カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2019年5月 2日 (木)

平成の大晦日と令和の元日

平成の大晦日と令和の元日の両日とも、とても普通に過ごしてしまいました。

平成大晦日は旅行先の長野の温泉地湯田中から戻り、自宅でごろごろ、夕方から高井戸の美しの湯の温泉につかり、オオゼキで買い物をして、

晩ごはんは高崎で買ってきたこんにゃく麺に豚肉、たまねぎ、ピーマンを加えたソース焼きそばに目玉焼きのせ。のみ。

令和元旦の日の昼間は平和島温泉につかりながら、浴室の大型テレビで式典の様子をみて、品川のイオンで買い物して帰宅。

晩ごはんは竹輪とぶなしめじと牛肉をバターとポン酢で炒めた料理とイオンで買ってきたクリームコロッケ(具材がなにも入っていなかった)。

大晦日も元旦もぼけっと温泉につかり、あまりに貧相すぎる晩餐を食べるという、とてもしょぼい両日だったので、忘れてしまいそうなので、記録しておきたいとおもいます。

 

 

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2019年2月12日 (火)

もやもや感がした文章

ライフハックだか、処世術だかでネット上で拡散されている「幸せになるためにやめるべき30」という文章をたまたま目にしてしまい、昨日はずっともやもやしていて一日考えていました。まぁ、マザーテレサ的ないいと思うよ、という内容もあるのですが、。

でも、ひっかかったのはこのふたつの言葉
自分にふさわしくない人たちと過ごすのをやめなさい
自分より低い誰かのレベルに合わせるのをやめなさい

ずいぶんと上からのあつかましい態度だな、これ。

自分にふさわしくない人という判断ができるほど、これを書いた人は高尚な人間なのかしら?
相手が自分よりレベルが低いってどうやって判断できるのかしら?
偏差値なの?それともIQ?50メートル走のタイム?ふんわり美味しいパン焼き能力?リストの超絶技巧の完成度?
なんだか情けない、これを言った人、ずいぶんとちっさい男だな、と思ってしまいました。
こういうことを口に出して言ってしまう方のレベルはそもそも人格者としては最低な訳だから、これを書いた時点でこの人はもう徳のある人格者とはつきあえる希望も資格ないじゃないの、何様なんだよ、、といったもやもやでいっぱいになりました。
ちょっと調べたら、この文章の発言者は自己啓発本を100冊以上書いている経営コンサルタントのようです。
少なくても、自分の著書を買ってくれるお客様はは自分よりレベルの低いと想定して商売しているのではないでしょうか?そういう自分よりレベルが低い誰かに合わせて本を売っているのでしょうから、矛盾してませんか。
自分よりレベルが上の人がまさか啓発本とか人生訓なんてのは不要でしょうし。。。
たまたま、昨日NHKBSでヒトラーの言葉に熱狂させられたドイツの時代のドキュメンタリーで、ヒトラーがユダヤ人やスラブ人を下等民族として扱い、国民に差別意識、特権意識をかりたてて、自分の権力を保とうとした映像を観てしまったばかりなので、人が人に甲乙をつけるということはとても怖い発想だなと感じたばかりでした。
当時、少年としてナチスを信奉していた老人が言っていました。「ポーランドに戦争で勝ったというニュースで気持ちが高揚しました、だってそうでしょ、スポーツと一緒ですよ、自分の国が勝てば嬉しいじゃないですか、それと一緒ですよ」、、と。
わたしは昔からあまりオリンピックに興味がないのもこの老人のような発想自体が嫌なのかもしれません。ヒトラーも利用してましたしね。オリンピック。
本来、人間社会というものは、親でも教師でも友人でも、自分より、いろいろな能力の高い人に付き合ってもらって、育ててもらって、やっと人は成長できるんじゃないんですかね?
自分より高い能力や知識を持っている人が、おまえはふさわしくないから、レベルが低いからとつきあってくれなくなったり、話をしてくれなくなったら、その人はいつまでも学んだり、成長したりできないですよね。
自分がある程度の立場になるまでに、必ず誰かに育ててもらって成長できたんだから、もしも自分が優れた知識や能力を習得することができたならら、それは自分だけの力ではないのだから(たとえそれが書籍で学んだ知識だとしても)人を馬鹿にしたように、レベルが低いとか自分にふさわしくない人なんてことは言わずに、広い心であたたかく接して、時には想像力を働かせてその人の立ち位置にも立みてもいいのではないでしょうか、その時ああ、この人は今世の中がこう見えているのかと逆に学ぶことも多いのではないでしょうか。
自分の持っている能力や知識をおごり高ぶったらず、偉ぶらずに還元して、自分の住んでいる空間、社会全体の底上げをした方が、結局は、自分にとってもずっと住みやすい世の中になるんじゃないかな?
なんてつらつらと考えてしまいました。
もうすこしもやもやと考え続けてみたいと思います。

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2019年2月 8日 (金)

伊藤計劃とかぼくのりりっくのぼうよみとか

テレビも観ず、スマホも持たず、ラジオはインターFM。

ディケンズ、トーマスマン、チボー家、紅楼夢などを読みふけり、インドに夢中になっていたら、、、、世の中は新しいカルチャーに溢れているようで、慌てた。

早速図書館で伊藤計劃の本を借りてきて、バスのなかで一二行読んで、、一度本を閉じました。
ああ、、私に読めるのだろうかと不安になりました。
星新一や筒井康孝は読破していたわたしですが。。PKディックも好きだったはずですが。。ううむ。。。昭和は遠くなりにけり。。
というか、宋の時代の本読んで、200年前のイギリスの本読んで、第一次世界大戦の本読んでたので、昭和どころの話ではないですね。。かろうじてトーマスマンが昭和にかぶってますよ。。

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2018年10月18日 (木)

親子で同じ失敗

母親が、親友だとおもっていた友人から絶縁されたらしい。。母の態度に業を煮やされたというのだ、気遣いがたりない、感謝が足りない、言葉が足りない、そんな感じらしい。

母はショックで毎日泣いている。80過ぎのおばあさんが友人を失って泣いているのだ。

そして、親子で同じ失敗をしていると、心がずきずきしている。

わたしは、12年前に、生涯の親友だと思っていたMから、思いもよらずに距離を置かれ、長い月日が経てど、一向にその時の心の傷はまだいえず。喪失感もぐっさりとまだ残っている。

信頼しすぎて、甘えすぎて、相手のその負担の気持ちに気が付かず、相手はしんどくなりすぎて、遂に距離をおかれてしまったと思う。
だから、大好きだった人に、突然別れを告げられた母の衝撃やショック、悲しみが痛いほどわかる。
相手を大好きだと思っていたけど、それは、本来の相手の感情を無視した、自分に都合のよい大好きであって、相手の思いや気持ちを理解しようとかしていなかったのだと思う。
そして、そんな辛い思いを、八十過ぎた母が味わっている。
今、母は毎日泣いている。信頼していたからショックなのだ。
しかも、父が亡くなって四十九日もまたない、忌中のときに、よりによってなのですよ。父の喪失にかぶせるように、友人まで失うなんて。せめて四十九日が過ぎるまで絶縁宣言まてんかったのかいと思ってしまったり。。
でも、どうして親子で同じ過ちをしてしまったのでしょうか。。
親子そろって、あまりにも無邪気に人を信用しすぎるのか、無邪気とは、つまりずうずしく、厚かましすぎるのだろう。人生なめきって甘えていたのか。そうなのか。
わたしの場合、当時を振り返ると、私は私で、友人のことを、とても大切にしていたと思うし、すべてにおいて友人を最優先にしていたし、当時は、家族とその友人が同時におぼれていたら、その友人を助けるくらい大切に思っていたのだけれど、、きっとそれも友人にとっては意味のないこと、負担なことだったのかもしれません。
母の友人と親しくしていたころの母をみていたら。美味しい食べ物があれば、その友人が好きだからと買ってゆき、その友人が好きだからと、いろいろと料理を作って持って行き、その友人が好きだからと、雑誌や新聞を集めては持って行き、いつもその友人との会話や食事やドライブを楽しんでいました。、その友人の存在は母親の中心だったのだから、、本当に心が痛い。
母の悲しみを、わたしは12年も味わってきたから、わかるのです。。
でも、人の気持ちは変えられない。母の友情は、相手の求める友情の内容とはまったく違っていたのではないか。でも、80過ぎの母、、長生きしたとしてもあと数年。。
人生の最後で、どうしてこういう悲しみを味わう必要があるのだろうかと、
その相手のことを娘として少し恨んでしまったりもしますが、でも、思い起こせば長い年月、、母の人生に豊かな楽しみや彩りや、力添えや、心の支えになってくれて、やはりその方には私は沢山の感謝が強いのです。
わたしも、友人を失っても悲しみは強いけれど、相手には怒りはない、あるのは感謝だけ。
母も、親しい友人に絶縁をされてしまっても、自分の未熟さを知り、相手を悪く言わないで、感謝の気持ちで相手のことを思い続けていて欲しい。
それにしても、なかなか親子で、同じ人生の失敗をするというのは、もう、先天性の遺伝なのかもしれません。
わたしは親友を失ってしまったけど、母には親友がいてうらやましいとずっとおもっていたのになぁ。。
父が亡くなりひと月が過ぎ、、まだまだ悲しい出来事が続き秋なのです。。

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2018年9月15日 (土)

父の死

9月10日の6時過ぎに、実父が82歳で旅立ちました。

7月13日に具合が悪くなり、救急車で救急病院に運ばれ、入院直前には自分でトイレに行き、普通に歩けて、大好物のお寿司を普通に食べていたのに(寿司を食べている最中に体調が悪くなった)、入院翌日には固形物を食べることもできなくなり、歩くこともできなくなり、もちろん自力でトイレに行くこともできなくなり、入院直後に寝たきり老人になってしまいました。いわゆる絵にかいたような廃用症候群にみるみるなってしまいました。
老人の入院は、、とくに廃用症候群に神経質ではない病院への入院はあっというまに老人を廃人にしてしまうのだなあ。
そうはいえ、実家には体調のよくない年老いた母親と、体が不自由な障碍者の家族しかおらず、自宅で父を介護をすることも難しく、病院で世話をしていただく以外に選択肢がみつかりません。私は離れた土地で理想的な父の介護をすることをしようともしないで、ふがいない娘で申し訳ないと思う以外にありませんでした。
わたしが実家にいた若い頃は父は商売をしており朝から晩まで不在でしたし、上京後は、年に数回里帰りするときしか父とは顔を合わさず(しかも、里帰りしたらしたでわたしは、地元の友人と遊んでおり私の方が家に不在だったこともあり)、口数が極端に少ない父だったため、父の訃報を聞いた後に、父との思い出を頭の中でいろいろと思い出そうとするのですが、片手に余るくらいのエピソードしかありません。半世紀の付き合いで、父との思い出が片手に余るのは、少し悲しい。でも、おかげで不在でも、巻き起こる悲しみは少ないのですが。。
可愛がってくれた祖父や祖母の思い出の方が、若くして亡くなってしまった友人たちとの思い出の方が圧倒的に多く、祖父母や友人のことは毎日のよう不在を悲しみ、思い出すのですが、父は、生前から不在だったため、亡くなってしまっても、生前の父とあまり変わらない。これは、父が、私があまり悲しまないように生前から距離を置いてくれたと思えばよいのでしょうか。
父はわたしが生まれる若い頃どういうふうだったか、日々何を考えていたのか、いつも聞きたいと思っていたけれど、機会あるごとに尋ねたりしたのですが、父には友人と呼べるような人もおらず、兄弟もおらず、あえて友人と呼べるのは母だけだったと思います。そして、父は結局なにも語らずに逝ってしまいました。悲しいというのなら、そのことが一番悲しいかもしれません。
そんなエピソードの少ない父との思い出ですが、父と母と人生で一度だけ箱根に一泊家族旅行に行きました、その日、小田急ロマンスカーのホームで父が写真を撮るときめずらしくピースサインをして、たった一枚のピースサインの写真を残してくれました。。
私のピアノの発表会にも一度だけきてくれました。また、一度だけ一緒に相撲観戦に国技館に行きました。その日は白鵬がものすごい良い取り組みをして、最後はみんな立ち上がって拍手をして、父も思わず立ち上がり拍手をしていました。あまり感情を表に出さない父なので、父も昂奮したのだなと、なんだか暖かい気持ちになった懐かしい思い出です。
父との全ての思い出が人生で一度だけ。
ほかにも、数少ない思い出がないか、記憶の中の父の姿を掘り出す活動をしばらく続けたいと思います
今年のゴールデンウィークに帰京したときに父に、今まで旅行に行った中で、もう一度行くとしたら、どこに行きたいと尋ねたところ、父が少し考えて、「ハウステンボス」と答えました。普段あまり笑顔も見せない父でしたが、ちょっと笑ったような気がします。できれば一緒に行きたかったのですが、それも叶わず、父の柩に、ハウステンボスのガイドブックを入れました。今度必ずハウステンボスに行くから、そのときはお父さんも一緒について来てねという気持ちをこめました。
なんだか、父の死というのはこういうものなのか、イメージが違うように思うのですが、長い間、私のことを静かに心配してくれたのではないかなぁ。そして、ずっと母のそばにいて、母の友人でいてくれた、お父さん、ありがとう。

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2018年4月 4日 (水)

三一書房が気になりまして

最近、インド本を読み漁っておりましたところ、その出版社の多くに三一書房がありました。

なんだろう、労働問題を得意とする左翼系の出版社なのだろうかしら?
インドのカースト問題などと同時に、日本の差別問題の本も多く出しているようです。。
ということで、どういう出版社なのかとちょっと調べてみましたら、なんか、会社が労働争議にあっているようなのですよ。
社員をロックアウトしたりって、、なにこれ、
しかも1998年ということで、結構最近の出来事ですよ。(といっても20年前ですが)。
なんと労使が和解したのが2011年ということで、ずいぶん長いこと争議が続いてました。
労働問題を取り扱っている本家本元の出版社で労働争議するなんて。。?なになに、どういうことよ?
で、「三一書房」で検索しただけで、学研争議とか、明石書店争議とか、光文社争議とか別の出版社の争議の話まで出てきました、、出版業界はもめごとが日常茶飯事jなの、どうしたの?
検索結果ではいろいろな記事が出てくるのですが、個人のブログなどが多くて、なかなか要領を得なかったのですが、そのいろいろな記事を総合すると・・・
社会派の出版社だった三一書房が2006年から2011年まで労使のトラブルで出版活動が妨げられてきた。特に原発の危険性に長年警鐘を鳴らしてきた三一書房にもかかわらず福島原発事故が起きた状況下に新刊も出せず、社員は悔しい思いをしたと語られています。
2011年6月に三一書房臨時株主総会で出版部門の免責的事業譲渡が決議。出版部門の免責的事業譲渡により、従業員に労働債権と引き換えに三一書房が譲渡され、新生三一書房として生まれ変わったみたいです。。そうだったんだね~
「三一書房の良心の灯を支える表現者の会」の呼びかけ人として、鶴見俊輔、馬場あき子、別役実、岡留安則、唐十郎などなどの著名人を含む多くの知識人が運動していたみたいで、良心の灯が支えられてよかったです。
極右の出版社から極左の出版社まで自由に活動ができる国がまともな国といえるなかもしれませんね。
こちらの出版社はかなり左系の本が多いのかもしれませんが、それでもT.S.ピライのようなインドの大文学者の本まで出しているのですから大したものだと思いますよ。きっとこれからもお世話になる出版社かと思います。
しかし長年労働問題の本を出してきた出版社で、10年以上も労働争議を解決できないって、、なんだか悲しい話ですね。うーむ、、
それにしても、最近知らないことばかりです、、このセリフが多すぎる気がします。

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2017年8月26日 (土)

ありがたいこと

ありがたいこと、それは・・・

  • ぐっすり眠れて
  • 美味しく食べれて
  • ガハハと笑える

この三つが当たり前ではないことに気が付いた。
この三つができることは、とてつもなく、ありがたいことだったのだなぁと・・・

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2017年5月13日 (土)

昔の手帳をみつけた

2003年と2004年のスケジュール表を発見しました。

あのころ、ほぼ毎月・毎週のようにあっていた友人のうち、
友人Fはおととしの九月に癌で亡くなりました。
それまで親友と思っていたMは11年前(2006年)の7月を最後に会っていません。
当時はよく飲み歩いた友人Eとは毎年今年こそは会いたいねとメール等では伝え合いながらも、数年会えずにいます。
14年前のスケジュール帳に頻繁に登場する友達で今でも毎月あっている友人はNだけになってしまいました。
毎月のようにあっていた友人が3人も自分の世界から遠ざかってしまったのは、寂しいことです。
相変わらずそばにいて、付き合ってくれている友人Nを大切に思いたいです。

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2017年5月 1日 (月)

(達成)脱ナザール

6か月前に鼻炎の点鼻薬のナザール離脱を決意して、さまざまな禁断症状と戦ってきました。

最初の3か月は、鼻炎薬を飲みながら、鼻づまりと戦ってきました。
とくにはじめの1か月は、毎日鼻炎薬を飲まないと夜中に鼻づまりで目が覚めてしまいました。
ですが、逆に、鼻炎薬は眠気のでる成分が入っているものが多いので、飲んでしまえば朝までぐっすり、ということで、ナザールを使用してたころにも、夜中に2-3時間おきに鼻がつまって目が覚めては点鼻という毎日だったので、むしろ、使用していたころよりは夜ぐっすり眠れるようになりました。
そして、3か月目くらいから、ちょっと鼻炎がひどくなったときや、鼻がつまったときだけ、鼻炎薬を服用するくらいで、鼻が通るようになり。
ここ2か月くらいは、まったく薬に頼ることなく、普通に鼻呼吸ができるようになりました。
要するに、なななんと、この30年間、お金を払ってわざわざ鼻炎になっていたのですね。。おそるべし。。薬物中毒。。
ナザールの使用法を間違っていたので、薬に罪はないのだと思いますが。
薬というのは、使い方を間違えるとおそろしい中毒になる魔物だとつくづく思いました。
ナザールは薬局でだいたい800円。毎週一本くらい使っていましたので、月に2400円、これを30年間くらい使っていましたので、計算すると、ナザールに90万近く使ってしまっていたということです(こうして数字にすると悲しすぎます)。
脱ナザールのために代用品として飲んだ鼻炎薬の効果ですが。
久光製薬の「アレグラ」、エスエス製薬の「アレジオン」、佐藤製薬の「ストナリニ」などなどですが、自分には一番効いた気がするのはロート製薬の「アルガード」でした。現在バッグに入っていて、いざというときに待機している鼻炎薬は小林製薬の「ヒストミン鼻炎カプセルZ」という薬ですが、最後に使用してから2か月以上は経っていると思います。(どの薬が一番効くかをためそうとしていた間に鼻炎が治ってしまいました)
本日、家に残っていたナザールも全て破棄して、完全なる脱ナザールです。
これまでお世話になりました。さようならナザール!!!

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2017年4月29日 (土)

花見シーズンと北のミサイル

2010年の花見の季節に書いたブログ 、震災の前年のあのころも、北はミサイルをバンバン打っていました、あのころのはお父さん金正日の時代でした。
あの当時、日本の政権は民主党の鳩山内閣。アメリカはオバマ大統領。
今の政権のように北の脅威をあおって国民を怖がらせることはなく、国民はのんびり花見をしていました。
7年後のこの時代はトランプ政権、安倍政権と金正恩政権。。政権が変わるだけで、国民の感情が変わるというのも不思議な話です。
花見の季節のミサイルはなにか意味があるのでしょうか?
7年後の花見のこの季節も、おなじ桜をおなじ場所で楽しめることをまじで願ってしまいます。

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