カテゴリー「アメリカ・インディアン非史」の記事

2013年6月23日 (日)

(抄録)アメリカ・インディアン非史(8)

著者 藤永茂 朝日選書

チェロキーインディアン
このあたりになってくると、心がえぐられすぎて、抄録するのも辛くなってきました。。
ワシントン、ジャクソンなどのアメリカ大統領えげつなさすぎ。。
チェロキーインディアンが、民族の生き残りを懸けてあえてアメリカ人の手先となり、クリーク・インディアンと戦ったり。。文字を発明して文明化のアピールをしたり、、、
しかし、、「涙のふみわけ道」に至ってしまうわけです。。これにくらべれば「パターン死の行進」(旧日本軍がフィリピンでアメリカ軍捕虜に行った1日平均20キロの3日間の行進)はそんじょそこらのピクニックみたいなものだったと、アメリカの作家(Clair Huffaker)がのちに語ったということです。

1838年(天保の大飢饉、大塩平八郎の乱~天保の改革のころ)
インディアン達は、彼らが泣きながら西へたどった1300キロの道程を「涙のふみわけ道」(The Trair of Tears)と呼んだ。原語ではNuna-da-ut-sun'y(そこで人々が泣いたふみわけ道)。「涙のふみわけ道」はアメリカの下腹部に残る。けっして消えることのない黒く醜い傷跡である。1838年12月、寒風ふきすさぶ灰色の荒野を、ながいながい嗚咽の列が西へ進んでいたとき、ワシントンの国会では、大統領のヴァン・ビューレンが白々しい報告を行っていた。「わたしはここに国会に対し、チェロキー・ネイションのミシシッピーの西の彼らの新しい土地への移住の完了を報告することに、心からのよろこびを感ずるものであります。さきの国会おいて承認決定されました処方策は、もっとも幸福な結果をもたらしました。現地の米軍司令官とチェロキーとの間の了解にもとづいて、移住はもっぱら彼等自身の指導のもとに行われ、チェロキー達はいささかのためらいを示すことなく移住をいたしました」。嗚咽はかれらの耳にとどかなかったか。いや、とどかなかったはずがない。

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2013年6月12日 (水)

(抄録)アメリカ・インディアン非史(7)

著者 藤永茂 朝日選書

テクムセ
テクムセはショーニー・インディアンに属すキスポコサ族の酋長の息子として生まれ、のちにデラウェア・インディアンの指導者となる。彼は広範な地域に渡るインディアン諸部族の大同団結のみが、民族としてのアメリカ・インディアンに残された活路であると早くから考え、遊説をこころみた、しかし、その理想は叶うことはなくアメリカ・インディアンは現状のとおりとなりました。。その理由はというと、、
アメリカ合衆国との利害の不一致が初期の段階にある諸部族は、ある程度の土地譲渡のあと、平和共存の余地があるものと考えがちであった。この傾向はテクムセが最後の説得を試みた南部の諸部族に著しかった。クリーク、チェロキー、チカソー、チョクトウ、セミノールの諸部族は「五つの開化部族」と一般に呼ばれた通り、急速に白人文化への適応を示し、白人キリスト教宣教師の活発な宣教活動にこたえて、洗礼をうけるものも多く、教会をたて、学校を営み、牛馬を飼い、土地を耕し、その果樹園にはあれこれの果物が枝もたわわに、色をきそった。白人の真に求めているものが、野蛮人、異教徒の魂の救済などでは決してなく、「インディアンのいない、インディアンの土地」であること、土地だけであることを彼らが究極的にさとるまでには、おびただしい涙と血が流される必要があった。人間というものについての、インディアン達の素朴な楽観主義が、白人についての判断をあやまらせたのである。一つの人間の集団が、他の人間の集団を全然人間として取り扱わないという事態は、インディアンにとってその理解をこえるものであった。


この世にタイムマシンがあったら、当時のインディアンたちに教えてあげるのに、、ロバートゼメキスとスピルバーグでが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー4」を作ってくれて、インディアン大虐殺の歴史をなかったことにしたら、今もアメリカ大陸はインディアン達だけの土地だったとしたら、この世界は今どうなっているのか、、観てみたいです。

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2013年6月10日 (月)

(抄録)アメリカ・インディアン非史(6)

著者 藤永茂 朝日選書

ワシントンの「最後」

ジョージワシントンはいわゆるバージニア・タバコ貴族の一員である。広大なタバコ園の所有者として、もちろん多くの黒人奴隷をかかえていた。ここに英国の歴史化アーノルド・トインビーの言葉を引くことにしよう。「タバコ園の経営者たちは、ニグロの女達との間に私生児をつくった。ジョージ・ワシントンも、この目的で所有地内のニグロたちの宿舎を訪れているとき、風邪をひいた。公式の伝記には一度ものったことはないが、これがワシントンの死因になったのだ。まあいってみれば、それは紳士のする、ごくあたりまえのことだったわけだ。

この一節を読んだ時、橋下と慎太郎の顔をつい思い浮かべてしまいました。彼らのことも紳士と呼んでもいいわけなのかぁと。。。

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(抄録)アメリカ・インディアン非史(5)

著者 藤永茂 朝日選書

アメリカ初代大統領 ジョージ・ワシントン

「姿こそ違えど、インディアンは狼と同様の猛獣である。」という思想の持ち主。
アメリカの初期の頃の大統領はインディアンをどれだけ虐殺したかが大統領になる条件のひとつであったことは間違いないようです。
土地はすでに我々のものだが、オハイオ地域のインディアンが、もし無駄な抵抗をあきらめるならば、巨額の金品をもってその和平の意図にむくいるであろうというのが、ワシントンの提案の骨子であって。これに対するオハイオ地域のインディアン側からの、素朴な反対提案は、期せずして痛烈きわまる皮肉として白人側にはね返った。「金などは欲しく無い、単純な平和が欲しいのだ。もし我々にくれる多額の金品があるのならば、開拓した土地を捨てて東へかえる白人たちに分け与えたらよい。我々がほしいのは、もともと先祖伝来のわれわれの土地であり、白人の侵入で乱されないままの平和である。」
1794年(徳川家斉、寛政の改革のおわり頃)、ワシントンは、独立戦争で英軍におそれられたプロ・ファイター、アンソニーウェインにインディアン討伐を命じる。正面きっての戦闘では、インディアンの敗戦は決定的でした。

インディアンたちは戦意を失って、いさぎよく和平の議ににのぞもうとした。しかし、アンソニーウエインにはまだやりたいことが残っていたのである。彼は勝ち戦に息あがる将兵に、徹底的な掃討作戦を命じた。「イギリス側の堡塁の外部にあるすべてのものを焼き払うべし。インディアンの村落と、農作物を破壊せよ」。全てを失ったインディアン達は、森へ身をひそめて、迫り来る冬をうれえた。ベトナムの「枯葉作戦」は今にはじまったことではない。

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2013年6月 9日 (日)

(抄録)アメリカ・インディアン非史(4)

著者 藤永茂 朝日選書

ナラガンセット・インディアン虐殺

1675年(4代将軍徳川家綱の時代)
ナラガンセット・インディアンはよく戦い、一時はひしめき寄る白人の部隊を押し返した。しかし、夕刻に及んで、白人達は背後を奇襲してついに村落は、阿鼻叫喚の地獄と化したのであった。インディアン達はついに崩れて沼地の暗黒の中に敗走し、あとには、婦女子、子供を含む600人以上の死体が遺棄された。その惨状は、当時ボストンのインテリの代表であったCotton Matherの”ひどくバーベキューされた”という表現に要約されよう。彼らにとって、インディアンは野獣であつた。野獣のやけただれた焼死体の形容には”バーベキュー”が適語であるにちがいない

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2013年6月 7日 (金)

(抄録)アメリカ・インディアン非史(3)

著者 藤永茂 朝日選書

ペコート・インディアン虐殺

1637年(天草四郎率いる島原の乱勃発)

1637年5月マサチューセッツ当局は職業軍人ジョン・メイソンを起用してペコート族の抹殺にふみ切った。メイソンは、近傍のモヒカンインディアン、さらにはナラガンセット・インディアンの古い敵意を巧みに呼び覚まし、その協力をすら得て、現在のコネチカット州グロートンの町のはずれの高みにあったペコート族の大村落を奇襲し、婦女子、幼児を含む1000人余のペコート・インディアンを虐殺し、ここにペコート族は独立集団としては完全に崩壊し、残存者もひきつづいて徹底的にハントされ、そのあるものは農奴として売られ、やがて地上から姿を消していく。

しかし、ペコート族はまったく忘れられたのではない。アメリカで現在使用中の小学校四年生用の読本の一つから、短い抜粋をしてみよう。お話の主人公、ロバート君は、キャプテン・ジョン・メイソンが、ペコート・インディアンを皆殺しにしてしまう勇ましいお話に熱心に聞き入る。

「彼の小さな部隊は、明け方の、まだ暗いうちに攻撃をかけ、ペコート・インディアンは全く不意をつかれました。兵士たちは積み上げた木の囲いを、おのでたたきやぶって、中へなだれこみ、インディアンのたくさんの小屋に火をつけ、ほとんど全部の男たち、女たち、こどもたちを殺し、とうもろこしや、他の食料をやき払ってしまいました。こうして、もう厄介をしでかすペコートはすっかりいなくなってしまったのです。他のインディアン達は、白人達が、どんなにすばらしいファイターかを見ておそろしくなり、その後、ながい年月の間、平和を保ちました。」ロバート少年はため息をつく。「ぼくもそのとき、いっしょにやれたたよかったのになぁ」
(中略)

正常なアメリカの好青年が同時に、モンスターでもあり得るとすれば、われわれが問わねばならないのは、「正常とはいったい何か」ということでなければなるまい。問いは、われわれの中へ向けねばならぬ。

今も小学生の教材にインディアンの虐殺をお手本として使用しているアメリカ。モンスターのなりかたを小学生が教科書で学んでいる。そのアメリカ人たちに今、日本はに守られています。(まるで、ロバート少年が読んだ教科書「ほかのインディアンたちは、白人たちがどんなにすばらしいファイターかを見ておそろしくなり、その後、ながい年月の間、平和を保ちました」の他のインディアンの一員ようです)。

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2013年6月 5日 (水)

(抄録)アメリカ・インディアン非史(2)

著者 藤永茂 朝日選書

以下は本書中に引用されているルソーの「人間不平等起源論」からの抄録

土地に囲いをして「これは俺のものだ」と宣言することを思いつき、それをそのまま信ずるようなごく単純な人々を見出した最初の者が、政治社会(国家)の真の建設者であった。杭を抜き、あるいは溝を埋めながら、「こんなペテン師のいうことをきいてはならない。果実は万人のものであり、土地は何びとのものでもないことを忘れるなら、それこそ諸君の身の破滅だ!」とその同胞に向って絶叫した者がかりにあったとしたら、その人は、いかに多くの犯罪と戦争と殺人から、またいかに多くの悲惨と恐怖から人類を免れさせてやれたことだろう。

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(抄録)アメリカ・インディアン非史(1)

著者 藤永茂 朝日選書
シャイアン・インディアン虐殺-サンド・クリーク事件
1864年(日本は幕末の混乱期、1868年大政奉還)

兵士たちはトロフィーを求めて、累々たるインディアンの死体に殺到した。ホアイト・アントロープのなきがらを、彼等はあらそって切り刻んだ。スカルプはもちろん、耳、鼻、指も切り取られた。睾丸部を切り取った兵士は、煙草入れにするのだと叫んだ。女陰を切取って帽子につけるものもいた。乳房をボールのように投げあう兵士もいた。大人達の死体の山からはい出た三歳くらいの童子は、たちまち射撃の腕前をきそう、好個の格好の標的となった(中略)もし、記述の信ぴょう性をたしかめたければ、700ページにのぼる、米国議会の事件調査報告書をひもとくこともできる。

 

昨年のちょうど今頃読んでいたのですが、再読したところ、重要な内容が多く含まれている本書なのに、殆ど覚えていなかった(もの食う人々)と同じ情況だったのです。
どれほど、自分の記憶力が絶望的なのかを再確認したので、自分のためにも、少しずつ重要な内容を抄録していきたいと思います。
本書は、外来在米アメリカ人(イギリス人、フランス人、ドイツ人、その他ヨーロッパからの外来民族)がアメリカ大陸の原住民に何をしてきたかを、フィリピンやベトナムなどの話を交えながら、詳しく語られている一冊です。
1968年のベトナムのソンミ村の虐殺事件にアメリカ国民がアメリカ人がそんな残虐なことをするなんてという衝撃を受けたことについて、何をおっしゃいますか、ということで
その100年前、1864年のサンド・クリーク事件の話からはじまります。シャイエンインディアンの集団は、指導者ブラック・ケトルとホワイト・アントロープに率いられ、白人に対して敵意を持たぬことを示し、講和の意図をもって、コロラドのフォート・リオンの北40マイルのサンド・クリークで沙汰を待っていた。そのインディアンたちに米兵が突如としておそいかかり、老若男女を問わず殺戮した。

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2012年6月 7日 (木)

アメリカ・インディアン非史

著者 藤永茂 朝日選書

まず、この本は、一度読んでもらわないと、どういう説明もできないので、どうしてもまずは、はじめに読んで欲しい一冊です。

そもそも本書にたどり着いたのは、会社の同僚にお借りした「妻たちのホワイトハウス」という一冊が原因です。
歴代のアメリカ大統領の夫人の逸話を語った一冊だったのですが、アメリカの大統領の初期のころは、ほとんど、インディアンをどんだけ殺したかが大統領の条件だったよう話を読んで、、ん?と思ったのがきっかけです。

インディアン側の言い分がこの本には描かれていない、インディアンの側の立場、言い分も聞いてみたい、、なにか資料はないのだろうか、、と、ネット、アマゾン検索をしていたところ、、この本にたどり着きました。。

1974年の出版です、、いまから30年以上も前の本ですが14版を重ねて、今でも手に入れることが容易な、一冊です、、

そして、読みはじめてから、、ずっと心理状態は、鬱常態です。。

読んでいて、、最初のころは、、映画「ラストサムライ」が頭に浮んだのですが、、読了するころには、、福島原発事故を想像していました。。

インディアンは、白人をの差し出す二束三文のビー玉やウイスキーを相手の親切で善良な行為、彼らの財宝と信じて、それと引き換えに、豊な大地を売り渡してしまいました、、すべて、相手の善良を信じてなのです、、もちろん、白人の心の底、真実を見極めて、断固戦うインディアンたちも数多くいました、でも彼らは逆にはみだしものとして敵視されてしまうのです、、白人を信じたインディアンたちは、やがて、、悠久の昔から住んでいたなじみの大地を泣きながら追い出されることになってしまったのです、、

かれらの悲劇は他人事ではありません。ビー玉は原発交付金、そして、涙のふみわけ道という末路は、今回の原発事故と同じだったのではないでしょうか。

作者は本書の最後で、インディアンの話は他人事ではない、、われわれは水俣の地に同じことをしているのだから、、という戒めの言葉を残していました、、この本は、いまから30年前に出版された本です。

人は、見たいものしか見ない、、というのはカエサル(ジュリアスシーザー)の言葉ですが、、日本人も、見たいものしか見ないということでは、やはり人だったのでしょう。。

やがて日本人は歴史上にかつて存在した民族となり、遠い昔、日本民族とう民族が太平洋のはしっこにいて、豊な生活をしていた時代があったんだよ、と、この本書のインディアンのように語られる日がくるのでは、、このままでは、すごく近い未来にその日が見えてしまう気がます。大飯原発再稼動が、その未来の日の口火を切ったのかもしれません。。。

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