦しみのすざましさに、兄さんなら父さんを楽にしてあげられる方法を知っているはずだ!と訴えるようになる。
この時、人は、自分のために愛する人の死を願うのか、それとも愛する人の苦しみから解放してあげるために死を願うのか、きっとわからなくなると思います。
時として、家族ではない医者が、安楽死に手を貸して、罪に問われる場合すらあるのです。
わたしは、意識のないまま枯れ木のように長い間寝たきりだった祖母のために、何度も神社で、一日も早くおばあちゃんが楽になれるように、お迎えに来てくださいと祈ったものですが、考えたら、おばぁちゃんには意識がない、彼女が今、楽なのか、苦しいのかもわからない、つまり、楽になりたかったのは自分だったのかもしれないと、考えてしまいました。
不治の病で死の淵で苦しむ病人の死を願うのが相手のためなのか、相手は死を望んでいないのではないか、苦しくても生きていたかったのではないか、楽になってよかったね、と思うのは自己満足以外ないのではないか。
しかし、チボー氏の死は、家中に平穏を安息をもたらしたことには間違いありません。悲しみとともになのです、悲しみと安息が同時におきるのが人の臨終なのでしょうか。
物語の中盤では、ジャックが友人ダニエルからの手紙をもらいます。かつて親友だったダニエルにも一言も告げずに失踪したあとの、ダニエルの気持ちが語られています。ジャックが自分を忘れて3年以上も失踪していたとしても、それでもジャックに対する信頼や友情が変わることはないという手紙に、ジャックは少なからず感動します。
これを読んでいて、長いこと疎遠になっていた友人を思い出してしまいました、わたしが彼女に同様のことを伝えたら、彼女はジャックのように、感動してくれるのだろうか。むしろ迷惑に思うのではないだろうか、、(自分はかなりいじけてしまっているようです)
そして、物語のラストで、無神論者のアントワーヌが司教と信仰についての大論争をはじめます。そもそもキリスト教の文化と縁の浅い日本人が読むとなにやら大げさな、という感じもしますが、このふたりの対話の平行線ぶりが、今の日本では原発推進派と反対派の口論のように見えました。
原発はしてみると、現代日本の神さまで、原発神信者と、原発神不信心者の言い争いで、ずっとずっと平行線のままなのかなぁなんておもってしまいました。
まぁ、日本人の宗教は天照大神信仰という太陽神信仰がスタートで、太陽は核融合、原発は核分裂、どちらも放射線物質に絡んでいるという意味では大した違いがないのかもしれません。。そうか、一部の日本人にとって、原発は神だったのかぁ、、そう考えるとわかりやすいかも、、石原の息子が、原発のこと、サティアンなんて言っていたし。。定期的にオウムの施設には査察がはいりますが、同様に原発もカルト認定して、定期的に、敷地内を査察していただきたいものです、、(話がチボー家とまったく関係なくなってしまいました、、)

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2014年5月26日 (月)

チボー家の人々(ラ・ソレリーナ) 

著者ロジェ・マルタン・デュ・ガール 白水Uブックス

6巻目の本書は、前5冊の若々しい、みずみずしい青春小説から一転して、苦しみの世界へと突入していきます。
ジャックとアントワーヌの父親、チボー氏は、重篤な病に侵され、死の淵に立っています。自分が死ぬことに恐怖を覚えている父親の不安を少しでも和らげるため、医師のアントワーヌは何度も平静を装って一芝居打つ必要があるのです。
弟のジャックは行方しれずで失踪したままで、父の危篤をしらせるすべもない。
そんなとき、ジャックが入学するはずだった高等師範学校の教授から、手紙が舞い込み、ジャックの行方の手がかりを得ることができ、ジャックがスイスのローザンヌに住んでいることがわかり、アントワーヌはすぐさま、ジャックを迎えにスイスに旅立ちます。
ようやく出会えた兄と弟、ですが二人は愛しあっていながらも、まったく遠くに住むものどおしのように、お互いに隔たりを感じているのです。
読んでいて、夏目漱石の行人にでてくる兄弟のように、神経をすりへらしてお互いに気を遣っているのです。(その気遣がますますお互いの勘に触るといった具合)
そして、アントワーヌはジャックがローザンヌの革命的社会主義者のリーダー的な存在として友人たちに尊敬されているのを見て、自分の知っていたかつてのジャックとはまったく違うジャックに戸惑いを覚えながらも、「やはり彼もチボー家の人間だったので、人の中心に立つ人間だったのだ!」と感動を覚えたりもするのです。
危篤の父に会うためにパリへ急ぐジャックとアントワーヌ、、しかし、物語はどんどんどんどん人生の苦しみの側面へとシフトしているように思えるのです。父の苦しみ、死に直面して、それでも、アントワーヌは「人生は楽しいな」と口笛をふけるのでしょうか。
おそらく、、アントワーヌはそちら側の人間のようにも思えてしまいますが、、その結果はこれから先の物語に含まれているのでしょう。。
ところで、本書のタイトル、ラ・ソレリーナとはイタリア語で妹という意味で、失踪先でジャックが出版していた小説を、アントワーヌは手に入れます。その中にはダニエルの妹ジェンニーと、いとこのジゼールと思わしき女性が登場します。ジャックの失踪の原因の一因が、このジェンニーとジゼールの二人の女性との恋愛沙汰だったということがわかります。小説ではジャックとジゼールが関係を持ったような内容が書かれていたため、ジゼールにひそかな恋心を抱いていたアントワーヌは大変なショックをうけるのですが、これはジャックの創作のシーンでした。ジャックは二人の女性のことをきっぱりとふりほどき、ようやくスイスで自分だけの自由な生活を手に入れていたのです。しかし、運命はそう簡単にジャックを幸福にしてはくれないようです。。

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2014年5月24日 (土)

チボー家の人々(診察) 

著者ロジェ・マルタン・デュ・ガール 白水Uブックス

5巻目は、これまでの恋愛小説からがらっと表情がかわり、まるでERのようなストーリです。
ジャックの兄アントワーヌが医者として活躍する一日の様子が語られています。
1913年、第一次世界大戦の足音が聞こえている。外交官の患者が、バルカン半島の不穏な様子を語るのだが、アントワーヌは真面目にとりあわない。この巻で、突如読書は実際の歴史の出来事に巻き込まれることになってしまうのです。作家は精神分裂なのかと思ってしまったくらい、4巻目までと話が変わってしまうのですが、そうか、この本は人生なのだと思いました。

純粋な少年時代、恋に目覚める青春時代、責任や労働、そして政治に参加しなければならない中年時代、そして親の老い、やがて親との別れもおとずれる。だれもが人生のどこかで経験することになる戦争(日本人だって80年くらい生きたひとの中には一度も戦争を経験していない人はだれもいない、今の政治の状況からすると、現代の若者が戦争に巻き込まれる可能性は高いように思えます。はなしはちょっと逸れますが昨日、飲み会で、今の日本で戦争がはじまっても兵士になる若者自体の絶対人数が少ないので、これからは団塊の世代の老人たちが兵士にならなければならない、そのために老人用の手振れ防止機能つきの機関銃や、老眼仕様のアイスコープなど老人向け兵器が日本の新技術として開発してる最中かもしれない、戦闘機や戦車にもシルバーマークのステッカーは張るのだろうか、などと飲み屋で与太話をしてました)。

そして、アントワーヌは、医師が誰しも直面する安楽死の問題にも巻き込まれます。苦しんでいる患者を楽にするのが医師としての良心なのか、それとも最善を尽くし生をまっとうさせることが、医師の良心なのか、、ブラックジャックとドクターキリコの葛藤のような悩みを抱えます。
アントワーヌは医師なので、不治や死や苦痛と毎日隣り合って暮らしています、でも自分の仕事をなんども「なんと立派な仕事だろう!」と胸を張ります。そして、患者が亡くなって落ち込んだと思っても、それが長く続かない、アントワーヌは心の中で、悲しみも苦しみも、禍も愛する人との別れも経験し(前巻で悲しい別れをしたラシェルのことも、あれから三年もうすっかり乗り越えている)、でもすべてをひっくるめてこう考える「人生はたのしいな」と、、
こんな風に考えられるほど、熱心に人生を生きられるというのはすごいことです。

三十二歳、みごとな出発のための年齢!健康は?無類。張り切った若い動物とでもいった手ごたえ、知能の点は?柔軟にして果敢、不断の進歩、仕事にかけては、無尽蔵とさえ言える力、、それに物質的に恵まれた環境、、つまるところ、何ひとつ欠けるところなし!弱点もなく、短所もなく、志望をさまたげる何ものもなく、さらに追い風ときている!

なんともうらやましい限りの充実した人生でしょう。

一方なんと弟のジャックは三年前に失踪して行方不明となっている。この三年間になにがおきたのだろうか!
ということで、物語は続きます、、

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